第三話
飛竜家が治める飛竜領は、鬼和国の最西端にある。天鬼家からは、竜に乗って三日ほどの距離だ。
《では、出発しますよ》
「分かった」
大きな竜に変身した藤司の背中に、柚瑠はしがみつく。……温かい。
藤司の温もりを感じると、ほっとする。昔は振り落とされないかびくびくしていたが、今ではもう慣れっこだ。藤司なら、絶対に落っことしたりはしないから。
「藤司って、いつでも丁寧だよね」
日頃の繕い物を思い出す。藤司は従者として、柚瑠の破れた衣を修繕してくれるのだが、それがどれ一つとっても細やかなのだ。大雑把な柚瑠にはできない芸当だ。
《そう、ですか?》
「そうだよ。いつも、俺をお婿様みたいに丁重に乗せてもくれるし。だからそんな藤司のことが大好きだよ」
《ふふ、そうですか。ありがとうございます》
竜の姿でテレパシーを送ってくる藤司の言葉を、柚瑠はむっとして聞いた。なぜ、俺も好きですと伝え返してくれないのか。
「もうっ。藤司は俺のこと、好きじゃないのかっ」
《え? そんなことはありませんよ。もちろん……す、好きです》
藤司が照れくさそうにそう告げた直後。
「わっ!」
突風が吹く。風のあおりを受けて、藤司の体が傾く。
柚瑠は振り落とされそうになり、慌てて藤司が体勢を持ち直した。おかげで宙に放り出されるのをまぬがれた。危ない、危ない。
《申し訳ありません! 柚瑠さま!》
大丈夫ですか、と気遣わしげに訊ねられ、柚瑠はどぎまぎしながら笑って誤魔化した。
「へ、平気だよ。ごめん、無茶ぶりして」
《いえ! 俺の方こそ、本当にすみません……》
申し訳なさそうに謝る藤司に、柚瑠は優しく笑いかける。
「いいよ。……藤司から『好き』っていう言葉が聞けて嬉しい。ありがとう」
《ええと、日頃から口下手ですみません》
「もう、そんなに謝ることないって。腰が低すぎるよ、藤司は」
《……すみません》
柚瑠はくすくすと笑いながら、藤司にぎゅーっとしがみつく。大好きな藤司の傍にいられることが、柚瑠にとっても一番の幸せだ。
藤司は体を一瞬硬直させたものの、すぐに平静さを取り戻した。いつものように穏やかな飛行で、雲の間を横切る。
藤司の飛行に身を任せながら、柚瑠は過去に思いを馳せた。
***
藤司のことが好きだと気付いたのは、いつ頃だったか。親戚として育ち、一緒に遊ぶうちに、いつの間にか異性として惹かれていた。
「藤司。あの……あのね」
「? はい」
三年前、天鬼家の廊下を並んで歩きながら、柚瑠は思い切って告げた。
「す、好きです……」
「え……」
その時のびっくりした顔を、柚瑠は今でも忘れられない。思わず笑ってしまうくらい気の抜けた表情だったから。
困惑した様子の藤司は「えっと……からかっておられるのですか?」と控えめに返した。悪気はないだろうが、失礼な言葉じゃないだろうか。
むかっとした柚瑠は、眉をつり上げてもう一度言う。
「そんなわけないだろ。藤司のことが好きだって言ってるんだよ」
「!?」
途端、顏を赤くする藤司を見て、柚瑠もはっとして頬を赤らめる。咄嗟にとんでもなく積極的な告白をしてしまった。
二人は、黙り込むほかなかった。いつの間にか足を止め、体ごと向いて見つめ合う。
「ほ、本当……なのでしょうか。柚瑠さま」
「そうだよ。もうっ、何度も聞くな」
頬を膨らませながら言うと、藤司はそっと目を伏せた。
「すみません……ですが、柚瑠さま」
「なに?」
「俺は平民。王子であらせられる柚瑠さまとは釣り合いません。誰か他の男性を当たってもらえませんでしょうか」
柚瑠は、茫然と口を開けた。咄嗟になんと言ったらいいのか、分からなくなった。
「は? なんだそれ!」
こんなに藤司のことが好きなのに。どうして分かってくれないのか。
つい責めるように言い返してしまったものの、振られたことが悲しくて、目から涙が滑り落ちた。静かに涙を流しながら、「……ひどい」と呟く。
「~~っ、俺は本当に藤司のことが好きなのに! 平民だからとか、釣り合わないとか、そんな理由で拒否するなよ!」
「柚瑠さま……」
泣き喚く柚瑠を、藤司は困った顔で見つめる。けれど、やがて恐る恐る手を伸ばし、柚瑠のことを胸に抱き寄せた。
「すみません。泣かせてしまって」
「…っ、……」
泣きじゃくる柚瑠の頬に、藤司がそっと口づける。宥めるように何度も、何度も。
くすぐったくて、柚瑠は身じろぐ。
「と、藤司。くすぐったいよ」
「えっ、あ、すみません。つい……」
藤司はようやく口づけをとめ、柚瑠の涙に濡れた目を覗き込む。目元の水滴を指で拭いながら、ようやく『その言葉』を口にした。
「俺も好きです。柚瑠さまのことが」
「本当、に?」
「はい」
穏やかに微笑む藤司に、柚瑠は力いっぱい抱きついた。藤司も受け入れ、柚瑠は藤司とぎゅうぎゅうと抱き合う。
「大好きだよ、藤司」
***