第一話
柚瑠はその日、王城の廊下を大股で歩いていた。兄である桐人に、恋人との結婚を認めてもらえるよう、直談判するためだ。
「いい加減、藤司との結婚を認めてください、兄上!」
バァンっ!
執務室の扉を蹴破るように開ける。
柚瑠はむっとした顔をして、四つ年上の兄――桐人に声を荒げた。半ば睨みつけるように見上げると、桐人は眉をひそめる。
「……柚瑠」
桐人は大きくため息をつき、文机の上で書類を整理する手を止めた。顔を上げ、沈着な目で柚瑠を見つめる。――『国王補佐官』としての表情だ。
「お前こそ、いい加減にしないか。お前はこの国の王なんだ。国王が異種族と結婚したらどうなるか、分からないわけじゃないだろう」
射抜くような眼差しに、柚瑠はたじろぐ。
「そ、それは……でもっ」
「魔力の継承を途切れさせるわけにはいかない。この国に何かあった時、民を守れなくなる。違うか?」
「……」
柚瑠は唇を噛みしめ、俯いた。――反論できないからだ。
この国――鬼和国は多種族国家だ。様々な種族が集まって建立された国になる。
その中でも、不可思議な魔法を使える家柄が存在する。鬼王である柚瑠の家系――天鬼家もその一つだ。当然、柚瑠も魔法を駆使できる。
一方、柚瑠の恋人である藤司という男性は平民であり、何よりも異種族だ。だからもし、藤司の血筋を継ぐ王子しか生まれなかったら、民を守るという王家の存在意義が消えてしまう。
「どうしても藤司と結婚したいのなら、他の公族の息子も側室として娶ること。それが、お前らの結婚を認めてもいい条件だ」
桐人は厳しくも温かい声色でそう告げた後、目線を書類に戻した。話はこれで終わり、と言わんばかりだ。
柚瑠は、押し黙るほかなかった。言いたいことはたくさんあるけれど、そのどれもが拙い感情論に過ぎないと分かっている。おとなしく引き下がるほかなかった。
「……仕事のお邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした。失礼します」
◆◆◆
天鬼家の次男である柚瑠が王位を継いだのは、一年前のことだ。先代国王が流行り病で亡くなり、受種である柚瑠に王位継承権が回ってきた。
――受種。
子を孕むことができる男性のことだ。この世界には男性しか存在しないため、受種の男性が子を産むことで世界は繁栄し、世代交代してきた。
鬼和国では代々、受種の王子が王位を継ぐ。桐人は受種ではないため王位を継げず、柚瑠が国王になったのだ。
「はぁ……やっぱり兄上は、お厳しいなぁ」
柚瑠は、真っ直ぐな回廊をとぼとぼと歩く。
桐人は優秀すぎるくらい優秀な王族だ。それなのに、古い慣習により国王になれなかったことが残念でならない。国王補佐官として奔走している姿を見るたびに、本当に申し訳なくなる。
もっとしっかりしなければいけないとは分かっているものの……結婚の話については、絶対に譲れない。好きな人とだけ結婚したい。それが柚瑠の幼い頃からの夢だからだ。
先代国王は、柚瑠の父――正室に一途だった。それまでは複数の婿を娶るのが慣習だったのに、周囲の反対を押し切って情熱的な愛を貫いた。
柚瑠も、両親のように愛に溢れた家庭を築きたい。だって、今思い返しても笑顔がいっぱい弾ける幸せな家族だったから。
愛のない政略結婚なんて断固としてお断りだ。
「――柚瑠さま」
後ろから、若い男性の声が響いた。
柚瑠は、ぱぁっと笑顔になって振り返る。
「藤司!」
視線の先にいる青年――藤司は、恭しく一礼した。
柚瑠が藤司の傍まで駆け寄っていくと、小動物のような所作が可笑しいのか、藤司は破顔する。愛おしげな目で、柚瑠を見つめた。
「お迎えに上がりました。お荷物はどちらに?」
「あっちにまとめてあるよ」
「分かりました。お運びします。では、飛竜領に向かいましょうか」
「うん」
手を繋ぎながら、古びた木板が敷かれた廊下を進む。隣を歩く藤司をちらりと見上げると、その視線に気付いた藤司は柔らかく微笑む。
「っ!」
優しい笑みに、柚瑠は赤面した。ぱっと視線を逸らして俯く。