95 藤倉忠恭という男 無自覚優良物件 そして邪斬との対面(フォトあり)
藤倉忠恭、国立大学法人鶴甲大学文学部史学科日本史学専修の教授である。専門は日本中世史、特に鎌倉・室町期の文化、技術、軍事である。
藤倉は若いころから研究にのめり込んだ。日本国内誌だけでなく海外ジャーナルにも査読論文が何本も掲載されている。専門書や一般書の出版も豊富である。テレビや新聞の取材も受けている。文部科学省の科学学研究補助金も継続して獲得している。
若くして国立大学で助手、准教授のポストを獲得。五十路前後で教授に昇進した新進気鋭の壮年研究者である。
あまりに研究が面白すぎてのめり込んだため、藤倉は年齢イコール彼女いない歴である。身長は160cmほど。某有名Vtuber定義では「人権が無い」ということになろうか?
しかし、しかしである藤倉よ。もし君が結婚を前提としたマチアプに登録したならばそれを差し置いても「いいね」や「スーパーいいね」が結構来るのではないか?実は君が結構優良物件なのを自覚しているか?
地位あり、金あり、浮気の心配なし。家事手伝い可能、実家はそれなりに太い。中肉だが筋肉はそこそこ。そしてわりに身ぎれいである。スーツやシャツも何気にオーダーである。知識豊富で話題も多い。女子学生と喋りなれておりコミュ力もそれなりにある。
むむむむ。藤倉が魅力的に思えてきたぜ。藤倉のくせに……。
まあ、そこで寄ってくる女は「教授夫人」目当てだったり、「夫の稼ぎだけで暮らせる生活」目当てだったり、なんなら妻の身分だけ獲得して男漁りする気まんまんだったりも多かろう。いかにそれらのデコイを排除して良き伴侶にたどり着くか。真贋見極める眼力が必要であろう。
ん?3次元女には興味ない?そうですか……もったいない……
さてこの真面目一徹の研究者藤倉。久志本千剣破の恩師である。
余談だが大学時代の藤倉と千剣破の様子についてはカクヨム様で本気か間違いかサポーターを頂いたとき、「何かお礼できることはっ!」と、テンパった夏風がサポーター限定で「千剣破の百合と山鳥毛 おまけに藤倉」(二千五百字)のSSを書いた。書籍化などの奇跡が起きれば掲載したいと考えている。夏風の見果てぬ夢である……クスン。泣いてない!これは水だっ!
千剣破の話に戻そう。
千剣破は藤倉教授に面談を依頼していた。藤倉は随分前に卒業した教え子からの突然の連絡に驚いた。彼女からのメールには「鎌倉末期から南北朝にかけての相談がある」とあった。自分の専門分野どストライクではある。そこで会いたいとの連絡に承諾の返事を返した。藤倉はふと学生時代の千剣破を思い浮かべた。
「久志本さんは品行方正で気の強い美人だったなぁ。アニメが好きでゲーム好き。それがきっかけで日本刀が大好きになったんだったっけ。結婚して子供もいると聞いている。久志本さんなら真面目な相談だろう。仕事の調べ物で壁にぶつかって専門知識で泣きを入れてきたか。まあ可愛い教え子だ。時間を取ってやるか」
かつての教え子を思い出しながら藤倉はふと呟いた。研究室の窓から海がきらめいていた。
日曜日の朝、藤倉は休日にも関わらず六甲台第二キャンパスの駐車ゲートをくぐった。
千剣破は剣奈を連れて阪急逆瀬川駅に向かった。千剣破たちは逆瀬川から西宮北口を経て阪急六甲駅で降りた。阪急六甲駅から鶴甲大学まではほぼ一本道である。駅から山に向かって歩き、キャンパス下の細道に入る。キャンパスに向かって細道を登るにつれて大阪湾の絶景が見えてくる。日本に大学は多いが、この絶景は日本一だろうと千剣破は思っている。
神戸美人が多いと噂される大学が鶴甲大学近くにある。神戸杉影女子学院である。千剣破は学生時代、他校とのコンパでよく揶揄われた。杉影女子は足が細くて可愛いのに、鶴甲女子は足が太くてごっついと。理由は杉影女子はバス通学をし、鶴甲女子は徒歩で山を登るからだと。
馬鹿げていると千剣破は思った。「こいつら馬鹿じゃねーの」と思った。運動した方が細いに決まっている。ただの貶めだった。
千剣破の学生時代、高学歴女子は何かと煙たがられた。学力でかなわないとなると変な貶めやマウントがやたら多かった。
「どうして男子は女子の上に立たねばならないと思うのだろう」。千剣破は学生時代のことをつらつら思い出しながら坂道を登った。
坂道を登りきると視界が開けた。鶴甲大のキャンパスの眺めが広がった。
「お母さん、すっごく景色良いね。こんな景色の良いところでお母さんいつも勉強してたんだね。ボクここ好き」
「そう?ここならおばあちゃんのお家から通えるし、それも良いかも。でもお母さん少し寂しいかも……」
「そっか、そうだよね。やっぱり東京で大学探そっかな。お父さんの母校でも良いし」
小学校三年生、大学を考えるにはまだまだ早い。そして剣奈よ、その前に君は中学受験が待ってるぞ?西荻女子にいくのだろ?
千剣破はそんなに学力が高くないと言ったが、それは千剣破が東京の事情をよく知らないだけだぞ?御三家よりは確かに難易度は低い。しかし新御三家の一角だぞ?
さて、千剣破はランスボックスの角を曲がり、恩師の研究室へ向かった。恩師の研究室は人文研究科A棟三階の海の見渡せる部屋だった。
コンコン
「入りなさい」
「失礼します。教授、ご無沙汰しています」
「何年振りかね、久志本さん。おや、お子さんも連れてきたのかね?お嬢ちゃんこんにちは」
「こんにちは。ボク剣人って言います。はじめまして」
「剣人……くん……?男の子?ごめんね。あまりに可愛いから」
「教授、そのことも含めて今日はご相談に参りました」
「そのこと?」
「はい。信じてもらえないようなことです……」
藤倉は思案した。久志本さんは悪ふざけをするタイプではない。嘘を言うタイプでもない。その久志本さんが信じてもらえないこと?しかも「そのこと」とは?
剣人くんはどう見ても女の子に見える。まさか性同一性障害の相談?いや、それならば相手は医者かカウンセラーだろう。メールで連絡があったのは鎌倉時代のことである。どう考えても剣人くんと鎌倉時代は結びつかない。藤倉は狐につままれたような気分になった。
「久志本さん、相談というのは鎌倉時代から南北朝時代にかけての話だと聞いていたが、私の勘違いかな?」
「いいえ、先生、その通りです。先生は来国光という刀匠をご存知ですよね?」
「ああ、もちろん知ってるさ。鎌倉末期から南北朝時代にかけて山城国で活躍した来派の刀匠だろ?優れた短刀をたくさん打った。国宝有楽来国光、名物塩川来国光、この二振りは特に有名だね」
「まずは先生にこちらを見ていただきたくて……。剣奈?」
「はい!」
剣奈はリュックからウコン布を取り出して研究室のテーブルに置いた。そしてその上に一振りの短刀を置いた。
藤倉は戸惑った。「剣奈」、久志本さんは確かにそう呼んだ。そして剣人くんはしっかりと返事をした。しかしさっきの自己紹介では「ボク剣人です」と言った。
訳がわからない。そして意味ありげに置かれた短刀は、黒漆に梅の蒔絵の鞘、鉄地薄肉彫金象嵌月下梅花図鍔、鮫皮に糸巻柄・常組、見事な拵であった。
「拝見しても?」
「どうぞ」
藤倉は机の引き出しからから白手袋を取り出してはめた。そして両手で刀をもち目線よりうえに掲げて一礼した。
そして左手で刀を掴み、右親指で左手の合谷を押してそっと鯉口を切った。さらに左手に鞘、右手に柄を持ったまま丁寧に両手を動かして抜刀した。
藤倉は息を呑んだ。出で立ちは三棟平造りで、すっきりとして鋭利である。
鍛えは細かく詰んだ小板目で、清々しい。地沸は細かく厚く冴え、独特の質感を醸し出している。
刀身には棟区から優美な樋が刻まれ、刀身の半ばで搔き流されて見事に地金に細く消え流れていた。
刃文は緩やかなのたれに小具の目が交じっていた。帽子は乱れこむ地蔵帽子で返りが深かった。刀身は厚く、心地よい安定感があった。
藤倉は刀身を丁寧に鞘に戻し、刀を掲げて深々と頭を下げた。
◆邪斬の兄弟刀 有楽来国光
「久志本さん、まさかと思うけど来国光?」
「お見それいたしました。一目でお分かりになるとは」
「悪くても重文、下手すると国宝級に見受けられるのだけれど」
「恐れ入ります」
「それで、何故それを君が?」
ここが一つの岐路、勝負所。
千剣破は思った。はたして全てを打ち明けるのか、それとも実家の蔵で見つかったことにするのか。
千剣破は注意深く恩師の様子を伺った。そして口を開いた。