80 千剣破の眠れぬ夜
ホテルに帰った剣奈は早速母に電話した。
「もしもし、おかあさん?剣人。帰ったよ?」
「おかえりなさい、剣人。楽しんできた?」
「うん!すっごく楽しんだ。亀さんの駅見てね、鬼の城登って桃太郎弁当たべてね、それから鬼退治の山いってね。あと、「えいえいおー」の場所とお祈りする場所と凸凹の川原いったの!すっごく楽しかった」
「そう?それはよかったわね。ケガとかしなかった?」
「うん、ちょっとケガしちゃったんだけど、神様が治してくれたの。明日ちゃんとお礼してから帰ろうと思って」
また怪我を?千剣破は眉を顰めた。
千剣破は幽世での剣奈の演武を思い出していた。剣人が剣奈になった時の剣技は凄まじいものだった。千剣破は目前で行われた剣奈の動きに度肝を抜かれた。
あれほどの剣技をもってしても怪我をする?どれほどの強敵と戦っているのだろう?
母のことを心配してか、剣人は敵との闘いのことを詳しく話さない。問いただすべきかどうか悩みつつ、千剣破は言葉を発した。
「そう?あんまり危ないことしたらだめよ?お母さん心配だから」
剣人に問いただしたとしても、きっと剣人語でわけのわからない剣人ワールドの説明を聞かされるだけだろう。
次に会ったとき、来国光さんにしっかりと何があったのか問いたださなければ。そう決意する千剣破である。
「大丈夫。ボク、選ばれたヒーローだから。ちゃんと使命を果たすよ!」
それが心配なのである。剣人の言う「使命」を果たすとは、地球を蝕む宇宙からの恐ろしい幽玄生命体を相手に闘うということである。
邪気を放置すれば大災害が起きるのは理解した。大勢の人の命が奪われるのも理解した。
その上で何故剣人だけが危ない目に遭わないといけないのか?毎回怪我をするような危険極まりない闘いを何故剣人だけがしなければならないのか。そこが納得いかないのである。
大人たちが警察で、あるいは政府レベルで、なんなら国家間で協力して対策チームを組むべきではないのか。そう思えてならない。
しかしである。こんな恐ろしいことを公表する危険性を思うと、おいそれと公表する気になれない。
荒唐無稽なおとぎ話をするとして千剣破や剣人が狂人扱いされてしまうだけではないのか。よしんば信じてもらえたとして剣人と来国光が実験動物扱いされるだけではないのか。公表した場合のリスクを考えるとうかつに他言する気になれないのである。
今は心配して見守るだけしかできないのか。千剣破はため息をついた。
ともかく、やらなければいけないことは考えておこう。千剣破は考えを切り替えた。
直近の問題としては来国光自身にかかわる問題、そして剣人の性別問題がある。
来国光については「銃砲刀剣類所持等取締法」、いわゆる銃刀法が問題となる。
「何人も銃砲又は刀剣類を所持してはならない」
法律の言う刀剣類とは「刃渡り十五センチメートル以上の刀、やり及びなぎなた、刃渡り五・五センチメートル以上の剣、あいくち並びに四十五度以上に自動的に開刃する装置を有する飛出しナイフ」である。
刀剣を持つことができるものは、職務に必要な人、そして許可を受けた人である。
今の剣人は法律的には銃刀法違反になってしまっている。それだけではない。剣人の所持している刀は未発見の名刀である。大騒ぎにならないはずがない。
銃刀法は言う。「都道府県の教育委員会は、美術品若しくは骨とう品として価値のある火縄式銃砲等の古式銃砲又は美術品として価値のある刀剣類を登録することができる」と。
ただし登録の前に登録審査委員の鑑定を受けなければならない。
所持が認められる美術品として価値のある刀剣は「武用または鑑賞用のために日本刀製作方法にのっとって製作されたもので、素材の一部に玉鋼を用い鍛錬し焼入れを施したものに限られる」とある。
来国光ほどの名刀であれば審査会を通らぬはずはなかろう。警察への発見届が通り、審査会の審査が無事終われば、あとは文部科学省令で定める手続に従い、都道府県の教育委員会に登録の申請をすればよい。
とするとである。「実家の蔵から家宝が見つかり、見つけた千剣破が所有する形にする」、という解決の道が開ける。
剣人は自分が所有者として登録したいと駄々をこねるだろう。しかしさすがに無理である。
もちろん千剣破が所有者になったとて、剣人が屋外で来国光を所持しているのが見つかれば銃刀法違反である。
しかし「未発見の名刀が不法所持されている事件」に発展するより、はるかにましである。
「親が登録した刀を子供が興味本位で持ち出してしまった」ということであれば、親の千剣破が大いに怒られればそれで済む。
幸い、先祖が大切にしていた刀剣をたまたま発見して登録する事例は珍しくない。
「遺産整理をしていたら突然日本刀が見つかってびっくりした」。「実家を大掃除していたら屋根裏から日本刀が見つかってびっくりした」。「祖父が大切にしていた先祖伝来の日本刀を受け継いだが登録証が見つからない」。いくらでも先例はある。
まずは先祖伝来の刀を「見つけた!」として、警察に連絡すれば良い。
警察で発見届の手続きを行い、鑑定を受けて登録すればよい。
正直に発見場所を申告するのであれば、「川の上流で川原に日本刀が突き刺さっていた」である。
しかしダムのそばで短刀がずっと刺さっていたと誰が信じるだろう。
長い時間、川原に放置されていたのであれば、刀身はボロボロに錆びているはずである。
刀は手入れをしなければ室内でも場合よっては1~2か月で錆びる。
釘を土に埋めると3日で錆が出始め、10日で完全に錆びる。
もし川原に突き刺さっている刀を発見したと報告があれば、それは昨日今日どこかから持ち込まれて放置されたと判断するのが合理的である。
そして鑑定してみれば本物の来国光である。大騒ぎになるのは目に見えている。
どこかで秘蔵所有されていた国宝・文化財級の刀剣が盗難された事件とみなされるだろう。
その場合、間違いなく剣人の手元に来国光は残らない。
千剣破の性格は品行方正である。虚偽の申告などしたくない。千剣破は遵法精神に満ちた人なのである。
しかしである。己の潔癖を貫くことで何百人、何千人、いや、もっと多くの人が被害を被る可能性が高くなるのである。
来国光の話しからすると、剣人と来国光による地脈浄化活動が行われなくなると地球そのものが蝕まれ、死の星になる可能性すらある。
正直な申告は自分のエゴに過ぎない。何ら益がない。ではやはり実家での発見とすべきか。
そこで千剣破の思考はまた錆問題に引き戻された。
もし放置されていた先祖伝来の刀を見つけたのであったなら刀身が錆びていないのは説明がつかない。
そもそも川原で土に突き刺さっていた来国光の刀身がなぜ錆びていなかったのか。千剣破にもさっぱり理解できないのである。
来国光の不思議な力が働いているとして、ではなぜ茎にだけ錆があるのか。
おかしいではないか。いや、そもそも来国光は喋るのである。刀が意思を持っているのである。錆びている、錆びていないどころの話しではない。
とすると。千剣破は考える。登録されていないことを知らずに、先祖代々受け継ぎ、知らずに手入れしていたということにすればよいか。
公の記録にないのは、久志本家が刀を拝領した時の経緯から秘匿され続けていたからとすれば一応の説明は立つ。そのことは家訓で口伝されたと説明すれば良い。それならば家訓に従い、里帰りごとに手入れしていたとして不自然ではないか?
なにしろ来国光である。ものがモノだけにその話は通るかもしれない。そして手入れをするうちにふと思い立って「銃砲刀剣類登録証」を探したけれども見つからず、再交付の手続きをしたと。
しかし、しかしである。それだと錆問題はクリアできるかもしれない。しかし今度は遺産隠しとして莫大な相続税と延滞税を税務署から請求される可能性でてくる。
金額の多寡ではない。久志本家に脱税の汚名を着せるわけにはいかない。
もはや千剣破の心は支離滅裂の堂々巡りに陥っていた。
うまい解決策を見つけたと思えば、別の問題が浮上する。お手上げである。
無理もない。喋る来国光を見て、さらに幽世にまで行った千剣破ですら、今でも信じ難い内容なのである。
ましてや他人が信じるか?いや無理である。
しかしである。千剣破が信じられる信じられないは関係ない。
喋る刀剣は確かに存在するのである。幽世は確かにあったのである。性別の変わった我が子を確かに見たのである。
今でも信じがたい。自分の気が狂って幻覚を見たとすら思う。しかし事実は事実なのである。
来国光の使命が真実であるならば、今の世にいかに方向性を違わず、そして騒ぎも起こさずおさめることができるのか。なんとか解決策を考え出さなければならない。
千剣破の眠れぬ夜は終わりそうにない。