78 祝詞の風 乙女舞の神事 地脈の浄化
『さて、はじめようかの』
「うん」
打穴川で身を清め、衣服を着替えた剣奈は祝詞に来ていた。
…………
時は少し遡る。鬼を倒した後、来国光は邪鬼の棲み着く場所を探していた。
来国光は考えた。現世から幽世へ人々の思いが届き鬼の怪異の繭となった。現世と幽世は位相が異なる。しかしそれらの位相は完全に離れているわけではなく接しては離れ、離れては接する。
彼たれ時、逢魔が時。まさに現世と幽世の位相が近づくときである。位相が接した時、思念はいとも易く位相の境界を越える。
「戦場で散った戦人の残留思念の残滓」や人々の「鬼への怖れ」。幽世と現世で同時存在性を示す邪気はそれらを引き寄せた。そして取り付いた。
それらの思念を繭として黒震獣を実体化させた。鎧武者のみならず鬼の怪異までも実体化させた。
であるならば。来国光は考える。邪気が棲み着くとすればどこか?
人が祈り、言い伝えを信じて想い続けてきた場所ではないのかと。「神への感謝の祈り」が捧げられ、伝承を信じた人々が「希望と未来を想い続けた」、そんな想いと気が積み重ねられた場所ではないかと。
その想いは位相が重なるごとに現世から幽世にも伝わる。それらがたどり着き核となる場所は邪鬼にとって忌々しい場所となるはずである。邪鬼にとって忌々しく消し去りたい場所となるはずである。
この地でそれはどこか?来国光は熟考した。
『そうじゃ!』
来国光の心にある場所がひらめいた。
三保村誌は言う。「村民大に喜び村内安全の祝詞をあげた。其の處が所謂祝詞である」と。
人々が神に感謝して祈りをささげた。その伝承が残る「祝詞」。そここそ邪気にとって目障りで消し去りたい場所のはずではなかろかと。最も穢したい場所ではなかろうかと。
来国光の予感は的を得ていた。邪気はそこにいた。
…………
『我を胸に抱き、四方拝を行え』
「はい!」
『我を抜刀し舞え。巫女剣奈よ』
「はい!」
剣奈は来国光を両手で天に掲げた。そして膝をつき首を垂れて天と大地に祈りを捧げた。
剣奈は立ち上がり、来国光を天に向かって突き上げた。剣奈は天を仰いだ。目は伏せられ祈りが込められた。剣奈の周りの空気がピンと張り詰めた。
剣奈は瞼を開いた。そしてゆったりと舞い始めた。緩やかに四方拝と同じ順でゆっくりと回転しつつ動きはじめた。神に捧げる乙女舞、巫女舞の神事が始まった。
剣奈は緩やかに回転しつつ移動した。最初は中央、そして北東南西と円を描くように移動し、また中央に戻った。
来国光を右手に持ちながら緩やかに回転は続けられた。舞いの中で来国光は徐々に下げられた。地面に触れそうになるまで下げられるとまた天に向けて来国光が突き上げられ、そして再び天から地へ緩やかに下げられていった。あたかも螺旋の動きで全ての空間の邪を祓い清めていくように。
風が吹いた。清らかなるそよ風に吹かれながら剣奈は舞った。風が剣奈の髪を、衣服を、優しく揺らした。
剣奈の乙女舞によってその場の空間全体が清められ浄化されていった。
『神気の場が築かれるほどに、大気が中に現れし闇色に深く沈む幾筋もの線を滅せ』
「はい!」
清らかになった気に炙り出されるように空中に黒い筋がいく筋も現れていた。剣奈は円の動きで回転しながら来国光を持つ右手を黒い筋に重ねるように緩やかに空間を斬っていった。
来国光に斬られた空間では黒い筋がほのかに白黄に光った。黒い筋はどんどん浄化されていった。
剣奈は舞い続けた。すべての現れたる黒い線を丁寧に浄化していった。
やがて全ての邪気の線が空中から消えた。地面から黒い靄が炙り出されるように漏れ出す気配が感じられた。
『地に我を突き刺し、祈りを深めよ』
「はい!」
剣奈は、黒い靄が漏れ出す地面の中央に、来国光を突き刺した。黒い闇が消えますようにと強く祈りを込めた。
『追唱せよ!』
『「掛けまくも綾に畏き天土に
神鎮り坐す
最も尊き 大神達
ことわけて
吉備津彦命
瀬織津比売命
速開都比売命
気吹戸主命
速佐須良比売命
の大前に
慎み敬い 恐み恐み白さく
今し大前に参集侍れるものどもは
高き尊き御恵みをかがふりまつりて
辱み奉り尊み奉るを以って
今日を良き日と択定めて、
禍事の限を
祓清めむと、
根の国、地のもとに持ち込まれたる
諸々の禍事・罪・穢・邪の気、有らんおば、
持ち去りて
祓ひ給ひ 清め給えと白すことを、
聞こしめせと
恐み恐み白す』」
剣奈と来国光が白黄の光に包まれた。来国光の刀身全体から地中に神気の光が放れた。光は闇をとらえ、どんどん浄化していった。
剣奈は黒い闇がどんどん薄まり、そしてある一点に向かって収束していくのを感じた。禍々しく脈動する黒い珠が感じられた気がした。
剣奈はその黒い珠を取り囲むように神気を集めていった。黒い球は脈動を強め、神気を跳ね返そうとした。
しかし黒の脈動は白黄の光にのまれ、弱々しくなっていった。そして黒い脈動する珠は光に溶けて消滅した。
この場所に巣食う邪気は完全に浄化されたのである。
「終わった?本当に?」
剣奈は今回の闘いを振り返った。はじめに黒震獣犬が現れた。難なくやっつけることができた。最後に獅子が現れたが、勢いのまま無事討伐できた。
ほっとして食事を終えて巫女舞に取り掛かろうと思ったら尼子方黒震獣念が現れた。それどころか鬼山城方の黒震獣念まで立ち向かってきた。人の形をしていた。
「人は殺したくない」。深い葛藤の中、剣奈はようやくそれらの人型黒震獣を討伐した。ほっとした。今度こそ終わったと思った。
そしたら鬼が出たのである。黒く巨大な震獣鬼が忽然と現れた。
今回の闘いでは剣奈が「勝ち得た」、「やったか」、そう思うごとに新手が現れた。
苦戦の末やっと新手に勝った。そう思った。なのにその安堵の中、鬼が現れたのである。
苦戦の連続だった。剣奈は満身創痍になった。剣奈の身体は幾度も裂かれ、血潮を噴き出させた。
今度こそ終わりだとは思えなかった。巫女舞いを終えたあとも不安が残った。
そんな剣奈を暖かな光が包んだ。
「暖かい……」
目が潤み、剣奈の頬を涙が伝った。剣奈の張り詰めていた気が緩んだ。剣奈は瞳を閉じ、ただ静かに涙を流しつづた。
風が吹いた。
剣奈の髪がキラキラと輝いて風に流れた。涙も風に舞った。白黄色の微少な粒子が剣奈から放たれて舞い流れていった。
桃太郎伝説の地で鬼が討たれた。今回の闘いで最後の決め手となったのはなんだったか。
来国光は思い起こしていた。強大な黒震獣鬼の左目を貫いた白黄の針、あれこそが今回の闘いの幕引きとなったのだと。
桃太郎伝説ではどうだったか。吉備津彦命は恐ろしい温羅に苦戦を強いられた。まさに今回剣奈が黒震獣鬼に苦戦したように。
吉備津彦命と温羅との闘いの最後の決め手はなんだったか。
来国光は考えた。そして戦慄した。吉備津彦命の放った二重の矢が温羅の左目を貫いたのが勝利の決め手であったのを思い出したのである。
今回の闘いで剣奈は九分九厘敗北していた。そんな剣奈がなぜ鬼を討てたのか。なぜワシが勝ち筋を思いつけたのか。
来国光はきらめく風を見つめ続けていた。
風が微笑した。そんな気がした。