69 満身創痍と背後の視覚、心眼あるいは盲視の境地
『剣奈、どこでそのような動きを覚えた?ワシが教えた動きにはなかったじゃろ?』
来国光の考えでは敵に背を向ける発想はない。敵に背を向ける。それは逃走する時である。闘いの流れで一時的に背中を敵に晒す時はある。しかし基本は前面、正面を敵に向ける。
何故か?単純に人は正面のほうが強いからである。特に重要なのが視界である。敵の動きが見えているのと見えていないのとでは対応に大きな差が出る。
また人体構造上正面と背面では闘いの柔軟力、対応力に大きな差がある。人の攻撃の要となる腕、足は前面に広い可動範囲を持つ。一方背面にはほとんど可動範囲がない。
つまり正面と背面では格段に視認性、攻撃力、防御力がちがう。確かに正面には人の急所は多い。しかし急所を狙われたとしても、それを察知し、防御し、攻撃に転じればいいだけである。
従ってどの武道においても敵に正面を向けるのを基本とする。正確には真正面でなく、敵の攻撃を避けやすくするため半身であるが。つまりある程度は敵に向かって角度はついている。
敵に背面を向けて立つ構えは武道には存在しない。
「そうだっけ?なんかね、体が勝手に動いた」
そうだった。剣奈は馬鹿であるのを忘れていた。闘いの理など考えてはいなかった。
『剣奈よ、闘いで敵に背を向けるのは危険じゃぞ?人は後ろには目がないし、腕や足は後ろ側には曲がらんでな』
「確かに!あ、でもボク、何でかわからないけど後ろの敵の動きが見えるよ?」
来国光は驚いた。それは達人しか出来ない業である。
武道や格闘技において「気配を読む」、「間合いを感じる」、「無心直感の境地」、「心眼」などと表現される感覚を体得する人がいる。
柳生新陰流や柳生心眼流で言われる「心眼」の境地である。宮本武蔵が「観の目」と表現したものも類似の境地であろう。
これは目をつぶっていても、目で直接見なくても、相手の動きや気配、殺気、本質を感じ取る力を指す。相手の意図や動作、場の空気を察知する能力である。
この能力は物語や想像の世界、あるいは精神論だけで科学的には荒唐無稽か?
この感覚は科学的にも真剣に検討されている。視覚以外の感覚、すなわち聴覚、皮膚感覚の研ぎ澄ましなどが、無意識的にそれまでの闘いの経験と組み合わさることで、「闘いの流れを読む」、「敵の動きを察知する」、「空気を読む」などが可能となると考えられている。
脳医学的には目をつぶっていても敵の動きがわかる、あるいは「見えなくても敵の動きがわかる」という現象は「盲視」と呼ばれる。
盲視はもともとは視覚野に障害がある人が、意識的には見えていないのに無意識下であたかも視覚情報を利用しているかのような現象をさす。
厳密には脳の一次視覚野(V1)を損傷した患者において、本人は「見えていない」と自覚しているにもかかわらず、視覚刺激に対して無意識的に反応できる行為である。
ちなみに「V1」は「Visual area 1(第一視覚野)」の略である。「線条皮質(striate cortex)」とも呼ばれ、哺乳類の後頭葉に位置する。ここは網膜から送られた情報を最初に受け取って処理する脳領域である。視覚情報処理の出発点となる非常に重要な領域なのである。
健常者でも無意識下で周囲の動きや気配を感じ取ることができる場合があることから言葉の意味が広がった。
見えていないと感じているにも関わらず、飛んできたボールを避けることができた事例は数多く報告されている。また目をつぶっているのにも関わらず光った場所を指差す行為も知られている。
「盲視」は聴覚、触覚、直感、経験など視覚以外のあらゆる人体機能や経験、感覚を総動員することで得られると解釈されている。それらを脳が「無意識下で処理」することで行われると。
剣奈の場合はどうか?何故そんなことが可能なのか?剣人ワールドなので来国光には理解不能である。
しかし来国光に推測できることがある。それは剣奈の周りにわずかに剣気や神気が漂っていることと関係する。
剣奈の周りになぜ剣気や神気の漂いがあるのかはわからない。本人が無意識的に周りに放出しているモノなのか?剣奈が剣気を身体に流すことで剣奈の体表に剣気が薄く纏われるが、ソレが身体から剥がれ落ちたモノなのか?それともご加護なのか?
理由は分からないが剣奈の周りにそうした「気」が漂っているのは事実である。
来国光は考えた。満身創痍の剣奈は自己生存防衛反応として、剣奈の周りの気を揺らすナニカを無意識下の感覚で察知できるようになったのかもしれないと。
我々は知る。レーダーは対象に跳ね返ったマイクロ波を検知して敵などを察知しているのだと。ソナーの場合は放たれるのは超音波である。潜水艦や漁船などは超音波のはね返り、エコーを感知して地形を読み、敵や魚群の動きを知る。
ちなみに剣奈が体得した「視覚に頼らない心の目」、「背後を見る目」は津山線でトナラーに絡まれた際の『剣奈は女性としての危機管理を学んだ方がよいの』という来国光の言葉が大きなきっかけである。
来国光の言葉が剣奈の潜在意識下で「危機管理」、「敵を察知する力」、「気配察知」、「敵探知」などへの探求心を芽生えさせたのである。
来国光はその時、剣奈が斜め上の的外れな考えにふけるのを微笑ましくみていた。
それがまさか剣奈が達人と同等の感覚を会得することにつながろうとは。
その時の来国光は想像だにしなかったのである。
『そうなのじゃな。しかしワシはヒヤリとしたぞ?人の背面には首や背骨といった急所があるが、背中から攻撃されればほぼ防げぬでな』
「ごめん、ごめん。でもふと試したい技をひらめいたんだ」
『なんじゃと!修練もせずに実践でいきなり新技じゃと!?』
「にひひ。そう?ボク、新技覚醒しちゃったかぁ!ケントウルトラスーパーフラッシュ!瞬時にひらめいた!ボクの新必殺技だよ!」
剣人語、剣人ワールド炸裂である。しかし剣人、いや剣奈よ、今名付けた必殺技、次まで覚えていられるかな?確信をもって言おう、否であると。
さてそれはともかく剣奈、疲労困憊である。休憩をはさんだとはいえ前哨戦で二〇匹の黒震獣犬、しかも一匹は獅子が如き強敵であった。
続けては十体の弓兵からの間断ない射撃、切岸からの転落、十体の槍兵との戦闘、そして十体の隊列との戦闘である。
疲労困憊した身体。擦り傷だらけ、打ち身だらけの全身。剣奈は満身創痍であった。
極度の緊張状態による脳内物質の噴出、そして幾度にも渡る剣気の吸収と全身への浸透により剣奈自身に疲労の自覚はない。
しかし何かきっかけがあれば一気に疲労は吹き出し動きが鈍るだろう。ダメージを蓄積したボクサーがボディブローを打たれ、あっけなくリングに沈むように。
『剣奈、調子はどうじゃ?』
「調子むんむん、ドッカンドッカン、フルパワーだよ!」
調子よさそうである。人は闘いによる恐怖や緊張をきっかけとしてアドレナリンやエンドルフィンを脳内に噴出させる。無意識の防御機構である。それらにより、気分は高揚し、万能感にあふれる。
痛みは意識されることなく、いや痛みさえも気分を高揚させる快感に変換されるという。
自信に満ち溢れ、負ける気がしなくなる。「ゾーンに入る」と言われ状態、まさに今の剣奈である。
しかし来国光は恐れた。そうした高揚感、万能感、無敵感にあふれた状態こそ窮地を招くと。
向こう知らずの若者が、あっけなく戦場で命を落とす。戦場でよくあることである。
恐れを知らぬ若者は自分が窮地だとわからないまま蛮勇を振るう。そしてあっけなく戦場の露と消える。
ある者は老獪な罠にはまり、ある者は疲労が噴出し、ある者は味方をかばい、またある者は実力差もわからず強敵に挑む。理由はさまざまであろう。しかしその末路は一つ。生の喪失である。
『さすが剣奈じゃ。若いのぉ。さすがじゃ。しかしのう、切り傷、青あざ、赤あざだらけじゃ。弓兵との闘いに備えて必殺技を伝授したいのじゃが、その前に万全の状態になった方が威力も増すと思うぞ?』
「うわぁ!必殺技!カッコいい!うんうん。ハイヒールかけて最高のコンディションに戻さないとね!」
必殺技伝授を餌に剣奈の治癒回復をもくろむ来国光。あっさりと誘導されたチョロ剣奈であった。
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