56 愉悦のクニちゃん
散々悩んだ末、千剣破はその晩、帰京することにした。岡山20時50分発の東京行きバスに空きがあったからだ。新宿バスタには翌朝6時45分到着予定である。
勤務先には、息子がケガをしたからと、無理を言って休んだ。急な休みだったので仕事も中途半端のままだった。剣奈に付き添いたい気持ちはかなりあったのだが、責任感の強い千剣破は翌朝から出社することにしたのだ。会社には息子の怪我が思ったほど大したことがなかったのでと伝えた。
千剣破の岡山行きは零泊三日の強行スケジュールとなった。帰りの夜行バスは四列シートのブランケット付き。プライベートスペースが保てる座席ではあった。しかし後ろの乗客のことを考えるとあまり倒すわけにもいかず、疲労はたまった。
翌朝会社にて。目の下にクマができて明らかにヨレヨレの千剣破。上司や同僚は急な休みに仕事のシワ寄せはあったものの、彼女のそんな姿をみて心配の言葉をかけるのだった。
さて、千剣破を見送った夜、剣人と来国光は作戦会議を開いた。千剣破から必要ならあと二泊しても良いとの許可はもらっていた。
プツリ
シュルッ
剣奈は来国光の鯉口をきり、静かに抜刀した。そして、丁寧に来国光と鞘をウコン布の上に置いた。
続いて剣奈は桐のお手入れ道具入れから小さな金槌を取り出した。目釘抜きである。剣奈は目釘抜きの頭部先端を回した。
キュッキュッ
目釘抜きの頭部から細いピンが抜けた。剣奈は細いピンを来国光の柄にある目釘にそえ、慎重に金槌で叩いた。
コンコンコンコン
目釘が徐々に奥にずれる感覚があった。剣奈は途中で金槌を置き、右手にピンを持ち直し、押した。
クイッ クイッ
ポトリ
抜けた目釘がウコン布に落ちた。
剣奈は左手で柄を握り、刀身を傾けた。そして右手で自分の左拳を叩いた。
トントントントン
柄から刀身が浮いた。
「へへへっー。上出来、上出来」
『剣奈よ、自分で出てもよいのだぞ?』
「何言っんの、クニちゃ。ボクとクニちゃの仲じゃん。水臭いなぁ。それにね、勇者は自分の武器は自分で手入れするもんだよ。オリハルコンオイルを塗らないと、刀身が弱くなってしまうからね!」
行為自体は合ってるのだが剣人語の解読は大変だ。しかし、絆で繋がった片割れに手入れされるのは良いものだ。来国光は剣人語の読解は諦め、それでいで機嫌よく剣奈に手入れの手順を伝えていくのだった。
『次は、鍔と鎺をはずすのじゃ。ワシの柄を外す時、左手の指で鍔の根元をそっと押さえなが抜くのじゃ。鍔の根元に切羽という金具があるからの。落とさんよう慎重に柄を外すのじゃぞ』
「ラジャー!」
剣奈は母が時々使う謎言葉を発した。何となく「分かった!」という意味だと解釈していた。来国光はもちろん分からない。
剣奈は左指人さし指と親指で切羽を支えつつ、丁寧に柄を抜いた。そして慎重に切羽外した。続いて鍔を両親指で支えながら緩めた。持ち手を変えながら、鍔、切羽、鎺を外した。
『そうじゃ、そうじゃ、やはり剣奈は手入れの才があるのう』
「くふふふふふふ」
来国光は剣奈を褒めることは決して怠らない。来国光のチョロ剣奈操縦術は、もはや熟練の域に達していた!
来国光の再指導のもと、剣奈は刀をばらし、拭紙で刀身を拭いた。丁子油を新しい拭紙に垂らし、丁寧に刀身を拭いた。
「クニちゃ、この油、いい匂いがするよね。甘くてとってもいい匂い」
『そうじゃろ。やはり丁子油が一番じゃ』
「クニちゃの甘い匂い大好き!」
『うむうむ。ワシも剣奈のことが大好きじゃ』
丁寧に刀を拭った剣奈は息がかからぬよう顔の向きを変えて一息ついた。「ふー」。
刀身のお手入れは終わった。次は拵の再装着である。剣奈は鎺をはめ、切羽、鍔、切羽を茎から通していった。続いて柄に刀身を入れ、目釘穴を調節して目釘を打った。最後に刀身を鞘に納めた。
手入れし、手入れされ、二人の絆はますます強くなっていくのであった。
来国光のお手入れを終えた剣奈は、、いつものやり切ったドヤ顔であった。ニヤニヤすらしていた!褒められるのを尻尾フリフリで待っていた!
『気持ちよかったぞ、剣奈。剣奈の手入れがなによりじゃ』
「そうでしょ!ボクもお母さんに体洗ってもらうと、とっても気持ちいいんだ。クニちゃの体はこれからもずっとボクが洗ってあげるね!」
剣奈は素直で良い子なのだ。ちょっと甘えたで、考えなしで、調子乗りで、チョロくて、ビビリで、泣き虫で、承認欲求が強くて、危機管理ができていないが!
剣人は本当に優しい良い子なのである。