53 ざぁこ、ざぁ――こ
千剣破は来国光に尋ねた。
「来さん、これからの予定は?」
『出来ればもう少しだけ、あと一回だけで良い。ここを離れる前に剣奈に実戦を積ませたいと思うておる』
来国光は考える。前回の闘いでは、確かに地脈に巣食う邪気を浄化することができた。しかし剣奈には敗北の記憶として刻まれているだろう。このままでは剣奈の心から黒震獣への恐れが拭えない。
恐れと敗北の記憶が心に深く定着してしまうと、次からの闘いに大きな支障をきたす。黒震獣の殺気を浴びると恐怖で無意識に身がすくむようになるだろう。
そうなると敵の前に体が硬直して棒立ちになる。敵の攻撃を避けることができずまともに食らってしまう。勝てる敵にも勝てなくなる。すなわち負け癖がついてしまう。
来国光は剣奈に敗北の記憶が定着する前に何とかして勝利の記憶で上書きしたかった。
そうなのだ。黒震獣への恐怖に逃げ出した剣奈ちゃん。このままだと確実にマケヒロ街道まっしぐら。モブ敵に、「ざぁこ、ざぁこ」と侮られ、涙ぐみながら「剣奈はザコでした。ザコが粋がってすいませんでしたぁ」と、土下座する未来しか見えない。
愛するお母さんと一緒に帰郷してもらうつもりだったがこれはいかん。頑張れ剣奈!
「それは必要なの?」
『うむ。先の闘いは厳しい闘いでな。その時の苦戦の記憶でなく、勝利の記憶を持ち帰ってもらいたいのじゃ。今の剣奈であれば確実に勝てるでな』
さすがにボロ負けして泣き逃げしたとは告げられない来国光である。
「そう言えば怪我したって電話で言ってたわね。来国光さんが治療してくださったの?傷跡見当たらないようだけど」
『それがの、あの闘いではワシも消滅しかかっておっての。剣奈がどうやって己が身体を癒したのか、その場面を見ておらぬのじゃよ。想像はできるがの』
千剣破は血の気が引いた。来国光は確かな経験を持ち、神々しい輝きを持っている。その彼が消滅しかけるほどの敵。相手はとてつもなく強いのではなかろうか。そもそも素人の剣奈にははなから無理ではないだろうか。これはやはりお断りするべきではないだろうか。千剣破の心の天秤が辞退に傾いた。
闘いを辞退すれば「現世の剣人の身体」は持たないかもしれない。現世で剣人の身体は朽ちて難病として命を落とすかもしれない。けれどすぐに敗北して鬼籍に入るよりはずっとマシではないだろうか。こんな小さなわが子をそんな危険な目に合わせたくない。やはりお断りしよう。辞退を決心する千剣破である。
「あの、大変申し訳ないのですが、、」
「大丈夫!あの時はボクも初めての闘いでさ、闘いの前から敵を舐めちゃってたんだ。それなのに実戦になったらうっかりビビっちゃってさ。全エネルギー使ってケントウルトラファイナルストライクを放出しちゃったんだよ。オーバーキルもいいとこ。それでエナジー枯渇起こしちゃってクニちゃが姿を保てなくたったんだ」
「そ、そうなの?」
「ちゃんと思い出してみたら、クニちゃの一撃で敵を瞬殺できてた。ボクがもっと冷静に闘えてたら確実に勝ててた!」
鼻水を垂らして泣きながら逃げ出したマケヒロとは思えぬ殊勝なセリフである。
「剣奈、怪我はどうやって治したの?怪我したっていってたわよね?」
「それね!ボクが呪文をとなえたら、聖なるパワーがみなぎってさ。気がついたらオートヒールを発動していたんだ」
ドヤ顔の剣奈であった。
一方の千剣破は剣人語が全くわからない。千剣破はふと思った。いっそ思考放棄してしまいたい。ダメダメ。それはダメよ。千剣破は考え直した。なんとか考えないと。今考えないとダメ。
再起動した千剣破は、幽世に来た時の事を思い出した。祝詞を唱えていた時の剣人はとても神々しかった。祝詞を唱える姿は神聖さを感じさせた。口から紡ぎ出される声には子供特有の幼さはあった。けれど高く芯を持った清らかな声だった。
祝詞を唱え終わったあと、剣人の身体は淡く光った。この世ならぬものの加護を得ていたようにしか見えなかった。
でも心配なのだ。
千剣破は再び来国光に向き直った。