52 覚悟
沈黙を破ったのは剣奈だった。
「お母さん、ボク、やるよ?だって、ボク、ヒーローに選ばれたんだよ。神様に導かれ、クニちゃに見込まれたんだよ。神様に認められて、クニちゃと魂でつながったんだよ。ボクしかいないんだよ。ボクがやらないと、地球が滅びちゃうんだよ。悪の組織をやっけて、ダンジョンのラスボスを倒さないと、世界に平和は訪れないんだよ!」
剣奈、持てる知識を使って必死の説得である。熱意は伝わるのだが、言ってることは滅茶苦茶である。何一つ理解しておらず、いっそ清々しい。
はっきり言おう。馬鹿である。しかし馬鹿は時に、途轍もないことを成す。それも事実である。
しかしさすが母である。カウンターの一撃は剣奈の心を揺らした。
「わかったわ剣奈。でもお母さん一つ心配があるの。今は男の子も女の子もそんなに変わらないと思ってるでしょ?でもね、すぐに女の子は女の子らしい体に変わっていくの。お母さんを見て?おっぱいが大きいでしょ?「剣奈」を選んだら、剣奈もすぐおっぱいが大きくなっていくわよ?女の子の一人旅は危ないわ。一人旅も、冒険も、もう許可してあげられなくなるかもしれないわ。女の子としての人生、それを受け入れるのかどうか、ちょっと向こうで一人で考えてきてくれない?」
「わ、わかった!」
胸が大きくなる。冒険も一人旅もできなくなるかもしれない。それは困る。明らかに動揺する剣奈である。剣奈はキョドキョドと挙動不審になり、向こうに走り去っていった。
さて千剣破である。千剣破の本心は剣奈抜きで来国光と話を再開させたかったのである。子供っぽい剣人語、剣人ワールドによるなし崩しで認めることは出来ない。しっかり来国光と大人同士の話をしよう。その上で決断を下そう。そう覚悟した。
剣奈には聞かせられず、確認したい大事なことがあるのだ。とりあえず剣奈には席を外してもらおう。そう考え、剣奈が一人で向こうに行くようにうまく誘導したのだ。
その場の話から追い出されたことに、剣奈はまるで気が付いていない。
「来国光さん?正直に言って?「剣奈」と「剣人」の入れ替わりは、何時までに決めなければならないの?」
『すまぬ。ワシは答えを持たぬ』
「えっ?」
『しかしじゃ、ワシの直感が言うておる。幽世に「剣奈」をすて、現世の「剣人」に戻るか、あるいは「剣奈」を受け入れるか?それは重い決断じゃと。「剣奈」を受け入れるならば、神に作り変えられた剣奈の身体にすべて収束していくのではなかろうかと』
言葉が抽象的でつかみどころがない。大事なことを隠されているような気がする。そうはいくものか。千剣破ははっきりと言葉に出して聞いた。
「単刀直入に聞くわ。「剣人」は生きているの?死んでいるの?」
『それも答えをもたぬ。しかし思うのじゃ。「剣人」の命はあの灰色の壁、ダムというたかの、あそこでで潰えておったのではと。じゃから潰えた「剣人」の器は徐々に滅し、現世の「剣人」もいずれは全て「剣奈」に置き換わるのではと。「剣奈」を捨てて現世に戻るならば、「剣人」の体は長くはないかもと』
驚くべき発言であった。まさかとは思っていた。しかし幽世に導かれたとき「剣人」はすでに命を落としていたのだ。現世で命が潰えていたからこそ幽世に行けたのだ。
でもあんなに「剣奈」は元気なのだ。命を失ったとは考えたくない。いや、命を失ったというのもただの憶測にすぎない。その時の「剣人」はただ、位相がかさなった幽世に足を踏み入れただけなのかもしれない。
幽世に足を踏み入れたマレビトが現世に戻ってきた話は少なくない。スコットランドの伝承では取り換えられた子供は生きている。条件を整えることができれば現世に戻されるという。
まだ絶望するのは早い。「剣人」が死んでいると決まったわけではない。「剣奈」を選んだとして、「剣人」の「男の肉体」が朽ちると決まったわけではない。
「剣人」は生きていて、「剣奈」を選んだとしても、現世では「剣人」でいられる可能性はまだある。
心に浮かんだ恐ろしい考えを打ち消し、千剣破は言葉を発した。
「そう?ありがと。私もそうかもって思ってた」
『ふむ』
「そうじゃない(剣人は死んでいない)かもしれないけれど、そうじゃなければ(剣人が死んでいなければ)とても嬉しいのだけれど、そうかも(剣人が死んでいる)という覚悟はしておいた方が良さそうね……」
千剣破は希望を持ちつつも、最悪の事態も受け入れる覚悟を決めた。剣奈が向こうから走ってくるのが見えた。
「あ、剣奈が走ってきたわ」
走りながら剣奈は大声で叫んだ。
「お母さん!やっぱボク、正義のヒーローだから世界を救うよ!」
深刻な話を終えた来国光と千剣破。悲壮な覚悟を決めた千剣破。しかしである。剣奈は千剣破の心配を斜め上に理解し、問題をすり替え、ヒーロー問題で判断を下した。
剣奈、いや剣人が、この時の選択の重大さに、本当に気づくまであと数年。「剣奈」を選ばなくても「現世の剣人」の声が低くならないかもしれない。体つきに女性らしい変化が現れ始めるかもしれない。ひょっとすると「女の子の印」が訪れるかもしれない。
現世での性別の変化が避けられないものであるのなら解決しなければならない問題は山ほどある。人間関係、法律、戸籍、生き方、教育、人生、それらをいかにそれをソフトランディングさせればいいのか。いかにすれば剣人の心が壊れてしまわないのか。
千剣破は何度も、何度も、脳内会議を繰り広げるのだった。
(第三章 対峙 完)