45 ひふみことば
「お母さん、ちょっとだけ待ってね。クニちゃにでてきてもらうから」
剣人、健気に気を使って。まさか暴力で従わされてる?ますます心配する千剣破である。
「あと、ごめんなさい。クニちゃが出てくる時、びっくりするかもしれないけど、ボクに任せて見てて欲しいんだ」
千剣破はわけがわからない。きっと息子は変態に騙されてる!そんな気がする。いざとなったら犯罪を犯してでも、剣人を守らないと。物騒な覚悟を決める千剣破である。
でもこれだけ一生懸命、剣人が訴えてくるのだ。頑張ってセリフとか、手品とか、あるいはなにかへんてこなポーズ、(本人はカッコいいと思ってるらしい?)を、練習してたのかもしれない。
危険がなさそうなら黙って見ていよう。なにか演出があったら、精一杯、驚きの演技をして、剣人を喜ばせてあげよう。そう思い直して、黙ってみていることにした。
来国光は、千剣破がまた騒ぎ出すことを恐れ、こっそりと、剣人の心にだけ、話しかけるのだった。
『剣奈よ、両手を天に掲げ、ワシに続いて追唱せよ』
剣人は両手の平を上に向け、頭を垂れ、両手を天に掲げた。
千剣破は、意外に様になってるわね。結構練習したのかしら、などと思いつつ、学芸会を見守る態勢に入った。
剣人の声が朗々と響いた。どこか神々しい響きがあった。
「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」
「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」
「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」
「布留部 由良由良止 布留部」
剣人が唱え終わった。すると、剣人の体が淡い光に包まれた。
天に捧げられた両手のひらには、いつの間にか短刀が一本乗せられていた。
驚いてあげるつもりだった。拍手をして、すごい!と感心してあげるつもりだった。けれど、あまりにもの演出に、千剣破は本気で心を奪われ、呆然と息子を眺めていた。
千剣破は知っていた。剣人が唱えたのは、「ひふみことば」だと。神様に祈る言葉。遊びに使うなんて不謹慎な!最初はそう思いもした。けれど、息子のどこか神々しい姿に、本気で見惚れてしまっていた。
いや、剣人がどこかおかしい。清冽ではあるけれど、、妙な色気がある。かすかに残光がのこる髪は、サラサラに流れ、頬は上気して薄紅に染まっていた。体は僅かに丸みを帯び、肌は清らかに瑞々しい。
顔立ちは確かに剣人だ。いや剣人の面影を残した誰かだ。姉や妹がいればこんな顔に、、え?姉か妹?千剣破は自分の心に浮かんだ言葉が、妙な説得感を持っていることを自覚し、狼狽した。
「剣人?剣人よね?」
「いやだなお母さん、びっくりしすぎて、ボクの顔忘れちゃった?」
うまくやり遂げた達成感。剣人、いや、剣奈は誇らしげに、母に微笑みかけた。
呆然とした千剣破は、剣奈に手を伸ばした。第二次性徴前の中性的な、けれど男子とは明らかに違う、柔らかな肌。まさかと触った胸は、平らだったけれど、少しだけ柔らかい気がした。手品じゃない。
ここに来て千剣破は初めて、なにかとんでもない事態が、起こっていることを感じた。