36 敗北
『大丈夫か?剣奈』
肩を抱いて震え続ける剣奈。見かねた来国光は、心配そうに声をかけた。
「はぁ、はぁ、はっ、はっ、はっ、はっ」
明らかに呼吸が短く、苦しそうだった。
恐怖に怯えた剣奈は過呼吸になっていた。
『剣奈よ、息を全部吐き出せ。ゆっくりでいい。ゆっくりと息を吐き出すのじゃ』
「はっはっはっはっ、はははははあぁぁぁぁーーっ」
震えるよに息を長く吐き出す剣奈。そして全ての息を吐ききった。
『よし、えらいぞ。そして息をゆっくりゆっくり、吸い込むのじゃ』
「ふひゅうぅぅぅぅーーっ。ふふぁーははぁー。ふひゅーーっ。ふはーーっ。ふひゅーー。はぁーーっ、、、。ありがと。クニちゃん。落ち着いたよ」
過呼吸になっていた剣奈であったが、来国光の助言により、呼吸が落ち着きを取り戻し、心も和らいできた。ところが。
『さて、疲れたところすまぬが、新手じゃ』
遠くから10匹の黒犬が、群れをなして剣奈に駆け近づいてきた。
「ひぃぃぃぃー!」
恐れ、おののき、目を見開く剣奈であった。そして、
「いやだ!いやだ。いやだ。いやだ。いやだ!」
剣奈は恐怖にかられ、右手に来国光を固く握りしめたまま、脱兎のごとく逃げ出した。怯え逃げる剣奈を見て、黒犬の群れはますます速度を上げた。群れの一部が静かに左手、風下の方に回り込んだ。
追う群は速度を落としつつ、唸り声を上げながら近づいてきた。陽動によって獲物を罠に落とし込む狡猾で残忍な知能。黒震獣はそんな悪意を、持ち合わせていた。
「いゃぁぁぁぁっ!怖いよぉぉぉぉ!」
涙で顔をぐしょぐしょにしながら、剣奈はフラフラになりながら駆け続けた。
バタリ
ズザザザッ
足元の石に躓いた剣奈は、肩から地面に滑り倒れた。飛びかかる一匹の黒犬。剣奈は無我夢中で振り返りながら、右腕を振りあげた。飛びかかった黒犬は、腹を縦に切り裂かれ、霧散した。
なんとか立ち上がる剣奈。今度は前方、そして左右から、黒犬が駆け寄ってきた。
「うわぁぁぁぁぁーっ!」
来国光を無茶苦茶に振り回す剣奈である。刃筋も立てず滅茶苦茶な振りは、当たるはずもない。3匹の黒犬は、いとも容易く刃を躱した。そして、一匹の黒犬の爪が、剣奈の左腕を切り裂いた。
「いゃぁぁぁぁぁ!」
鋭い痛み。焼かれるような痛み。剣奈は目を見開き、口を大きく開け、大声で叫んだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
3匹の黒犬が、剣奈の周りをぐるぐる回り始めた。左右にキョロキョロ目を動かす剣奈。剣奈の周りを走る黒犬の動きは陽動だった。本命は、背後。死角から首筋を狙い、2匹の黒犬が飛びかかってきた。
背中から来る、押しつぶされそうな圧迫感。剣奈は本能的に、その場にしゃがみ込んでしまった。戦場でパニックになり、ただしゃがみ込む行為。致命的な行為。しかし予期せぬ剣奈の動きに、背後からの2匹の攻撃は空を切った。
そこに、風下から忍び寄っていた4匹が合流した。9匹の黒犬は、一斉に剣奈に殺到した。
剣奈は両膝を地面につけたまま、口を開けたまま、ワナワナと、小刻みに開け締めするように、唇を震わせた。
殺到する黒犬の群れ。剣奈の喉笛が切り裂かれ、身が細々に食いちぎられる。それは、逃れられない定めのように思われた。