「人は斬りたくない」 苦い記憶 スーヴニール2
「一番きつかった闘いってどんなだった?」
藤倉が尋ねた。
「どの闘いもきつかったんだけど、あの闘いは苦しかった。ボク、「人は斬りたくない」あの時はその思いで心が一杯だったから」
剣奈が海原を遠く見つめながらつぶやいた。
『そうじゃの。あの時の剣奈は思い詰めておった』
邪斬がしみじみ思い出しながら言った。
「へぇ。アタシはぶっ殺してぇ奴なんぞ山程いるけどな」
玲奈は吐き捨てた。
「もし苦しくなければその時の話を聞かせてもらっても構わないかね?」
山木が遠慮がちに尋ねた。
「うん。いいよ。あのね……」
…………
『転がれ!剣奈っ!』
来国光が叫んだ。剣奈はその声に従った。今や剣奈は来国光を絶対的に信頼していた。理由は分からない。しかし来国光が「転がれ」といなら、転がるべきなのである。
剣奈は転がった。そして剣奈は見た。先ほどまで剣奈のいた場所に数条の槍が差し込まれているのを。
剣奈を突き刺すべく差し込まれた槍の数、実に九条。まさに四方八方から槍。いや、さらに一条多い。
尼子方槍兵は剣奈のいた場所を取り囲んで内向きに方円の陣配置を敷いていた。
もし剣奈が来国光の叫びに疑問を感じ、来国光に理由を問いただしていたならどうなっていたか?
剣奈は身体に九つの穴をあけられていただろう。槍に突き刺された剣奈は悶絶して絶命していたはずである。
剣奈の来国光への絶対的信頼が剣奈の命を救った。
『剣奈、奴らは人ではない。漂う思念の欠片に憑依しただけの黒震獣じゃ。人の姿に惑わされるな』
剣奈は躊躇していた。先ほどから来国光より説得はうけているのだが、どうしても人に見えてしまっていた。
しかし剣奈は己の固執を捨てた。「あれは人に見えるだけ。人じゃない」。心の中でそう繰り返した。
「クニちゃが言うなら、それはそうなんだ」。心を切り替えた。
あたり前のことじゃないか。魔物は人の姿をする。よくあることじゃないか。アニメでもよく見るシーンだ。「みんなどうして気づかないんだろう。ボクなら一目で気づくのに。みんな馬鹿だな」、そう思ってた。
馬鹿はボクだ。わかっててもどうしても人に見えちゃう。でも勇者は試練を乗り越えなきゃだめだ。お話でもよくあるじゃないか。盗賊を退治できるかどうかが最初の試練だって。
だからボクもやろう。人型のナニカを倒す強さを持つんだ。クニちゃ、気づかせてくれてありがう。
謎理論である。剣人ワールドである。そもそも盗賊は人である。
しかし剣奈は心を固めた。敵を攻撃する決意を固めた。
今目の前にいる尼子方残留思念は方円の陣崩れの配置であった。
剣奈は体に薄く剣気をみたすと、まず正面の敵を抜刀からの横なぎで薙いだ。
ヒュン。順手での抜刀だった。正面の敵が黒霧と化し空中に溶けた。
剣奈はすぐに逆手に持ち替え、駆けた。切岸の絶壁に向かって駆けた。
ヒュン、ヒュン。駆けながら刀はすれ違いざまに水平に薙がれた。あっという間に二体の人型黒震獣念が斬り割かれた。合計三体の人型黒震獣念が消えた。残七体。
剣奈は切岸に向かって跳躍した。そして、断崖の壁面を両足で蹴った。切岸に向かって入射角四十五度での突進である。出射角も同じく四十五度。すなわち突進した進行方向から見て、九十度の方向転換である。
切岸に向かって南東に駆けた剣奈は、今、切岸から南西方向に跳んでいた。そして着地。さらにその勢いのままの剣奈は疾走した。
ヒュン、ヒュン。剣奈は駆け抜けながらさらに二体の人型黒震獣念をすれ違いざまに横なぎで滅した。
わずかの間に二体の敵が消滅した。残る敵は五体。切岸下の敵総数は半数に数を減らしていた。
今、剣奈は北北西方向に向かって五体の敵を見据えていた。『北北西に進路をとれ』。映画のストーリーと奇妙な一致である。
剣奈は身に覚えのない恨みの思念を向けられた。剣奈は尼子氏側にも玉置氏側にも組していない。そもそも幼い剣奈はそのどちらの家名も知らない。
剣奈からすれば完全なとばっちりであった。冤罪であった。八つ当たりされたに等しい気分だった。
しかし剣奈の心に彼らに対する恨みはわかなかった。四五〇年以上も凝り固まった彼らの無念の念を利用した邪気に怒りを募らせた。
剣奈は願った。
能う限り彼らの凝り固まった思念を解き、輪廻転生を経て新たな生へつなげることを。
たとえ黒震獣念の核が残留思念の残滓であり、魂はすでに滅せられていたとしても。
剣奈は北北西に向けて突進した。陣形はもはや存在しなかった。烏合の衆だけがそこにいた。
本来であれば槍を持つ相手に短刀で闘うのは厳しい。射程の長い槍に対し、短刀は対抗手段が少ないのである。長躯でリーチの長いアウトボクサーに短躯ボクサーが一方的にやられるように。
しかし今の彼らは烏合の衆。せめて隙間なく槍を並べ一斉に突く、槍衾戦法を用いれば別だっただろうか。盾を持ち、密集からのファランクス戦法をとれば剣奈は苦戦したろうか。
いや俊敏性が違いすぎる。迫りくる刃を見極め躱す感性が違いすぎる。驚くべきことに剣奈はすでに観の目、あるいは遠山の目付を自然と体得していた。視覚ではなく、気配察知の感性で体得していた。
結果、彼ら黒震獣念は、やすやすと剣奈に間合いを詰められた。たとえ彼らに人の意識があったとして、なぜ剣奈が息のかかるような位置にいるのか、全く分からなかったであろう。瞬間移動してきたとしか思えなかったであろう。
ヒュン、ヒュン、ヒュン。残った五体の黒震獣念は、次々と剣奈にはらわたを切り裂かれ消滅していった。
切岸下の闘いが終わった。
剣奈は黙とうし、頭を垂れた。残留思念の残滓に人の魂は宿っていない。それはわかっていた。
しかし、四五〇年以上も残った強い思念に敬意をささげた。
そして「今はもう、平和な日本になったよ。生まれ変わって、楽しい人生を送ってね」、そう願った。
たとえ彼ら本体の魂はすでにそこに存在していなかったとしても。
…………
語り終えた剣奈は目を伏せ黙とうした。
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『剣に見込まれヒーローに』「第67話 切岸下の闘い」より抜粋