176 海から湧き出る灯 藤倉の不覚
「さてと。上がるか」
剣奈が鍾乳洞を進み、LEDランプの明かりが見えなくなったのを見届けた玲奈である。玲奈は洞窟を背に坂道を上がり、広場を目指した。
「ん?」
坂道を上がっていくと海が見えた。玲奈は海に「光るナニカ」が、いくつも現れるのを見た。ソレらは海から浮き上がり、ふわりふわりと鍾乳洞の方に引き寄せられていった。
お盆である。年に一度、魂があの世から戻るとされる時期である。そして…… 海はあの世とこの世の境界である。
(魂は海から帰ってくるか…… よく言われちぁいるが……)
玲奈がふと思った。そして今、剣奈の聖なる気にひかれ、霊が位相を超えて、現世から幽世に引き寄せられていた。
「おい、邪斬り、剣奈は霊とかに取りつかれちまったりするのか?」
玲奈が尋ねた。
『いや、大丈夫じゃろ。剣奈は神の強い加護を受けておるでな。霊如きに取りつかれはせんじゃろ』
来国光が玲奈と藤倉に向けて軽く返答した。藤倉が突然の来国光の声に驚き、そして弱々しく返答した。
「え、霊?幽霊がここにいるの?」
「そりゃお盆だしな。この海でたくさんの人が死んでるんじゃねぇの?霊が剣奈の神気に引き寄せられて、うようよと鍾乳洞に入っていったぜ?」
坂道を登りきり、広場に到着した玲奈が言った。
「たくさんの人か…… そうだね。戦争でも、地震でも、海難事故でも、この海でたくさんの人の命が失われてきたよ」
「だろ?」
(そのうちの一人がお主の魂の片割れじゃがの)
来国光が心で思った。しかし念話に声はのせなかった。藤倉が続けた。
「そういえばこんな噂を聞いたことがあるよ。淡路島の有名ホテルで多くの心霊現象が報告されていると。例えば夜中に足音が聞こえたり、電気が勝手に点いたり消えたり、鏡になにか影のようなものが映ったり……」
「それホントに幽霊か?アタイは幽霊が出るって噂されてる場所にもたくさん行ったけど、風の音とか、古い建物のきしみとかを怖がって心霊現象って騒いでたのも多いぜ?」
玲奈が言った。
「なるほどね。淡路島は古くから歴史がある島だからね。伝説も多い。そして実際に戦場になった古戦場もたくさんある。海に面してるし、神話が語り継がれている場所柄でもある。霊的なナニカが潜在意識に芽生えて、それが心霊現象の思い込みに通じるのかもしれないね」
「だろ?人間怖いと思えば何でも怖くなるんだよ。幽霊なんざ大体人の見間違えだろ?」
玲奈が吐き捨てるように言った。
「確かにね。でも…… 淡路島で水に関係する心霊情報がいくつか報告されているのは確かだよ」
「へえ、そうかよ」
「例えば一九三二年(昭和七年)に建てられた上田池ダムという古いダムが淡路島にあるんだ。そこの建設中に落石事故が相次いで、作業員が生き埋めになったそうなんだ。真偽は分からないけれど、その話はまことしやかに語り継がれているよ。昔のことだから建築技術が今ほど進んでなかっただろうし、当時は事故も多かったんだろうね。遺体は今でもダム本体部分の堤体の中に眠っているといわれているよ」
「へぇ。なら実際、霊がいるんじゃねぇの?死霊は生あるものを引き寄せるからな。もしそこに惹かれていく人がいるならホンモノかもな」
多くの霊を実際に見てきた玲奈が言った。藤倉はゾクリとした。玲奈の言葉に思い当たるものがあったからだ。
「実はね、その場所はある行為の場所としても知る人ぞ知る場所なんだよ。引き寄せられるようにそこに引き寄せられ、そして入水するという。そして自ら命を絶つ人も少なくないという噂もあるんだ。そして霊感が強い人の言葉もまことしやかに伝わってるよ?「ダムの上はとても居心地が悪い」とね」
藤倉が腕をさすりながら言った。
「へぇ。ならアタイは行かねぇ。わざわざ見たくねぇからな」
この世のものならぬものを見通す目を持つ玲奈が忌々し気に吐き捨てた。
「思い出し始めたら噂話をどんどん思い出してきたよ。南あわじ市の賀集には古いため池があってね。江戸時代の初めごろに作られたとっても古いため池なんだそうだよ」
「ため池か。島だもんな」
「そこは今は大日川ダムの一部になってるんだけどね。剣奈ちゃんが邪気退治をした諭鶴羽山の近くだよ」
「あぁ、あの辺りか……」
玲奈が遠い目をした。猿、そして九尾との闘いを思い出していたのである。そんな様子を見ていた藤倉が言葉を続けた。
「そう、そしてそこにはこんな言い伝えがあってね…… 夏のある朝、村人が朝の池の風景を美しく見惚れていたんだそうだ。そしたら、池の水面に美しい女性が現れたらしいんだ。男は大騒ぎして村中に言ってまわった。それで村では「美女の出る池」と呼ばれるようになったそうだよ」
藤倉が青い顔をして話した。
「美女が出た?オメェ、そりゃ、そいつら嬉しいんじゃねぇの?若くて穴がついてりゃあ男どもはみんなおったてるんだろ」
玲奈は軽蔑したように藤倉の股間を見た。しかし彼のナニカはおとなしいままだった。
「いやぁ。俺は人がいいなぁ。その池は深い洞窟とつながっていてね…… その美女は霊的な存在という話もあるんだよ。大蛇や龍神の化身だとね。そんな高位の霊的な存在は畏れ多くてただひれ伏すだけだよ」
「へぇ。剣奈が命を落としそうなときに妙な想像をしておったててやがったゴミカスとは思えねぇ殊勝なセリフだな。おおかたその蛇さんが剣奈の身体に入っていくのを想像してまたおったてるんだろうよ。このクズが」
玲奈は汚物を見るような絶対零度の目で藤倉を見た。藤倉は想像してしまった!そして…… ムクリ……
「けっ」
しっかり玲奈の言葉に剣奈と蛇のナニを想像してしまった藤倉である。そんな藤倉を玲奈は軽蔑した目で見ていた。そして冷たく言い放った。
「いいのか、藤倉。そして気づいてねぇのか?」
「な、何の話を?」
藤倉がドキリとしながら聞き返した。
「藤倉、いいか、声をたてるなよ?剣奈を怖がらせちまう。そっとだ。そっと顔を横に回せ。テメエの左肩の方だ」
玲奈が小声でささやいた。夕日を背にした玲奈の顔はどこか神秘的に輝いた。藤倉にはそれが神託を告げる巫女のよう見えた。
「ヒダリカタ…… それってもしかして……」
藤倉は真っ青な顔で玲奈にささやいた。藤倉は硬直した。顔の向きはそのままで眼だけで左を見た。しかし左肩の方は見えなかった。
ギギギギギ
藤倉は少しだけ顎を左の方に回した。そして肩を見た。藤倉には何も見えなかった。しかし…… 左肩に白いナニカか乗っている。そんな気がした。
ドサッ
藤倉は気が遠くなった。そしてその場に卒倒した……




