173 野島鍾乳洞へ そしてお宝の短刀
トトトト
ピンポーン
「はーい」
野島鍾乳洞に行く日になった。藤倉がバイクでやってきた。
「じゃあ荷物を積んでいこうか?」
「はーい」
藤倉がテキパキと荷物を家から運び出していった。そして、Vストロームのタンデムシートに載せていった。藤倉のバイクにはキャンプグッズが山のように積まれた。
淡路島の闘いから帰還した後、玲奈はビラーゴの後ろに大きなキャリーボックスを取り付けた。
タンデムシートに座る剣奈が快適な様にと、背もたれクッションが取り付けられているタイプだった。そのキャリーボックスの中にも、たくさんのキャンプグッズが積み込まれた。
剣奈は玲奈の後ろに登ってうきうきと座り込んだ。来国光は万が一、警察に止められたとき、トラブルにならないよう、いったん隠れ場(来国光の別次元空間)に退避してもらっていた。
「じゃあ行ってくるね」
「楽しんでね。気を付けるのよ?」
「はーい」
「藤倉先生、玲奈さん。剣奈をよろしくお願いします」
千鶴が二人に向かって頭を下げた。
「「はい」」
「じゃあシュッパーツ」
剣奈が元気に号令をかけた。
「うふふ。元気ねぇ」
玉藻がにこにこと微笑んだ。
―――― 出発の少し前
「おい藤倉、顔かせ」
玲奈が出発前にこっそり藤倉に声をかけた。
「え、な、なにかな?」
さんざん玲奈に股間のナニカを蹴り飛ばされている藤倉である。本能的に玲奈に苦手意識を持っていた。
「お宝はこれだ」
「これは?」
「アタイも短刀を使えるようになりゃあと思ってよ。買っといたのさ」
玲奈は模擬短刀を藤倉に渡した。白地に黒の斑点が混じる鞘、持ち手(柄)には鶯色の柄糸が巻かれていた。そして龍のような装飾品が柄糸と柄の間に仕込まれていた。
藤倉はしゅるりと刀身を抜いた。波のように荒れ立った濤乱模様の刃文だった。
「邪斬りは知らんが、剣奈は喜ぶだろうよ」
「美しいね。立派な模擬刀だね」
「おう。だろ?」
玲奈がニヤリと笑った。藤倉はどぎまぎした。いじめっ子のふとした面に魅力を感じたような、甘酸っぱい感情がふわりと生まれた。
玲奈は無邪気にニコニコ笑いながら短刀を藤倉に押し付けた。
「アタイが持ってたら剣奈にバレるかもだからよ。オマエもっててくれよ。向こうに着いたら、こっそり返してくれりゃあいい」
「わ、わかったよ」
藤倉はごくりと唾を呑み込んで、玲奈に返事をした。藤倉の顔が少しだけ顔が赤くなった気がした。
――――
トトトト……ブォン
ドドドッ……ブォン
藤倉のスズキVストロームと玲奈のヤマハビラーゴがエンジン音を轟かせていた。
藤倉のエキゾーストノートは軽快で軽い。玲奈のエキゾーストノートは雄々しく重厚である。音の特徴が、二人の力関係を表しているようだった。
剣奈は玲奈のタンデムシートに座ってニコニコしていた。ビラーゴ400のタンデムシートはふかふかして、剣奈の小さなおしりが包み込まれるような快適な座り心地だった。
リアボックスの背もたれクッションも快適だった。座り心地満点だった。
「うふふ。ゴーゴー!」
上機嫌の剣奈である。
藤倉たちは宝梅から宝塚インターを目指した。夏の風がさわやかに吹き抜けた。玲奈のビラーゴからは低い鼓動が響いていた。
ドドドッ、ドドドドッ、ブオォォォン
「風、気持ちいいね」
タンデムシートの剣奈がうきうきと声をあげた。
すぐ前には藤倉のVストロームがトトトトッと軽やかなエンジン音を響かせていた。
対照的な排気音がリズムを織りなし、二台のバイクは、真昼の中国自動車道を疾走していた。
二台のバイクは、山あいのゆるやかな上り坂を越えていった。六甲の山並みが青々と揺れていた。夏の陽ざしは強く、三人を撫でる空気はどこまでも澄んでいた。
藤倉は神戸北ICから神戸淡路鳴門自動車道に進路をとった。遠くに海がのぞいた瞬間、剣奈が歓声を上げた。
「うわぁ!海だっ!うふふ」
剣奈の声がインカムに響いた。玲奈はニヤリと笑って言った。
「ついこないだもさんざん海を見たじゃねぇかよ。それでも興奮すんだな?」
「えー、何度見ても胸がときめくよ!ボク、瀬戸内海と淡路島が大好きになったよ」
「おう。じゃあ剣奈。しっかり掴まってろよ!」
ブォン、ブォォォォォ
玲奈がアクセルスロットを捩じった。ビラーゴが加速して力強く駆けだした。
ビラーゴは藤倉のVストロームを追い抜き、あっという間に藤倉のバイクがミラーで小さくなった。風が二人のヘルメットをすり抜けていった。
明石海峡大橋が見えた。白いケーブルが真夏の空を突き抜けていた。橋の下には陽にきらめく海面が見えた。潮の香りが流れ込んできた。エンジンの熱が潮風と溶けて流れていった。
「そろそろだね」
インカム越しに藤倉の声が響いた。橋を渡り終えると、淡路の丘陵がやさしく迎えた。
二台は淡路ICを降りて、県道三十一号を南西に向かった。山道を通り抜け、海が見えた。
ザザァ
波音がした。潮と油の匂いが混ざったような臭いがした。
「牛城さん、もう少しで着くよ」
「おう」
「ちょっとわかりにくい分岐なんだ。速度を落とすよ?」
「任せた」
玲奈が軽く手をあげてVストロームに先頭を譲った。藤倉はビラーゴを追い抜くと、速度を落とし、ゆっくりと先導した。
陽の光が路面を明るく照らしていた。剣奈の心はどんどんウキウキしてきた。
二台は緑豊かな道を抜け、野島浄水場に近づいた。この施設が野島鍾乳洞の良き目印なのである。
道沿いの木々が翳を落とした。
二人は浄水場を通り過ぎて見えなくなったところでバイクを停めた。
蝉が元気に鳴いていた。剣奈がヘルメットを脱いで、額の汗を拭った。
「着いたね。案外近かったね」
玲奈と藤倉はふと顔を見合わせて笑った。二人はエンジンを切ってその余熱を感じながらヘルメットを肘にかけた。
「立ち入り禁止と聞いていたが封鎖テープとかは見えなかったな」
「そうだね。封鎖はとかれたのかもね」
「うふふ。現実世界で、もしかしたら入れるのかもしれないね。でも立ち入り禁止が続いていたらダメだから異世界に行くよ?キャンプもしたいし」
剣奈がニコニコしながら言った。
「じゃあ異世界移転タイプIIで行くよ?玲奈姉もタダっちも移転魔法の時は片手にバイク、もう片手でボクにつかまって?」
「いや、藤倉、テメェはアタイにつかまれ。どこ掴んでもいいぜ?」
玲奈がさりげなく藤倉の剣奈へのボディタッチを封じた。藤倉は一瞬絶望的な表情を浮かべた。
しかし、これまでにやらかした数々を思い返し、シュンとうつむいて玲奈の指示を受け入れた。
剣奈はリュックからペットボトルを取り出した。そして両手と両肩、それから頭にも水をかけた。
それから剣奈は太陽の位置を確認した後、北東南西の順に頭を下げ、四方拝を行った。
最後に野島鍾乳洞にむかって頭を下げた。
「じゃあ行くよ?ボクにつかまっててね」
玲奈は右手にバイクのハンドル、左手で剣奈の背中の服を握った。
藤倉は左手にバイクのハンドルを、右手で玲奈の革ジャンを掴んだ。
「藤倉。しっかりとアタイに抱き着け。ちゃんと触れてねぇとテメェだけ、現世に取り残されても知らねぇぞ」
玲奈が藤倉に言った。藤倉は革ジャンの裾を掴んでいた手を伸ばし、玲奈の背中にしっかりと手を回した。
柔らかかった。女性に慣れていない藤倉はちょっとどきりとした。表情にでそうになるのを藤倉は懸命に隠した。
剣奈は二人の準備を見届けると、右手を高く空へ掲げ、左手で胸を押さえた。そのまま、剣奈は瞳を閉じて空を仰ぎ、動きを止めた。
瞳を開いた剣奈は、右手を下ろし、胸の高さで腕を右前方に向けて伸ばした。左手は胸の前から左前方に伸ばされた。両の手のひらは空に向けられた。
一瞬の静止。
剣奈は両掌を合わせて合掌した。瞳を閉じ、頭を垂れた。神聖な雰囲気が高まった。
剣奈は両手を空に向かって高くつきだした。手のひらはそのまま天に向けられていた。
息を整えた剣奈のその唇に、光が宿ったような気がした。剣奈の高く涼やかで朗々とした声が紡がれた。
吐普加美依身多女
吐普加美依身多女
吐普加美依身多女
来たれ! 来国光っ!
剣奈の身体が太陽の光に包まれて輝いた。輝きは玲奈、藤倉、そして二台のバイクを包んだ。
ヒュウウウッ
三人の正面から風が吹いた。
三人と二台のバイクが現世から消えた。




