171 千剣破の奮闘 玲奈の養女手続き なぜかドヤ顔の剣奈
「玲奈、行くわよ」
千剣破が玲奈に声をかけた。彼女は今日から玲奈の義母になる。千剣破はこれまでの他人行儀な呼び方から、娘としての呼び方に変えた。
普通、照れたりするものである。しかし千剣破は平然と玲奈を名前で呼んだ。切り替えの早さはさすがである。
「ボクも行きたい!」
剣奈が声をあげた。玲奈が姉になる手続きの日である。ぜひとも立ち会いたかった。
「ボク、裁判所はもうエキスパートだよ。経験者として玲奈姉をリードしないと。パーティリーダーとしての責任もあるし」
はたからは小学校三年生女児が背伸びしているようにしか見えない。玲奈とて、もう十七歳なのである。小三女児に付き合ってもらわなければならない年齢でもない。
しかし玲奈はニヤリと笑って受け入れた。
「おう。じゃあ案内してもらおうか。剣奈が先頭な」
「え、えええええええ。ボ、ボク…… お母さんと一緒に玲奈姉をリードするよ」
――いや、それではそもそも君は不要である。
――――
今日は八月八日の朝である。剣奈たちが淡路島から帰着して二日がたっていた。昨日は剣奈が玲奈を連れて裁判所に戸籍変更の手続きを行った(167話)。
剣奈の戸籍変更の手続きと玲奈の養女申請手続きの場所は同じ神戸家裁伊丹支部である。効率を考えれば同じ日に手続きをしても良かった。
しかし千剣破は知っていた。法手続きにはトラブルがつきものだと。効率を求めて二兎を追うより、安全に一つづつ取り組んだのである。実に千剣破らしい。
千剣破らしさといえば他にもある。現在、剣奈と玲奈は宝塚市民である。
八月三日、剣奈たちが妙見山で巨蛸と闘っているころ(128話前後)、千剣破は宝塚市役所に出向いていた。剣奈と千剣破の宝塚市への住民票編入手続きの為である。
宝塚から通える家庭裁判所ですべてを終わらせるためには、この手続きは欠かせない。
この前準備があったからこそ、剣奈と玲奈は宝梅を拠点として、法的手続きを進めることができるのである。
剣奈はそれに気づかない。玲奈でさえ気づいていない。
「ボク、左手に玲奈姉、右手にお母さんと手を繋いでいきたいな。誰が一番とかじゃない!みんな一緒だよ!」
剣奈がそれらしいことを言った。
――いや、君、道順覚えてないだけだろう?
千剣破と玲奈はお互いに顔を見合わせた。
「この甘えん坊も一緒でいいかしら?」
「おう」
「だから違うって!ボクがリーダーとして玲奈姉をリードするんだってば!」
「わかった、わかった。じゃあお願いするぜ」
玲奈が手を差し伸べた。
「にひひひひ」
剣奈が顔をふにゃりとさせながら玲奈の手を握った。
「じゃあ行きましょうか」
千剣破が声をかけた。剣奈はしっかり左手で千剣破の手を取った。
―― 一時間後
剣奈たちは神戸家庭裁判所伊丹支部の前に立っていた。
「行きましょう」
千剣破が玲奈に声をかけた。剣奈は玲奈の手を取り、先頭に立った。
「玲奈姉、大丈夫だよ。ボク、リーダーだから玲奈姉を先導するよ」
剣奈が大真面目に言った。
――いや、剣奈君。ようやくわかるようになったからと言って、ここからドヤ顔でエスコート…… 大体君、どの窓口かわかるのかね?
剣奈が玲奈の手を引いて意気揚々と家裁に入っていった。そして、「家事・戸籍・身分」の家事受付窓口にずんずん進んでいった。
――あっ!戸籍変更も養女手続きも窓口は一緒だった!剣奈!なんて運のいい……
窓口には昨日と同じ女性職員が座っていた。
「おはようございます。今日はどのようなご用件ですか?」
千剣破は手元の封筒から書類を出し、女性職員に手渡した。
「未成年者養子縁組の許可申立てです。こちら申立書と添付資料です」
職員が書類を受け取った。玲奈は緊張した面持ちでカウンター横に立っていた。剣奈はそんな玲奈を見て、玲奈の手をぎゅっと握った。
(ボクがしっかりしないと……)
千剣破は、八百円の収入印紙が貼られた申立書、戸籍謄本(千剣破・玲奈・牛城両親)、千剣破と玲奈の住民票、牛城両親の同意書、玲奈の署名書、印鑑証明(千剣破・牛城)、本人確認書類などを提出した。
受付の女性は書類がそろっていることをひとつひとつ確認していった。
誤記はないか、署名や捺印はされているか、添付資料の不足がないか。
玲奈はカウンター越しに、申立書の自分の名前にそっと目を落とした。
思いもよらなかったことである。あのクズ親から切れて久志本家の一員として迎え入れられる。いまだに信じられなかった。
「本人確認をさせていただきます。ご本人様のお名前をお願いします」
玲奈はまっすぐ顔をあげて答えた。
「牛城玲奈です」
職員がうなずいた。そして再び、添付資料、印鑑、住民票など、必要なものが全てそろっているか確認した。
「それでは書類をお預かりします。後日、面談や追加資料のご案内が郵送で届きますのでお待ちください」
「ありがとうございます」
千剣破が礼を述べた。剣奈がドヤ顔で玲奈と千剣破の手を引いてロビーの椅子に向かった。
夏の陽が窓越しに差し込んでいた。独特のざわめきのあるロビーの中、玲奈は小さく深呼吸した。
「じゃあ行きましょうか。一緒にお昼ご飯食べましょ。おいしい餃子屋さんがあるのよ。カウンターだけの小さなお店だけど、今からだと開店時間に入れるから、座れると思うわ?」
「わぁ!行く行く。ボク、五人前食べようかなぁ」
「相変わらずよく食うやつだぜ」
三人は家裁を出て強い日差しの中に出た。千剣破は日傘をさした。玲奈は空を見上げて、ほんの少しだけ胸を張った。
千剣破は静かに玲奈の肩に手を置いた。
「これで一歩踏み出したわね」
玲奈は未来への扉が、静かに開いたのを感じていた。
三人は阪急伊丹近くの餃子屋「大阪王」に向かって手をつないで歩きだした。




