162 剥がされる黒鎧 いでよ金光 剣奈の空中乱舞
来国光の言葉を胸の奥で反芻していた剣奈である。
(尽きることなき「剣気の蓄え」、すなわち「武の備蓄」?んんんん?何のことだろう?ん?待って……、そか!)
「わかった!クニちゃ!わかったよ!」
『うむ!』
「電池っ!MPリザーブタンクっ。エナジーパック……。超回復アイテム!これで緊急時MPチャージいける!ターボチャージモード!ゲージマックスなら必殺技をストックできる!」
『うむ?』
剣奈がなにやら早口で呟き始めた。そして今度は来国光が首をひねる番であった。
来国光には、剣奈のつぶやく言葉が一つも理解できなかった。しかしわかっていることが一つ。剣奈は、剣気結晶、その性質をしっかりと理解したのだということ。
(ふむ。相変わらず面妖な響きの言葉じゃ。が、剣奈がそれでわかっておるのじゃ。ならそれが正解じゃ)
来国光がうむうむと納得した次の瞬間、刀身がクンと引かれた。
「ん♡」タッ
剣奈が跳んだのである。黒九尾に向かって。地を蹴った右足をスラリと伸ばして。黒き邪気まみれの九尾に向かって……
いまだ邪気は九尾の身体の支配権を手放していなかった。
グオオオオオオ
九尾は咆哮した。そして凶悪なる暗黒ブレス、暗黒晶天狐咆を放ってきた。
猛烈なるブレス。その勢いで、触れぬ海面までもがうねり、盛り上がった。
「ん♡」タッ
しかし剣奈は避けた。なんの躊躇もなく。紙一重で。
剣奈は右足で軽くサイドステップしただけだった。
ブワッ
剣奈の髪が舞い上がった。剣奈の右頬が暗黒ブレスの妖気にあてられて赤く火照った。
「ん♡」タッ
剣奈はサイドステップで着地した左足で空中を蹴った。剣奈の左足がスラリと伸びた。
「んんん♡ライイイイイイィ!」
ズバアァァァッァァァァッ
剣奈は空中で前方に跳躍するその勢いのまま刃閃を輝かせた。
ビュン
長刀による左一文字斬り。白黄の刃閃が九尾の胴体を横一文字に斬り裂いた。
ビカッ
邪気の暗黒の鎧が斬り裂かれた。金色の光が、これまでにないほどに輝いた。
「ん♡」タッ
そして剣奈は両足で宙を蹴った。来国光は逆手に持ちかえられていた。そして来国光は剣奈の右腰に構えられた。
「んんん♡ライイイイイイィ!」
ビュン
剣奈の長刀の刃閃が今度は真下から真上に刃閃をきらめかせた。逆風の太刀。
ズバアァァァッァァァァッ
妖狐の胸に十字の傷が走った。先ほどの左一文字切りの刀傷の邪気による修復が終わらぬまま、逆風の太刀によって下から上に切り上げられたのである。
「ん♡」タッ
シュタッ ズザザザザザザ
剣奈は両足で宙を蹴った。そして海岸に着地した。
攻防が続けられた。九尾の暗黒の鎧は攻撃を受けるたびに、あいかわらず暗黒触手が再生していた。
しかし。剣奈の動きはどんどん鋭く、速くなっていった。
剣奈の動きは尋常ではなかった。跳躍の軌道の変化、空中機動、来国光の斬撃。そして剣奈はどんどん空中に滞在する時間が増えていった。
二連撃、三連撃、四連撃……
そしてその連撃は……、邪気の恐るべき回復能力を……
凌駕した……
「ん♡」タッ タッ タタン
「んんん♡ライイイイイイィ!」
剣奈が九尾の背後に回りこんだ。九尾は背を丸め、邪気を背中に凝縮させた。しかし……
ズバアァァァッァァァァッ
ビカァ
剣奈の長刃が逆風の太刀の刃閃をきらめかせた。来国光の白黄の長刀は、九尾の背を深々と縦に斬り裂いた。その、暗黒の背を……
裂かれた傷口はそれまでよりも大きかった。背中にパックリと縦に切れ目が走った。
粘性の暗黒邪気が、暗黒触手の群れが押しよせた。傷口を覆い隠そうと迫る。
しかし……、金色の輝きは、暗黒邪気の浸食にあらがうようだった。
暗黒邪気、その触手の動きが鈍った……
(やれる……。ボクなら……、この暗黒鎧を、全部はがせる……!)
「ん♡」タッタッタッ
剣奈は空中で跳ねた。空中をなんども蹴った。そして斬った。避けた。蹴った。そして再び斬りつけた。
剣奈はもはや……、海岸に戻っていなかった。
グオオオオオオ
ヒュン
九尾は息を荒げ、口から暗黒ブレスを、暗黒晶天狐咆を、噴射し続けた。そしてその黒き腕からは、暗黒三日月刃が放たれ続けた……
グオオオオオオ!
ヒュンヒュンヒュン
ブレスと妖気真空刃の波状攻撃が剣奈を襲った。
しかし……
「ん♡」タッタッタッ
その攻撃は……、明らかに乱れていた。精度を著しく欠いていた……
乱れ、定まらぬ攻撃……
もはや剣奈にとってそれは……、なんの脅威にもなっていなかった……
「ん♡」タッ
「んんん♡ライイイイイイィ!」
ズバアァァァッァァァァッ
グオオオオオオ
ヒュンヒュン
「ん♡」タッ
「んんん♡ライイイイイイィ!」
ズバアァァァッァァァァッ
グオオオオオオ
ヒュンヒュン
「ん♡」タッタッタッ
剣奈はまるで空を飛ぶ鳥のようだった。いや、水中を自在に泳ぎ回る氷海のグライディング・アサシンそのものだった。
流線形ボディと強靭なフリッパーで水を切り裂く……
スピードスターの異名を持つ流線形の戦士。水中を飛翔する唯一無二の氷翼のファルコン。そのものであった。
玲奈は驚愕してその様子を見つめていた。いや見惚れていた。
「あの……、この世の破滅を司る災厄の化身……。剣奈を死の淵に引きずり込んだ黒九尾……。それを……、剣奈は……、剣奈は……、空を裂く氷翼の一閃で、正面から斬ってみせやがる。どこまで行くんだ、お前は……。この絶望の九尾を相手に、死の淵から蘇って……。いや……、この絶望の王を前に、死の淵から蘇っただけじゃ飽き足らねぇ。その力さえ、絶望的な力さえ凌駕してみせるのか……。もう、あの九尾ですら……、お前の闘いには、追いつけねぇんじゃねぇか……。本物の勇者ってやつは……、こういうヤツのことを言うんだな……」
「んんんん♡ライッ!」
ズバァァッ!
剣奈の白黄の長刀の左逆袈裟斬りの刃閃がきらめいた。九尾の左脇腹から右肩にかけて大きな傷口が広がった。
九尾の……、黒九尾の……、その禍々しく黒い鎧が……、大きく剥がれた……
ビカァ!
眩い金色の輝きが露出した。暗黒邪気が、必死に傷口を覆いなおす……。しかしその力は明らかに衰えていた。
九尾の金色の魂が……、闇の奧から輝きを取り戻さんとしていた……
「ん♡」タッ
シュタ ズザザザザザ
剣奈が海岸に着地した。その瞬間。
ビュウウウウ……
風が吹いた。静かに。しかし力強く。
その風は戦場を包み込んだ。淡路の碧い海と空をつなぐように。剣奈の足元から黒九尾の姿へと舞い上がるように。
ピシッ
はだけた黒金のまだら模様……。黒九尾の鎧が……、風に揺れた。
そして……、静かに……、剣奈が斬った斬撃の跡から暗黒が剝がれ落ち始めた。
ブワッ
黒き邪気の触手は……、風と光に煽られ、その色は褪せていった。金色の光が闇の奥から次第にその姿を現した……。
九尾の身体を覆っていた絶望の衣、浸食の暗黒鎧。それは……、剣奈の斬撃による切り傷と、そしてそれに吹き渡る風の共鳴により、今、ついに崩れ去ろうとしていた。
玲奈は言葉を失い、その光景を焼きつけるように見つめていた。剣奈は静かに、しかし勇気を込めて、一歩踏み出した。
聖なる風が……、黒九尾の邪気の鎧を断ち、闇から光への時を告げた。
世界はいま、絶望の王を凌駕した小さな勇者の奇跡を、静かに見届けていた……




