135 さまよう子宮 思い込みと幻影 顕現する真実と一つ目入道
迫りくる黒タヌキ。それを見た藤倉がつぶやいた。
「三熊山の狸伝説を繭として怪異を具現化させたのか。まさかミーティングルームで雑談していたタヌキとこんな形で出会おうとはね」
「お話のタヌキは人の好きのしそうな良いタヌキのようだったがね」山木が返した。
「邪気には関係ないんですよ。人の想いが積み重なればそこに思念の塊ができる。その思念のエネルギーを繭として怪異を実体化させるんですよ。悪趣味極まりないですけどね」藤倉が答えた。
「なにのんきにおしゃべりしてやがる!ぐだぐだしゃべるだけならついてくんな!足手まといめ。ぶっ殺すぞ」玲奈が吼えた。
「ん♡シュッ、シュッ」
剣奈は逆袈裟斬りと袈裟斬りへの連携で白黄輝の飛針を二度飛ばした。左から迫る四匹の黒タヌキを前後まとめて二匹づつ貫く心づもりだった。
スカッ、スカッ
剣奈の飛針は黒タヌキを頭から貫いた。しかし……貫かれたはずの黒タヌキ四匹は……そのまま……、何事もなかったかのように剣奈に向けて疾走してきた。
「そこじゃねぇ、もっと離れてる!」玲奈が吼えた。
「えっ、どゆこと?」剣奈がきょとんと返した。
貫いたはずのタヌキである。しかし手応えはなかった。そして何事もなかったかのように突進してくるのである。
黒犬は黒塵となって消滅したはずだ。なぜ?剣奈は戸惑った。
『タヌキめ。幻術を使いおるか』来国光がうなった。
剣奈の目に映る位置。そして実際の位置。この二つは違っていた。
剣奈の眼にはタヌキは接近した二列で突進してきたと映っていた。
しかし。
玲奈の……、妖を映す玲奈の眼には……、間をあけた二列の黒い靄が……黒く光るようなそれが接近してくるのが見えていた。
パシュ、パシュ
「キューン、キューン」
玲奈の撃つ銃声が二度響いた。剣奈の目の前、前方二匹の黒タヌキが消えた。そして……左右外側にずれた位置に黒タヌキが現れた。
「あと二匹もそいつらの真後ろっ!」玲奈が吼えた。
「ん♡シュッ、シュッ」
左逆袈裟から袈裟斬りへの連続業。
ヒュン、ピシュ
ヒュン、ピシュ
樋鳴りの音が二度、飛針の飛来音が二度鳴った。
二列の黒タヌキが剣奈の白黄の飛針に貫かれた。飛針は前のタヌキを貫通した。そして後ろのタヌキをも貫いた。
ブシュ、ブシュウ ブワッ
ブシュ、ブシュウ ブワッ
前後二匹づつのタヌキが剣奈の白黄輝の飛針に貫かれた。四匹の黒タヌキが黒塵と化した。空中に霧散した。タヌキは残四匹。
あっさりと倒された仲間をみたタヌキである。四匹の黒タヌキはエックスの字を描くように離れた。そして一転、一気に集まってきた。中心に向けて。一つの地点を目指して。
四匹のタヌキが突進した。ぶつかる!剣奈は思った。四匹の黒タヌキは跳んだ。一点に向けて。そして……合体した。一体になった。さらに。
「ひ、一つ目入道ぉ!お、大きい!」
身の丈一丈(およそ三メートル)の一つ目入道が現れた。剣奈は咄嗟に丹田に剣気を吸い込んだ。そして来国光の刀身に流した。
「あんんんん♡ライィィッ!」
来国光の刀身が大きく伸びた。長大になった白黄輝の長刃が、巨大な一つ目入道を、その大きな頭から腰まで一刀両断に斬り裂いた。
しかし。
スカッ
手ごたえは……なかった。一つ目入道は消え去った。四つの黒い塊が四方に飛び散った。
パシュッ、パシュッ
玲奈が剣気弾を撃った。
撃たれた剣気弾は黒タヌキに当たらなかった。難なく躱された。
先ほど仲間が撃たれたのを見られていた。幻術を解かれたのを見られていた。黒タヌキは玲奈の剣気弾を警戒していたのである。
警戒。発砲。予測。放たれた白黄輝の弾。
ヒョイ
黒タヌキは剣気弾の弾道を視認した。そして余裕をもって躱した。
「ちぃぃ。使えねぇ」玲奈が吐き捨てた。
タタタタタタッ
ブワン
黒タヌキは再び一点に走った。合体した。そして巨大一つ目入道となって剣奈に迫ってきた。
「クニちゃ、どうする?このまま攻撃しても剣気の無駄遣いっ」
『うむぅ。困ったのぉ』
「剣奈、乗れっ!」
ドリュン
玲奈はビラーゴのエンジンを轟かせた。剣奈はビラーゴの後部座席に飛び乗った。またがらなかった。後部座席に両足を乗せ着地した。そしてしゃがんだ。
「剣奈、聞け、アイツの頭、左肩、右肩、そして肚。そこに奴らがいる。まずは肚だっ!避けにくい肚!そこを狙えっ」
「ラジャ。ん♡」
ブルルルル……
玲奈がビラーゴを発進させた。巨大一つ目入道に迫った。
ゴォォォ
一つ目入道が両手を組んで頭の上に上げた。振り下ろして剣奈たちを叩き潰す気だった。肚が……空いた……
剣奈はビラーゴの後部座席で立ち上がった。そして。
「んんん♡シュ、シュ」
剣奈はビラーゴの座席の上で抜刀左逆袈裟斬り、さらに腕をかえしての袈裟斬りのコンビネーション業連携を見せた。
ヒュン、ピシュ
ヒュン、ピシュ
樋鳴りの音と飛来音が二度小さく鋭く鳴った。
パシュ、パシュ
肚の核になっていた黒タヌキが貫かれた。頭の核になっていた黒タヌキも撃ち抜かれた。
ブワッ
貫かれたタヌキが霧散して消えた。変化が解けた黒タヌキはそれぞれ深々と胴体を貫かれていた。二匹消滅、残二匹。
残った二匹の黒タヌキも変化を解かれた。二匹は左右に走った。
「ん♡シュ、シュ」
剣奈は二度、白黄輝の飛針を飛ばした。
スカッ、スカッ
手ごたえはなかった。
「もう!なんてやっかいなのぉ!もう!もう!もおうっ!」
剣奈はバイクの上でヒステリーを起こした。
――いやいやいや。剣奈よ、言葉遣いが女性化してきてないか?そしてヒステリーは女性特有の、、、
いやそんなこともないか。激昂する男はたくさんいる。ヒステリーが女性特有とは古代のただの妄想である。
「ヒステリー」。その語源はギリシア語である。子宮を意味するὑστερία(hysteria)。
子宮が女性の身体中で動き回る。そして様々な症状を引き起こす。古代ギリシアの荒唐無稽の考えにである。「さまよう子宮」と呼ばれている。
西洋医学の祖といわれる古代ギリシアの『ヒポクラテス医学大全』(紀元前五~四世紀)やローマの名医ガレノス(一二九年~二〇〇年頃)医学にすでに女性特有の疾患(今でいうヒステリーにあたる)の記述が見られる。
二世紀ごろ、カッパドキアの医師アレスタイオスは次のように記している。
「子宮は女性の脇腹にある。そして子宮は女性の腹の中をあちらこちらに勝手に移動する。その範囲は広く、上部は胸郭の軟骨まで、左右は肝臓や脾臓に、そして下方は体外に出んばかりの位置に動く」と。さらに「子宮は芳しい香りを好む。そのため香りにつられてあちこちに移動する。また悪臭を嫌うためそれから逃げるように移動する。子宮は女の胎内をあちこちにさまよう動物のような臓器である」と。
この「さまよう子宮」説、そして「女性骨盤が女性の精神不安定感を引き起こす」。その考えは十九世紀半ばごろまでヨーロッパを中心に広く信じられた。
女性が感情を高ぶらせ、息を詰まらせ、泣き叫ぶのは、女性の子宮と骨盤が原因だと。
ばかげた話である。激昂して暴力をふるうのはむしろ男に多いのではないか?剣奈が地団駄を踏んで感情を爆発させたのはただの幼児性。感情を制御できない未熟さゆえである。
「剣奈、なにヒスってやがる。うろたえんな。アタシがついてる。安心しな!」
「うん!玲奈姉!」
一気に感情が鎮まった剣奈である。単純で素直である。
がんばれ!チョロ剣奈っ