133 先山の麓 服を脱ぎたい剣奈 ゲンコツの玲奈 黒犬来襲せし
藤倉たちは昨日と同じく国道28号線を南下した。昨日と同じ風景だというのに剣奈は目をキラキラ輝かせて海を見ていた。
「あの蛸さん邪気から救われたかなぁ」
剣奈がポソリとつぶやいた。四つのヘルメットには昨日藤倉が三宮で買ってきたインカムが取り付けられていた。バイクでツーリングをするときの意思疎通を行うコミュニケーションギアである。
――インカム。使い方はこんな感じである。購入したらヘルメット内にヘッドフォンとマイクを装着する。そしてヘルメットの左外側に本体を装着する。事前準備はこれで完了である。おっと。充電を忘れてはならない。
あとは走行前に四台のインカムを同期するのである。これによりバイク走行中も普通に会話ができるようになる。インカムはグループツーリングの必需品なのである。
「剣奈、あんだけ蛸食いまくってたから呪われたんじゃねえの?」玲奈が意地悪なことを言った。
「えー?やだぁ。ボク、蛸食べすぎちゃったから化けて出てきたの?」剣奈が恐々とつぶやいた。
「邪気は人の想いの積み重ねを繭として怪異を生み出すんだろ?「立石の井」は昔からある有名な話だからね。人の想いがかなり積み重なっていたんだと思うよ?」
「そそそそ、そうかなぁ…」剣奈がキョドった。
「江戸時代中期の『播磨鑑』では同じ話がある。ただし蛸でなくエイを退治する話になってるんだ。だからね。エイの怪異にも要注意だね」藤倉が言った。
「いやぁ。タダちゃのばかぁ。ボ、ボク、こ、怖くないからねっ」剣奈が涙ぐみながら強がった。
剣奈の可愛い声がインカムから流れた。藤倉は「いい話をしてしまった」と心の中で呟いた。誰にも見えない藤倉だけのドヤ顔。いや、来国光にはバレていた……。
さて、四人がそんな話をしている間にバイクは洲本川にたどり着いた。一行はさらに道なりに洲本川の北べりを西方向に進んだ。
二台のバイクは青雲橋北詰で直進方向に進んで洲本五色線、県道46号線に入った。そして下加茂の交差点で右折して洲本五色線を北上した。
やがて先山千光寺まで五kmの表示のある三叉路が見えた。藤倉は三叉路を左に進んだ。そしてしばらくしてバイクをとめた。
「さて、剣奈ちゃん。先山のふもとだよ。そろそろ幽世に行くかい?」藤倉は尋ねた。
「うん」剣奈が答えた。
全員バイクを降りた。そして藤倉と玲奈はバイクのエンジンを切った。剣奈はリュックから来国光とペットボトルの水とタオルを取り出した。来国光を左腰に履き、ペットボトルの水で禊を行った。
「剣奈よぉ。それびしょ濡れになってるんじゃねえの?」
玲奈は肩と頭からペットボトルの水をかけた剣奈をじっと見ていた。そして言った。
「うん……ボク、服を脱いで禊やってたんだよ。でも……お母さんがこっちでは服を脱いだらダメだって……別にボク、男の子だから平気なのに……」
――いや、剣奈君。君の外見は女の子なのだよ。美少女なのだよ。そんな子がいきなり上半身裸になったらどうなるか。フォト撮られたらどうなるか。
「 #マジかよ #衝撃映像 #秒で拡散 #バズり案件 #美少女裸 #痴女発見 #信じられない光景 #騒然案件」ほら。X初心者の夏風ですら秒でタグが出てくる。
平気じゃないから!しっかり釘を差した千剣破。さすがである。
「いや、平気じゃ……ないだろぉがぁ!」
ゴツン!
「いったぁ……」
剣奈の頭に拳骨をおとす玲奈である。藤倉はちょっと残念そうな顔をしていた。
剣奈は濡れた身体と服を軽くタオルで拭った。三人はそれぞれペットボトルの水を取り出し、手を清め、口をゆすいで清めを行った。
剣奈はぐるりと見回した。そして全員の準備が整ったのを確認した。剣奈は先山に深く頭を下げた。そして四方拝を行った。
最後に再び先山の方向を向いて深くお辞儀をした。そしてバイクを両手に掴んだ。三人はそれぞれ剣奈に触れた。
掛けまくも綾に畏き
天土に神鎮り坐す
最も尊き 大神達の大前に
慎み敬い 恐み恐み白さく
今し大前に参集侍れる
剣奈、来国光、玲奈姉、藤倉先生と山木先生を
幽世に送りたまへと
拝み奉るをば
平けく安けく
聞こしめし諾ひ給へと
白すことを聞こしめせと
恐み恐み白す
ヒュウ
一陣の風が吹いた。剣奈たちは風に溶けた。次の瞬間、四人は先山を見上げる裾野の野原に立っていた。
「来れたようだの」山木がつぶやいた。
「そうのんびりしてられないようだぜ?」玲奈がつぶやいた。
玲奈には見えていた。先山の方向に黒い闇のような靄が立ち上るのを。
続けて来国光が警告した。
『来おったぞ。先山の方向から十匹』
「ずいぶん多いね」藤倉がつぶやいた。
藤倉はバイクを洲本方面に向けた。そしてエンジンをかけて跨った。山木は手にLCP IIを持ち、Vストロームのリアシートに跨った。
黒震獣犬は、黒き犬は十匹横一列になって疾走してきた。
「何だあれは?」藤倉が叫んだ。
「はっ。剣奈にまとめてやられないようにってか?」玲奈が吐き捨てた。
「クニちゃ、どうする?」剣奈が尋ねた。
『全員が囲まれるのが最悪手。三人とも逃げろ』
「「はい」」藤倉と山木が返答した。そしてバイクのエンジンをかけた。
「ざけんな」玲奈が吼えた。
前方から来る黒犬はやや乱れて十匹横一列に並んでいた。藤倉と山木がいるのは左側。すでにバイクを後方に向けていた。
剣奈は中央にいた。風に吹かれて静かに佇んでいた。
玲奈右側にいた。剣奈と一緒にいて索敵をするつもりだった。しかし殺到する黒犬を見て慌てて離脱の準備に取り掛かった。
藤倉は左後方に向かって勢いよくバイクを発進させた。玲奈は急いでエンジンをかけた。後輪を勢いよく空転させながらバイクの向きを変えた。そして右後方に向けて勢いよく愛車ビラーゴを発進させた。
剣奈はそのまま中央にいた。腰を少し落として右半身、抜刀の構えを取っていた。
黒犬四匹が藤倉のVストロームに食らいついた。剣奈の左を遠く迂回して駆け抜けて藤倉たちを追いかけた。
玲奈のビラーゴを追ったのは四匹。両翼四匹づつの黒犬はそれぞれ剣奈を避けた。バイクを追いかけて八の字を描くように分かれていった。
中央の二匹はそのまま剣奈に急速に迫っていた。黒犬は剣奈に左右の助けに行かせない作戦だった。恐るべき知能である。
剣奈は慌てなかった。みんなを信頼していた。剣奈は腰を落として鞘を水平に傾けた。
黒犬が接近してきた。剣奈は左手で鞘を引きつつ右手で抜刀した。
ヒュン
樋鳴りの音がした。抜刀からの横薙ぎ。左一文字斬り。
ブワッ
正面から来た二匹の黒震獣犬は一瞬にして塵になった。空中に溶けた。残八匹。
剣奈の周りにもはや敵はいない。四匹づつに分かれた残八匹の黒犬は、それぞれ藤倉と玲奈のバイクを追って走っていた。