126 妙見山の闘い 鋒矢と鶴翼 狼狽する山木、闘う玲奈
黒震獣犬8匹は鋒矢の陣形で山を駆け下りてきた。先頭に一匹、両サイドに三匹ずつ、底辺中央に一匹。
「剣奈、アタシらのことは気にせずぶちかましてやれ」
玲奈が言った。玲奈はLCPIIの安全装置を外し両手で銃のグリップを持ち、戦闘に備えた。藤倉も同様に銃を手にした。山木は緊張し、蒼白になった顔で藤倉の後ろで身構えた。武器を持つ三人に比べ、丸腰なのがひどく不安な気持ちにさせた。
剣奈が走った。八匹の黒犬を同時に仕留めるのは無理である。だから剣奈は信じた。これまで頑張って銃の特訓をしてきた二人を信じた。できるだけ多くの黒震獣をひきつけ、倒すつもりだった。
「んぁぁぁぁ♡ライッ!」
剣奈が抜刀し、左から右に一文字に斬り裂いた。刀身は白黄に輝き、切っ先は長く伸びた。ヒュッ。鋭い樋鳴りの音がした。先頭の三角形の三匹の黒震獣犬が胴体を真横に斬り裂かれ消滅した。残五匹。
先頭の三匹の黒震獣犬を一気に失った群れは左右に陣形の翼を広げた。鶴翼の陣。最後尾中央の一匹が剣奈に向かって疾走し、左右の二匹はそれぞれ群れを離れた。右側の二匹は玲奈を狙い、左側の二匹は藤倉たちを狙った。
剣奈はそのまま疾走した。正面の一匹もまた剣奈に向かって疾走してきた。と、黒震獣犬が右斜め前方に跳んだ。着地と同時に右斜め前方から剣奈に向かって跳躍した。三角飛び。黒犬は剣奈の攻撃をかわし、そのまま剣奈の首筋を食らおうとした。
「ん♡」
ヒュッ
剣奈は、惑わされなかった。右前方に黒犬が飛んだのに対し、右足を踏ん張り歩をとめた。右足の膝は曲げられ、足先に重心が移動した。その最中、黒犬が右前方から跳躍してきた。
剣奈は右手に下げた来国光を前方への重心移動のまま斜め上方に突き上げた。剣奈の右足は曲げられ、左足はすらりと伸びた。腕はまっすぐに斜め上方に伸びた。刺突。
美しい姿だった。黒犬は顎下から頭蓋を貫かれ瞬時に消滅した。残四匹。
パシュ パシュ
パシュ パシュ
玲奈に向かった二匹は左右に分かれた。横一列になって玲奈に迫った。玲奈は接近がわずかに早い左の黒震獣に狙いを定め、引き金を引いた。続けて右の黒震獣に狙いを定めて引き金を引いた。
キャウン、キャウン
二匹の黒震獣犬が剣気のこもった弾、剣気弾に撃たれて怯んだ。消滅までには至らなかった。
「はっ、効くようだな」
玲奈は腕を軽く曲げ、力を抜いて銃を前方に構えた。
「ん♡んんんん♡シュッ、シュッ」
剣奈の嬌声と技声が響いた。剣奈は右足を前にしたヨガの「戦士のポーズ」のような体形で右手を斜め上方に伸ばしていた。そこから重心を後ろにずらしつつ、両足を軸に反転した。
剣奈の右手は緩やかな弧を描き左腰に添えられた。反転した剣奈が見たのは四匹の黒犬。二匹ずつの群れに分かれて玲奈と藤倉たちを襲っていた。
剣奈は瞬時に剣気を肚から来国光の刀身に流しこんだ。右足を踏み込みつつ、左下から左上に斬り上げた。左逆袈裟斬り。
来国光の刀身から白黄輝の針が飛んだ。斬り上げた右上で剣奈は刀を返し、そのまま右上から左下に刀を斬り下げた。袈裟斬り。再び来国光の刀身から白黄輝の針が飛んだ。
「シユッ シユッ」
ヒュッ ヒュッ
玲奈の放った剣気弾に怯んだ黒犬である。玲奈の銃の動きに集中していた黒犬は予期せぬ方向から白黄輝の針に貫かれた。
左逆袈裟斬りの白黄輝針は玲奈の左前方の黒犬を、袈裟斬りの白黄輝針は玲奈の右前方の黒犬を貫いた。
ブワッ
二匹の黒犬は貫かれた胴体から塵化し、全身が空気に霧散した。玲奈前方の黒震獣犬二匹消滅。残るは藤倉たちに向かった二匹。
藤倉も玲奈と同じく黒震獣犬に剣気弾を発射していた。剣気のこもった弾を体に受け、二匹の黒震獣は警戒しうなり声をあげていた。グルルルルルルル。
パシュ パシュ
藤倉の右からガスガンの発射音が響いた。キャウン、キャウン。玲奈が発射した二発の剣気弾は二匹の黒犬の胴体に当たり、黒犬は甲高く鳴き声を上げた。
「んんん♡」
剣奈の嬌声が響いた。藤倉は嬌声の方を見た。身体の一部が反応した。生物的本能で仕方のないことだった。わずかに腰を引いた藤倉を、玲奈は絶対零度の凍り付く視線でにらみつけた。
剣奈は疾走していた。玲奈に向かっていた二匹は剣奈から見て完全に玲奈とは離れていた。ケントスペシャルスプラッシュの針を飛ばしても玲奈に当たる心配はなかった。
藤倉たちに向かった二匹は玲奈の剣気弾に牽制されたのち、狡猾にも藤倉と山木の陰に隠れるように動いた。剣奈から見て藤倉たちの向こうに位置した。
このまま針を飛ばせば藤倉たちに当たる恐れがある。なので剣奈は疾走した。斬撃で二匹を仕留める決心を固めた。
藤倉は二匹の方に向きなおした。いつでも撃てるよう銃を構えた。玲奈は山木をはさんで藤倉と反対側に移動し始めた。藤倉、山木、玲奈となることで丸腰の山木の安全性を高めるつもりだった。
山木は顔面蒼白になっていた。藤倉にはくぎを刺されていたが舐めていた。当然である。平和な日本で常在戦場の精神を持っている方がおかしいのだ。
山木茂五十八歳。その人生で命のやり取りをしたことは一度もなかった。今この瞬間までは。しかし山木は耐えた。若い少女たちが闘っているのだ。最年長の自分が取り乱すわけにはいかないと。
剣奈は疾走した。藤倉のわきをすり抜けつつ右側の黒犬に狙いを定めた。剣奈は来国光を右上に振りかぶりつつ右足を踏み出した。
「ん♡」シュッ。
樋鳴りの音が鋭く響いた。来国光は右上から左下に振り切られた。袈裟斬り。右前方の黒犬は頭を深々と斬り裂かれ空気に霧散した。残り一匹。
「ん♡」
剣奈は踏み込んだ右足に重心を移した。力を溜め、そしてとき放った。剣奈の伸ばされた右足が美しく伸びた。来国光は袈裟斬りから左腰に携えられていた。
「ん♡」 シュッ
再び樋鳴りの音が鋭く響いた。残る黒犬は胴体を深々と一文字に斬り裂かれた。左腰からの一文字斬り。最後の黒犬が塵になって霧散した。剣奈は着地した。そして振り向いた。
「大丈夫?」
心配そうな顔で尋ねた。剣奈は思い返していた。初めての闘いで、塩之内断層の闘いで惨めに泣きわめきながら逃走した自分を。
甲山の闘いで初めて参加した藤倉は鼻水を垂らして子供のようにすすり泣いていた。初めて黒震獣に相まみえた玲奈と山木は大丈夫か?剣奈は心から二人を慮った。
「は、なめんじゃねえぞ。こちとらもっと悲惨な修羅場生き抜いてきたんだ」
玲奈が吼えた。
「ははは。たまげたよ。そしてありがとう。助かったよ。みんなありがとう」
山木は正直に本心を吐露した。そして剣奈に、藤倉に、玲奈に頭を下げた。
剣奈の頬が緩んだ。花のようにふわりと咲きほころぶ微笑だった。
風が吹いた。風は四人と一振りを優しくなでていった。