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104 牛女 双毒爪弾・終焉ノ刻

 ゾクリ


 剣奈は背中にナニカを感じた。そして振り返った。目を遠方に向けた。瞬間、その笑みは、春風のような微笑は、一瞬にして凍り付いた。振り返った少女は何かを見た。

 藤倉も振り返った。剣奈の動きにつられるように後ろを見た。ナニカがいた。怪異がいた。牛の頭をした女が……いた……。


『これはまた悪趣味じゃの』


 来国光は忌々しげにうなった。神戸大空襲で被災した悲しい少女。父にずっと座敷牢に閉じ込められていた少女。その牛頭の少女の哀しい念。そして恐れられた夫婦岩への人々の畏怖の念。さらには週刊誌によって作られ、多くの人が信んだことによる人々の念。それらの念がまじりあった。そしてその念の集合体を繭としてより合わせた。邪気は産んだ。牛女の怪異を……実体化させた……。


「クニちゃ。ボク……、あの女の人と闘いたくない……」


 剣奈は牛頭の少女の境遇を悲しんだ。父に閉じ込められた少女を悲しんだ。地域を守ってきたはずなのに邪魔者扱いされて壊されそうになった岩を悲しんだ。父に閉じ込められた無念の少女が人々の思いに囚われた。そしていわれのない場所に封じこめられた。少女の、岩の、そして人々の想いに縛られた牛女の境遇を悲しんだ。


 剣奈がそんな思いに没頭する間、牛頭の女性、黒震獣牛女は剣奈に向けて走り出していた。


「くっ。ん♡」


 剣奈は牛女の動きを見て慌てて剣気を身体にこめた。そして藤倉から離れるように前進した。


「うおぉぉぉ」

 

 藤倉は仰天した。そして大慌てで後方に向かって駆けだした。

 

 急速に接近する牛女と剣奈。間合いに入る直前、牛女の左腕が振りかぶられた。


 ブンッ


 牛女は剣奈の右こめかみに向かって勢いよく腕を振り下ろした。鋭く尖った爪先が剣奈に迫る。


「ん♡」

 

 剣奈は左足を大きく引き、重心を左足に移した。体重移動とともに右足も引いた。


 ブンッ

 

 牛女の振りおろしは空を切った。腕を振り下ろした勢いのまま牛女は足先を軸として回転した。剣奈には牛女の背が見えた……。切なく……華奢な背中だった……。


 ブンッ

 

 その儚げな背中の陰から腕が出た。凶悪な拳だった。円の動きで反対側の拳が、裏拳が飛び出したのだ。牛女の回転を存分に乗せたバックブローによる裏拳打ち。


 シュッ


 剣奈はスウェーしてその拳を躱そうとしたした。しかしである。その瞬間、バックブローの間合いが伸びた。牛女は裏拳から指を、爪を伸ばしたのである。瞬時に牛女の攻撃の間合いが伸びた。


「ん♡」


 剣奈は左足を引いた。そしてそのまま裏拳を避けた。瞬間的に縮まる間合い。伸びる爪先。剣奈は瞬間的に足、腰、上半身に剣気を薄く流し、さらに深く素早いスウェーで回避した。


 ヒュッ

 

 牛女の爪が剣奈の胸元をかすめるように過ぎていった。剣奈はスウェーののけぞった態勢のまま両足で地面をけった。剣奈の身体が後方に跳んだ。牛女と剣奈の間合いが離れた。


「ゔぅぅぅぅぅぅ」


 正面を向いた牛女は忌々し気にうなり声をあげた。


 トントン トトトン


 剣奈は藤倉と牛女の距離を開けようと左方向にサイドステップを繰り返した。牛女は剣奈につられるように右方向に移動した。


「クニちゃ、闘わずに済む方法ないかな。ボク、あの女の人、斬りたくない」

『剣奈よ、こう考えたらどうじゃ。あの女性の悲しい念は邪気によって固められ、牛女の怪異として実体化した。しかしじゃ。それが彼女の本意とは思えぬのじゃ』


 シュッ


 ツツゥー


 牛女の左腕が水平に薙がれ、剣奈の右頬をかすめた。剣奈の右頬に一筋の赤い線が引かれた。赤いしずくが頬を垂れた。


「くくくくくくっ」


 うまく躱されて触れることのできなかった小娘。いまいましい小娘。今回は顔に傷を負わせてやった。忌々しい小娘の顔に傷をつけてやった。


「毒を流し込めてやったならもっと良かったのに」

 

 牛女は小娘に傷を負わせた。牛女が愉悦にひたりつつさらなる凶悪な思想を頭に浮かべた。彼女がそう思った瞬間である。牛女は右腕が膨らむような圧迫感を覚えた。


「うぐぐぐぐぐぐぐぐ」

 

 牛女は気づいた。自分の右手の爪根(そうこん)から爪甲、そして爪先に液体が滴り流れるのを。液体は赤黒く禍々しい色をしていた。牛女は右腕を右から左に振りぬいた。禍々しい液体が剣奈に向けて飛んだ。


 ピシュッ


『後ろ!跳べ!』


 来国光が叫んだ。

 

「ん♡」


 剣奈は迷うことなく足に剣気を流し、後方に素早く跳びのいた。液体は、毒液は剣奈に届かず地面に落ちた。剣奈は後ろに跳んだ位置から時計回りの動きで細かくステップを繰り返しながら牛女の右横に回り込んだ。後方の藤倉からさらに離れるためである。


 ピシュ、ピシュッ

 

 牛女はニヤニヤと笑いながら右上から左下へと腕を振りおろし、そして左下から右上へと腕を振り上げた。禍々しい液体は同じ軌道で二度飛んだ。


「ん♡、ん♡」


 剣奈には見えていた。自分が鬼に使った手である。同軌道同方向の時間差の飛び攻撃である。ツインレイヤー・ヴェノムクロウショット(Twin-layer Venom Claw Shot)、双毒爪弾(そうどくそうだん)終焉ノ刻(しゅうえんのとき)である。


「ん♡ あぁぁぁぁぁぁん!」


 トトッ トトッ

 

 剣奈は瞬時に剣気を足に流し、後方に大きく跳躍した。そして着地と同時に再び後方に跳んだ。


「くぐぐぐぐぐ」


 牛女は忌々し気に顔をゆがめた。手に入れた毒手。毒液のしぶき攻撃、毒爪弾(どくそうだん)。しかし小娘は忌々しくも難なく毒爪弾を避けた。ならばと牛女は時間差で同じ軌道で毒爪弾を飛ばした。

 同軌道時間差攻撃、双毒爪弾(そうどくそうだん)終焉ノ刻(しゅうえんのとき)。必殺技のはずであった。小娘が最初の毒しぶきを避けるのは想定内。しかし小娘がほっとした瞬間、その安心した馬鹿面に次なる毒爪弾が降り注ぐはずであった。毒をまともに食らった小娘のこぎれいな顔は爛れ、醜く崩れ落ちるはずであった。

 

 しかし小娘は小賢しくも後方に二弾に跳び、隠密の毒爪弾まで躱してしまった。牛女は忌々し気にうなりを声を上げ、剣奈を睨みつけた。


「クニちゃ……、ボク……どうすればいい?」


 剣奈が来国光に語り掛けた。剣奈は牛女を傷つけたくなかった。

 

『剣奈よ。あの娘は今、望まぬ姿でここにいる。彼女を縛る念を邪気ごと浄化し、霧散させてやるのがあの娘のためではないかの?』


 剣奈は思った。そうかもしれないと。父に疎まれた無念。閉じ込められたまま炎につつまれて焼かれた苦痛。命を落とした無念。謂れのない面白半分の人々の想いに囚われ縛り付けられる無念。それらが今、彼女の魂を牛女の怪異として顕在化させられているのだ。

 そうであれば。そうであるならば。それらを浄化することで彼女を輪廻の輪の中に返すことができるのではないか。剣奈は来国光信じた。そして彼を抜刀して神に祈りを捧げ始めた。


吐普加美依身多女(とおかみえみため)

 吐普加美依身多女(とおかみえみため)

 吐普加美依身多女(とおかみえみため)


 来国光の刀身が白黄の輝きに包まれた。そして剣奈は続けた。


布留部(ふるべ) 由良由良止(ゆらゆらと)


 白黄輝の光が揺らめき、さらに輝きを増した。剣奈は来国光を右腰に腰に溜めた。

 

 突然攻撃態勢に転じた剣奈を見て牛女は両足に力を込めた。


 タタッ


 そして両足を蹴って牛女は剣奈に向かって疾走し始めた。


 タタタタッ


 剣奈もまた前方、牛女に向けて走り出した。急速に縮まる両者の距離。牛女の右腕が振りかぶられた。剣奈はかまわず疾走した。牛女の右手が右上から左下に振られた。禍々しい毒液が勢いよく放たれた。


 ヒュッ 


「ん♡」


 剣奈は右足先に力を込め左半身(ひだりはんみ)の構えのまま、左前方に跳んだ。

 毒液は剣奈をそれて後方に飛んだ。


「ん♡」


 左足で着地した剣奈は、左足のひざを曲げた。移動の力も押し込めて溜めた。そして左足で勢いよく地面に踏み込んだ。


「んあぁ♡」


 踏み込まれた左足。そして(たい)が入れ替えられた。右肩が前に出た。その勢いのまま右腕が突き出された。


  ヒュッ


 刃閃は鋭い直線を描いた。剣奈の左腕は来国光の柄頭に添えられ、押し込まれた。跳躍の推進力を乗せた猛烈な刺突である。


 ドスッ

 

 来国光は、来国光の白黄に輝く刀身は、牛女の身体に深々と突き刺さった。


 ボワン

 

 突き刺さった来国光を中心として黒霧となり牛女の身体は空中に飛散し始めた。牛女は振り向いた。牛の表情は人にはわからない。けれど剣奈は感じた。


 その時たしかに……、牛女は微笑んだ……と。


 牛女は消滅した。剣奈は来国光を右手に握ったまま崩れ落ちた。剣奈は膝をつき、乙女座りで尻もちをついた。がっくりと頭を落とし、両手で来国光を抱きしめた。


「はぁはぁはぁ」


「クニちゃ……、あの女の人……、笑ってた……。あの人、あそこから解放されたのかな?新しく生まれ変わることができるのかな?そしたらボク……、あの人とお友達になれるかな?」


 剣奈はぽそりとつぶやいた。来国光は剣奈に抱きしめられたまま、


 『そうじゃのう。そうじゃといいのう』と、


 しみじみつぶやくのだった。

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