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103 剣奈、あざとい小悪魔疑惑 芦屋断層の闘い

『剣奈、邪気の気配がする。邪気が現世にも足を伸ばしておるのやもしれぬ。すこし邪気を削っておくか』

「そうだね。あ、でもバイクから遠いね。先生は危ないからちょっと待っててね」


 来国光が邪気の気配を感じ取った。剣奈は意識を戦闘モードに切り替えた。闘う手段を持たない藤倉教授を邪気討伐に同行させるのは危険である。そう判断した剣奈は藤倉に現世での待機を提案した。

 この提案は藤倉にとってはとんでもない話である。剣奈の儀式を見たいがために彼女に付き添って移動手段を提供しているのである。藤倉は思った。ここで自分だけ置いてけぼりはないだろう。それではただのアッシーだ。

 さすが藤倉である。古い言い回しを使う。「アッシー」とは女性が移動のためだけに利用する車持ちの男性のことを言う。移動したらあとはポイである。まさに今の藤倉がそうなりかけていた。剣奈にその意識はなく、ただ藤倉を気遣っただけなのである。しかし見方によっては今の剣奈はあざとい小悪魔である。藤倉は慌てて提案した。


「剣奈ちゃん。こう見えて私はすばしっこいんだよ。後生だよ。ここで置いてけぼりされたら先生泣いちゃうよ?剣奈ちゃんならわかるだろ?義を見てせざるは勇なきなり。虎穴に入らずんば虎子を得ず。男は度胸。ここでやらねばいつやるんだ。不撓不屈(ふとうふくつ)初志貫徹(しょしかんてつ)勇猛精進(ゆうもうしょうじん)一意専心(いちいせんしん)七転八倒(しちてんばっとう)!」


 もう無茶苦茶である。あきらかな誤用も混じっている。七転八倒は激しい苦痛や困難のあまりごろごろと転げ回ってひどく苦しむさまである。藤倉よそれでいいのか?言いたいのは七転八起(しちてんはっき)ではないのか?

 

 しかし剣奈にはその違いなど分からない。いや、むしろかっこよさげな言葉に剣奈の胸はジーンと感動すらしていた!


「わかるよ。ボク、わかるよ!男にはやらなきゃならない時があるんだ。負けるとわかっていてもやらなきゃならない時があるんだ。諦めたらそれで終わりなんだ!」


 いや剣奈、君の今は女だろう。それに負けたら藤倉は死ぬぞ?


『藤倉殿、貴殿の(こころざし)は承った。しかし下手をすると冗談でなく命を落とすぞ?その覚悟はあるのじゃな?』

「私は探求心を重視するタイプなんだ。昔ガリレイは裁判で拷問をちらつかされて志を(たが)えた。だがブルーノは「後に真理に慄くのはきさまらだ!」といって逍遥と死を受け入れて火あぶりになった。どちらも人の生き方だ。どちらが正しい間違いはない。しかし私は、俺は、火にあぶられても志を貫き通したいんだぁ」

「わかった。先生の覚悟は受け入れた。一緒に行こう。ボクが守るよ」


 ジーンと胸を打たれた剣奈が決心した。男気を見せた先生はボクが守ると。


 二人は病院の洗面所の水道でみそぎを済ませた。


「け、剣奈ちゃん!き、君はあっちだ」


 自然と藤倉とともに男性用トイレに入ろうとする剣奈を藤倉は慌てて止めた。


 剣奈よ……美少女がいきなり男性用トイレに入ってきたときの混乱と危険性をいい加減わかれ!


 それはさておき、禊を済ませた二人は病院を出て人気のいないところに移動した。剣奈は四方拝を執り行い、甲山の方角を向いて柏手を打った。そして藤倉と手をつないで祝詞の奏上を始めた。藤倉の胸が高まったことは言うまでもない。剣奈はなんの感情も沸いていない。藤倉、残念。

 しかしすぐそのあとに祝詞を奏上する気高く美しい剣奈の姿に藤倉は呆然と彼女を見つめた。高く透き通った声に聞きほれた。


()けまくも綾に(かしこ)

天土に神鎮(かむしずま)()

(いとも)も尊き 大神達の大前(おほまえ)

慎み敬い (かしこみ)(かしこみ)(まを)さく

今し大前に参集侍(まいうごなは)れる

剣奈と来国光と藤倉先生

幽世(かくりよ)に送りたまへと

(おろが)(まつ)るをば

(たひら)けく(やすら)けく

聞こしめし(うづな)(たま)へと

白すことを聞こしめせと

恐み恐み白す


 一陣の風が吹いた。剣奈と藤倉は風に溶けた。気が付いた時、二人は浩々と広がる野原に立っていた。

 剣奈はリュックから来国光を取り出して左腰に差した。刃を上にした指し方である。藤倉がいるので射程が長い順手持ちを無意識のうちに選択していた。来国光は剣奈の戦闘センスに改めて瞠目した。剣奈はプツリと左手親指で静かに鯉口を切った。


『来よるぞ。黒犬じゃな』


 五匹の黒震獣犬が現れた。藤倉は黒くモヤ立つ禍々しい黒犬を見て戦慄を覚えた。想像していたよりもずっと恐ろしい。思っていたよりはるかに獰猛そうであった。

 藤倉は剣奈の足手まといになるくらいならいっそ潔く命を手放そう。そう覚悟を決めた。

 

 五匹の黒犬は鋒矢の陣形で駆けてきた。五匹の貫通力で一気に剣奈たちを屠る作戦だった。 

 

 「ん♡」

 

 先頭の黒犬が剣奈に向かって跳躍した。剣奈は柄に右手親指と人差し指の谷間を下から添えていた。

 跳躍した先頭の黒犬が迫った。その瞬間、剣奈は左手で鞘を引き、柄を指の谷間と小指で挟みつつ右手で抜刀した。その勢いのまま右手小指から順に薬指、中指と連動して刀を握った。

 

 ヒュン


 樋鳴りの音がした。きらめく一閃。刃閃は小円を描いた。抜刀左逆袈裟斬り。小さく返された刃閃は先頭の黒犬の鼻から頭蓋を存分に切り裂いた。残四匹。


「ん♡」


 続く二列目の犬は剣奈の胴体を狙って中段に跳躍していた。先頭の黒犬が注意を引き、意識のそれた胴体を狙う戦略だった。抜刀から右上に振られた刀は止まらない。刃先は続けて円の刃閃できらめいた。(たなごころ)の中で回転した勢いのまま刀身は今度は左下に向かって斬り下げられた。

 

 ヒュン


 刃閃は浅い角度の袈裟斬りにきらめいた。右に飛びかかった黒犬は左耳から右頬へと存分に頭蓋を斬り裂かれた。左から跳びかかった黒犬は左頬から喉元を斬り裂かれた。左逆袈裟斬りから浅い角度で袈裟斬り。二匹の黒犬が消滅した。残二匹。


「ん♡」


 ここまで剣奈は一歩も動いていない。右半身の姿勢のまま抜刀し、腰を落としながら袈裟斬りに斬って落とした。

 左脇まで振り切られた刀身。剣奈は(かいな)を返した。


 ヒュン


 剣奈は左にねじ切られた上半身の力を開放するように刃を繰り出した。最後の二匹は跳躍せずに疾走してきていた。 もし剣奈が対応できていなければ、先頭の黒犬に喉元を食い破られ、低めに跳躍した二匹に左右の胴体を食いちぎられたであろう。こと切れた剣奈は最後の二匹に存分に食いちぎられたであろう。跳躍して通り過ぎた三匹もすぐに反転して剣奈の頭を、胴を、手足を存分に食い散らかしたであろう。しかし。


「ん♡」


 しかし現実は残るは疾走する二匹のみとなっていた。剣奈の背中から右ひじが現れた。続いて(かいな)とともに刀身が現れた。一歩踏み込まれた右足に荷重がかけられ、右足の膝はさらに低く曲げられ剣奈の姿勢が低くなった。剣奈は低い姿勢のまま右つま先を軸に捩じった。剣奈の身体は左から右に円の動きで胴体が捩じられた。刃閃は水平に左から右に一本の線を描いた。

 

 ヒュン


 左一文字斬り。左から疾走してきた黒犬は右頬から左頬を存分に斬られた。右から疾走してきた黒犬も右頬から左頬を斬り裂かれた。残る二匹の黒犬も瞬時に消滅した。一瞬にして五匹の黒犬が完全に消滅した。


 藤倉は瞠目した。いたいけな少女が見せた驚くべき殺戮に戦慄した。朗らかな少女だった。怖がりな少女だった。それが敵を前にした瞬間、清冽で厳かな気配に包まれた。触れれば消滅させられてしまいそうな怖さを感じた。凪いだ水面のようでいながら恐ろしい。そんな雰囲気に包まれた。

 飛び込んできた黒犬五匹は一瞬にして消滅させられた。まるで篝火に飛び込んで焼かれた虫のように。


「ふぅ」

 シュ


 目の前の少女は一つため息をついて納刀し、振り返った。優しい慈愛に包まれた笑顔だった。


 春風のように穏やかな笑顔だった。


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