101 お〇こ岩 幽閉された牛女に迫る炎(イラストあり)
ブォー キキー
トコトコトコトコ
シュー
ピンポーン
翌朝十時、藤倉がVストローム250にのってやってきた。トコトコと特徴的なエギゾーストノートを奏でる水冷二気筒エンジンである。
それを見た剣奈は、
「うわぁ!かっこいい」
鳥のくちばしのように尖る赤いカウルが剣奈の「剣人心」にドストライクだった。ビビッと刺さった。
◆藤倉愛車 スズキ Vストローム250
「行ってきまーす!」
剣奈はプレゼントされた真っ赤なジェットヘルを装着し、意気揚々とバイクに跨った。百二十五cm、小柄な剣奈にVストロームは巨大である。
ブォンブォン ヴゥーーーン
ブォン ヴゥーーーン
ブォン ヴゥーーーーーーーン
軽快にギアを上げて走る藤倉。剣奈のワクワク心ははち切れんばかりである。いや、すでにはち切れていた。目をキラキラ輝かせて気持ちよさげに風に身を任せていた。
藤倉は宝梅から白瀬川橋を右折し、宝塚ゴルフ倶楽部を突き抜けて六甲山方面に向かった。ちなみにこの道はかつて千剣破の通学路でもあった。藤倉は甲寿橋を左折し、鷲林寺町の信号を通過した。
「うわぁ!道路の真ん中におっきな石がある。あれ?この今割れてる」
夫婦岩、別名お〇こ岩である。投稿時にそのまま書けばバンされかねないか心配な名前である。そして真ん中で割れた凹岩である。おめ〇である。まんまである。凹ハンター剣奈の面目躍如である。いや剣奈が凹に囚われて逃げられないと言う方が正確か。はしゃぐ剣奈に藤倉は話し始めた。
「この夫婦岩は心霊スポットとして有名なんだ。なんで道のど真ん中にあるかというとね、それは動かせなかったからだよ。一九三八年の阪神水害の時、復旧工事で岩を爆破しようとしたんだ。ところが工事関係者が急に亡くなってね。岩はそのままにすることにしたんだ」
「ブルッ。そうなんだ。ちょっと怖いね」
「そうだね。ちょっと怪異じみてる。そしてね、この岩にはそれとは別の怪異伝説も持っているんだよ。「牛女」伝説っていってね、顔が牛で体が人間の怪異がここに出るそうだよ」
「えぇぇぇ」
「よく似た牛と人とのキメラ妖怪として件がいるよ。件は突然生まれて不吉な予言を言うんだ。予言の数日後に死んでしまう。ただ件は顔が人、体が牛でね。ここの牛女とはキメラ具合が逆なんだ」
背筋がぞっとした剣奈である。鬼退治をしておきながら怪異・幽霊は大嫌いの剣奈である。身体から血の気をひかせながら、ひきつった顔で答えた。
「そ、そうなんだ。ボク、怖いかも。でもなんで牛女さんがでるの?ここに恨みとかあるの?」
藤倉はあらかじめ北山公園そばのバイク駐輪場を予約していた。そこにバイクをとめた。ヒョイッ。自分が降りた後、手を差し伸べて剣奈がバイクから降りるのを手伝った。剣奈を抱き上げた藤倉は笑顔満面である。
「あっ」
急に抱きかかえられた剣奈は思わず声を漏らした。すると藤倉のマグナムが……
むむむ。蹴とばしてやりたい。まあそれはともかく。
藤倉はヘルメットを脱ぎながら上機嫌で答えた。笑顔で話すような内容でないのに……
「昔ね、西宮に屠殺場があったそうなんだ。そこでたくさんの牛が屠殺された。そこのオーナーに娘さん生まれたんだ。けどね……、その娘さん……、頭が牛だったそうなんだ……」
「えぇぇぇ!」 剣奈は思わず絶叫した。
「お父さんは世間体を気にしたんだろうね。娘さんを座敷牢に閉じ込めて育てた。さすがに我が子を殺すのは忍びなかったんだろう。その時は戦争中でね、一九四五年(昭和二十年)三月十七日、神戸にアメリカ軍が大空襲を仕掛けたんだ。神戸一帯は焼け野原になった。その屠殺場も丸焼けになってしまった……」
神戸大空襲。剣奈は母とともに見た有名なアニメ映画を思い出していた。その映画では三月十七日の神戸大空襲でとある幼い兄妹が家を焼かれた。住む家を失った幼い兄妹はあまりに無力で無知で……。
幼い妹はサクマドロップの缶を大切にし、その味を懐かしんだ。中身がなくなっても空き缶に水を入れて甘さを得ようとした。
妹を亡くした兄は遺骨とともにドロップ缶を捧げる。日常のささやかな幸せだったはずの甘い飴の缶がとても切なく儚く描かれた。ラストでは子供の遺体を見つけた駅員はみつけたドロップ缶を投げるのである。そして缶から小さな骨がほろりとこぼれ落ちた。
剣奈は母とともにその映画を見て泣いた。幼い兄妹を引き取った家庭のあまりもの仕打ちを泣きながら母に訴えた。母は優しく剣奈(その時は剣人)に言った。
「あの人は引き取らなくてもよかったのよ?でもちゃんと引き取った。そして少ない食料の中から工面してあの子たちにちゃんと食べさせたの。たしかにね、自分の子供を優先したわ?でもね。私だってあなたを優先したい。それは罪なのかしら?」
剣人は考えた。その子たちに腹いっぱい食べさせるために自分が飢える……。わからなかった。
「ボク…… ボク…… わからない……」
「それでいいのよ。世の中にはね。正解なんてないの。その時、それぞれの立場で、それぞれの思惑で、それそれが思う正しい道があるだけ。だから剣人はこれからも考え続けなさい。その状況で自分が恥じることなくやれることはなにかと。それがたとえ周りの人の賛同を得られなくても」
千剣破は涙ぐむ剣人の頭をそっと抱きしめながら囁いた。剣人は泣くことしかできなかった。
剣奈は焼かれた牛女を悼んだ。そして閉じ込めはしたが生を繋がせた父にわだかまりを感じつつも、その苦悩と慈しみを感じた気がした。
「戦争って怖いね……。空襲って怖いね……。それでその娘さん、亡くなっちゃったの?」
「それがね、空襲で焼け野原となった荒地で牛頭の女性が焼け死んだ家畜の肉を貪り食っていたとの目撃談が相次いだ。生きていたのか、それとも怪異として生まれ変わったのか、あるいはただの見間違えだったのか、それはわからない」
ブルブルブル
怪異。お化け。幽霊。一気に背筋が冷えた剣奈である。
「そ、そうなんだ。でも、なんか悲しいね。それがここなの?」
「いや、その牛女は本来ここと関係がないはずなんだ。さっき、夫婦岩の前に信号を通ったのを覚えてるよね。そこの交差点の名前の寺で真夜中に特殊なことをすると牛女が出る、そう書いた週刊誌があってね」
「え?それはなにか関係があるの?」
「いやよくはわからないんだ。ただの面白半分のネタ記事だったのかもしれない。お寺の祠で特殊な回り方をすると牛女がでると書かれていたらしい。そしたら肝試しの若者が大挙して押しかけてね。寺はたいそう迷惑したんだそうだ。まあ当然だよね」
「知ってる。それ。フェイクニュースって言うんでしょ?」
「そうだね。そしてね、お寺さんは「牛女は引っ越しました」という看板を山門に掲げたんだ」
「あはは。なんかおかしいね。オーバーツーリズム、観光公害ってやつでしょ」
「おお、剣奈ちゃんは専門的な言葉を知ってるね。賢いんだね」
「えへへへへ」
褒められてどや顔満面の剣奈である。チョロ剣奈の面目躍如である。
「それでね。どういうわけか、引っ越し先がこの夫婦岩と言うことになったんだ。全然別の伝説が一つの伝説として合体する。よくあることなんだ。そして夜中に牛女が岩の上に立っているっていう目撃談がまことしやかに囁かれるようになった。別の話では六甲山に現れてバイクを追いかけるそうだよ?バイク仲間がそんな話をしてたよ」
「えぇぇぇぇぇ!いやぁぁぁぁぁ」
バイクに乗ってきた剣奈に衝撃を与えてしまったようである。剣奈は真夜中の山道で牛女に追いかけられるのを想像してしまった。そして怖くなった彼女は思わず藤倉の背中に強く抱き着いた。
「け、剣奈ちゃん?」
突然のしがみつきにびっくりした藤倉である。しかし美少女に抱き着かれるのはまんざらではない。藤倉は「いい話をしてしまった!」と心の中でどや顔の決めポーズをかましたのだった。藤倉あんがいゲスである。