第1話 フォトナと旅立ち
晴れ渡った空の下。
遠くにファルベン王都を望む丘の上に、旅人にしては少ない荷物を抱えた長身の少女が一人。坂道を登り終え、まだ息の整わないままに前方を見据えた。
一束の長い漆黒の髪が、草原を吹く風になびいた。凛とした横顔が日差しに照らされる。
「あれが…ファルベン連合国の中枢か」
巨大な五稜の塀の中に、玩具のような町がすっぽりと収まっている。最も奥まったところに目を凝らすと小さく見える、時計台。
あれが、ファルベン学園の中心だろう。思わず腕組みし、ふん―――と王威を漂わせる風格で大きく息を吐いた。
これからようやく、自分の試練が始まる。
感慨に耽ったのも束の間、遠くから馬車の駆ける音と共に懐かしい声が追ってきた。
「フォトナ姉さま~~」
ルカが馬車を飛び降り、驚くフォトナに飛びついた。
「フォトナ姉さま!黙って出発されるなんてあんまりです……」
「ルカ!どうして……」
フォトナは思わずその鍛え上げられたたくましい腕でルカを抱きしめたが、すぐに厳しい顔を作った。
「心配することはない。アストリア家の男児たるものがこれしきの別れに弱音を吐いてはならん」
「それでもフォトナ姉さま、ファルベン王都はいま、五大国の思惑うずまく魔窟と申します。
それも今年のファルベン学園だなんて……
いつ凶刃に倒れようと、毒を盛られようと不思議ではありません。
やっぱり今からでもお止めになっては?ああ……せめてどうか私を、お邪魔には決してなりませんから……」
いつも通りぴしゃりと制そうとしたが、今生の別れのように見上げる潤んだ瞳に思わず頬が緩み、フォトナは快活にはっはっはと腹から笑った。
「私が寝首を掻かれると思うのか、ルカ。
それに、今年私が入学できるのは天啓と呼ばずしてなんなのだ。
きっとどの王子達よりも、強く、賢く、知見を携えてセレニア国に戻るぞ」
「フォトナ姉さまがこれ以上たくましくなられては、その……」
「なんだ」
「いえ、なんでもございません」
長年の鍛錬の証である、無駄なく張り詰めた筋肉を前にルカは黙り、あっ、それより、と手紙を渡した。
「フォトナ姉さま、これ。急がれないと。
もしかして日付をお間違いではないかと思って!」
「なんだ。一週間後には問題なく間に合うように……」
今まさに入学に向けた旅路にある、ファルベン学園からの入学案内には―――
―――入学は確かに一週間後―――
――――――入学前説明会は、明後日?
「ば、お前……!」
「僕絶対に言いましたよう~~~」
最愛の弟をもう一度抱きしめる間もなく手早く別れを告げ、
セレニア国皇女、フォトナ・アストリアはものすごい勢いで走り始めた。大いなる運命に向かって。