35. こんな偽物の世界、さっさと終わらせましょう
「あいたた……」
レッサーデーモン(紺)を撃破した直後、ダイヤはレーザービームを殴った反動で机から落ちて尻餅をついていた。
痛むお尻をさすりながらゆっくりと立ち上がると、音が近くまで寄って来る。
「やったね、音」
「…………」
そう労いの言葉をかけたけれど、音は何も言葉を返してくれなかった。
ハイタッチをするような雰囲気でも無い。
「(仲が良い友達が相手だったから素直に喜べないのかな)」
音の気持ちを察したダイヤは、今はそっとしておこうと思ったのだが。
「…………」
「…………」
「…………」
「(ま、まさかこれって)」
ダイヤの前まで来た音は、目を閉じて顎をやや前に出し、何かを催促しているかのようだった。
そのポーズで思いつくのは、戦闘中にダイヤがやってしまったアレのこと。
「(やり直しを要求されちゃってるの!?)」
音を温めるという名目で唇を奪ってしまったが、彼女は余韻をもっと味わいたいと言っていた。それは後でとダイヤは返したが、アンコールをリクエストされるのは流石に予想外だった。
「(でもこの雰囲気は……ありなのかな)」
誰もいない教室に二人きり。
学園モノの定番シチュエーションだ。
ダンジョンの中とはいえ、夕陽が射し込む放課後の教室にロマンを感じる女の子がいても不思議ではない。
「夕陽!?」
「夕陽!?」
二人とも今のシチュエーションについて考えていたのだろう。
窓の外の様子が様変わりしていることに気付いて同時に驚き、キスをするような雰囲気では無くなってしまった。
「これってやっぱり彼女を倒したから?」
「だと思うわ」
つまりイベントポイントでイベントをクリアし、次のステップに進むことが出来たと言うことなのだろう。
「というか今更ながら気づいたのだけれど、知っている街だから太陽の位置でさっきまで朝だったって気付けたはずだわ」
「確かに。僕も気付かなかったや」
「こんな単純なことに気付かないだなんて、私達もまだまだね」
「勉強することが一杯だ」
ダンジョンを探索するには、些細な情報すら見逃してはならない。
それは鉄則で、常に周囲を観察し続けることが大事になる。
少し考えれば朝かどうか分かるところで判断を曖昧にしてしまったのは、やはり経験不足によるものだろう。二人ともまだ新人でダンジョンに不慣れなところがあるということだ。
「さっきまでは朝で、学校に来たらイベントがあったってことは」
「今度は帰宅しろってことよね」
「じゃあ音の家に入れるようになったのかもね」
「そ、そうね……」
「わーい、音のお部屋拝見だー!」
「うううう、恥ずかしいわ」
「この変わりよう」
ちょっと前までは断固拒否する態度だったのに、照れながらもウェルカムな雰囲気になっている。
堕ちてくれたことは嬉しいけれど、あまりの変化にまだ少しついていけないダイヤであった。
それと同時に安心もしていた。
帰宅するということは、間違いなく次の敵は家族だろう。
音もそれは分かっているはずだが、何でもないかのように自然体だったから。
「さて、行こうか」
「ええ」
二人は学校を出て再び街へと繰り出した。
街の中には魔物が増えていた。
しかも今度はレッサーデーモン(赤黒)やレッサーデーモン(紺)に変化するでは無いか。
「アイテム落とさないから極力戦闘は回避の方向で」
「分かったわ」
体力をなるべく温存しつつボスまで辿り着くことを優先した。
ひたすら遠回りをし、エンカウントを極力減らした結果、二度の戦闘だけで家に戻ってくることが出来た。
「…………」
流石にここまで来ると、音の緊張が蘇って来たようだ。
ダイヤは隣に立ちキュッと手を握った。
「ありがとう。でも大丈夫。どんな魔物が出てくるのかって不安だっただけだから」
「うん、そうだね」
学校でのイベントポイントでのことを考えると、この先に出現する魔物はまた未知の相手である可能性が高い。音は過去のことではなく、純粋に魔物の強さを考えて緊張していただけだった。
「よし、行くわ」
自宅の敷地内に足を踏み入れると、今度はワープしない。
学校で正しく攻略フラグを立てられたということだ。
「ただいま」
そう言いながら音は思わず靴を脱ぎそうになってしまったことに気付き苦笑する。
学校で校舎に土足であがるのもそうだが、自宅の場合はもっと抵抗感があるなと、冷静にそんなことを考えていた。
「二階よ」
家族が主に過ごすリビングは二階にある。
入口近くの狭い階段を登ると、LDKの間取りで右手にダイニングキッチンが、左手にリビングがある。
そしてそのリビングのソファーに、音の両親らしき二人の男女が座っていた。
「ただいま」
「…………」
「…………」
改めて音が挨拶をするが、両親は『おかえり』と言ってくれない。
それどころか、露骨に怒っているかのような不快な表情を浮かべている。
「俺に何か言うべきことがあるんじゃないか」
先に口を開いたのは父親だった。
「…………」
質問をしてきた父親に対し、音は『何のこと?』と疑問を呈するどころか何かを発することも無い。
ただ無表情で父親を見つめている。
「その男は何だと言ってるんだ!」
そんな音に対し、父親は鬼のような形相になり激怒する。
「ヴァルキュリアの誇りを忘れたのか!あんなにも教えてやったのに忘れたのか!恥を知れ!」
ヴァルキュリアとして強く、気高く、活躍しろ。
それは確かに音の父親の教えであった。
その教えを破り、男を自宅に連れ込むだなんて軟弱なヴァルキュリアに育てたつもりはない。
そう怒っているのだろう。
一方で母親は全く別の反応をする。
「やっぱりあなたは私の娘なのね」
自分と同じようにダンジョン探索よりも男を選んだのだという意味に違いない。
その顔は侮蔑に満ちているようで、同時に自虐に満ちているような不思議な表情だった。
「ヴァルキュリアだなんて言ってもそんなものよ。好きにしたら?」
そして興味が無さそうな顔になりスマホを弄り出す。
「お前はヴァルキュリアとして結果を残さなければならないんだ!」
「…………」
激怒する父親と、無関心な母親。
あまりに酷い対応なのだが、ダイヤが音を守ろうと彼らの前に立ちふさがることは無かった。激怒して彼らの言葉を遮ろうとすることも無かった。
その理由は、隣に立つ音の様子が変わらなかったから。
冷静で落ち着いているいつもの音だったから。
「なんだろうね、これ」
「音?」
怖がることも無く、怯えることも無く、俯くことも無く、目の前の両親もどきを冷めた目で見ている。その目は無関心な他人に向けるものに近かった。
「私は怖かった。ここに来るのが怖かった」
だから最初、自宅を見て身動きが取れなくなっていた。
「パパとママが私を責めてくるかと思うと怖かった。だってそれは私がパパとママの気持ちがそうだって思っているってことだから」
この世界は音の記憶や想いを元に作られた世界だ。
だとすると、もしここで父親や母親が音を責めたとすると、それは両親が娘を責めるような人間だと音自身が感じているということだ。
「怒られることよりも、責められることよりも、私がそう思っていることを突き付けられるのが怖かった」
無意識に隠そうとしていた内面が暴かれてしまうのが怖かった。
両親に対する印象が本当はとても悪いものだったと明らかにされるのが怖かった。
「だって私はパパもママも大好きだから」
たとえ父親がヴァルキュリアについての在り方を教育してこようとも、自分自身のことに触れられると激怒しようとも、母親が音に対して興味が薄そうでも、ヴァルキュリアのことを話すと嫌そうな顔をしても。
それでも音は両親のことが心から好きだった。
「大好きなパパとママを、心の底では怖がって怯えていただなんて言われたらどうしようって思った」
だが今、目の前で父親と母親は音が最も見たくなかった彼女を責める姿を晒している。
それなのにどうして冷静でいられるのか。
「でもこうして実際にその姿を見たら、なんか馬鹿馬鹿しく思えちゃった」
音はそう言うと、両親に向けてランスを構える。
「貴方達は私の記憶が生み出したものじゃない。偽物よ」
これまでは確かに音の記憶や想いに忠実な魔物が出現し、音の心を的確に抉って来た。だとすると両親もまた同じであると想像するのは当然のことであろう。
しかし音は断言する。
お前達はこれまでとは違う存在だと。
「だって違和感しか無いんだもの。私がパパやママを自分勝手な想いを娘にぶつける人だと思ってた?パパもママもヴァルキュリアとしての私しか見ていなかった?あまりにもあり得なさすぎて、怒る気にもなれないわ」
目の前の両親の姿が本当に音が恐れていた姿であるならば、心が痛むはずだ。
しかし全く何も感じることは無く、姿形が似ているだけの別人にしか思えなかった。
これが街行く人々からの精神攻撃で心が崩れかけている音であれば、偽の両親もまた自分の心の中に巣食っていた想いの形だと勘違いしていたかもしれない。
しかし今の音は大切な人が傍にいて、心が温かくて落ち着いている。
その状況で偽の両親に責められようとも、茶番にしか思えなかったのだ。
「私の家族を舐めないで。私はパパもママも愛している。ヴァルキュリアだからとか関係なく、パパもママも私を愛してくれているわ!それは私自身が一番分かっていることよ!」
ヴァルキュリアへの拘りを抱える両親ではあるけれど、音はたっぷりと愛されていることを自覚していた。ヴァルキュリアとしての理想の姿を押し付けたがる父親が、ヴァルキュリアとは関係なく愛してくれていると分かっていた。傍目からは興味が無さそうに見える母親からも、確かな愛情を感じ取れていた。
それを理解している今の音は、偽の記憶になど惑わされはしない。
「ダイヤ」
「なぁに?」
「こんな偽物の世界、さっさと終わらせましょう」
そして二人で一緒に本当の世界に戻るのだ。
父と母が愛してくれている現実へと。