26. レッサーデーモンとの死闘 前編
「そんな物騒な物を持ってどうしたのじゃ」
ランスを構える音を相手に、老人は顔色を変えずに自然体で対応してくる。
この不気味さは、間違いなく他の魔物と同様だった。
「さっさと正体を現しなさい!」
この状態では攻撃が通らない。
それはニセ近城母へのダイヤの奇襲により判明している。
不快なことを言われる前にさっさと姿を変えろと音は吼えた。
「悪い男に捕まってしまったのかのう。相手をしっかり選ばないと、お主の母みたいになるぞい」
「うるさい!早く変われって言ってるでしょ!」
「ふぉっふぉっふぉっ、今からでも遅くない。真面目でまどもなおどごをみづげ……」
好々爺とした雰囲気の老人は、とたんに感情が抜けたような表情になり、徐々に姿を変えて行く。
「あ……」
改めてレッサーデーモンを前にすると、恐怖で足が竦んでしまいそうだ。
だが歯を食いしばりギリギリのところで踏みとどまり気力を振り絞る。
「(あいつみたいに先手必勝しかない!)」
姿を変えた直後は動きが遅く、攻撃のチャンスだ。
勇気を振り絞り攻撃を仕掛ける。
「五月雨突き!」
鋭い連続の突きがレッサーデーモンに襲い掛かる。
「っ!」
しかしレッサーデーモンは爪を盾にしてそれを防いでしまった。
「当た……らない!」
何度突いても、その悉くが跳ね返されてしまう。
焦りながらも突き続ける音とは対照的に、ダイヤはその様子を冷静に分析していた。
「(アレじゃあダメだ。爪のガードを外して攻撃しないと。まだ五月雨突きのスキルレベルが低いのかも)」
技スキルのレベルが高くなれば突く場所を広範囲にするなどの柔軟性が生まれるが、今は最初に狙いを定めた付近しか攻撃出来ていない。急いで突くのに精一杯という感じで、まだスキルを覚えたてに近いように見えた。
「(あの爪のガードを突破するなら一撃の威力が低い五月雨突きよりも、攻撃力の高いスキルが必要だけど、覚えてるのかな)」
五月雨突きはあくまでも手数を優先したスキルであり、一つ一つの突きの威力は普通に突くよりも弱い。相手のガードを力づくで破壊するには向いていないだろう。
だがいかにヴァルキュリアとはいえ、まだ初心者の音が沢山の技スキルを覚えているとも思えない。
「五月雨突き!五月雨突き!五月雨突き!」
効かないと分かっていて五月雨突きを放つしか無いということは、やはり他に攻撃手段を持たないのかもしれない。
「猪呂さん!普通にスラストで攻撃した方が良いかも!」
「ぐっ……そ、そうね!」
五月雨突きの狙いを多少ずらしたとしても、左右それぞれの爪でガードされてしまう。
それなら攻撃力がある普通の突きで攻撃した方がまだ通る可能性が高そうだ。
「(あれ、どうしたんだろう。攻撃止めちゃった)」
レッサーデーモンと距離を取り、攻撃のタイミングを伺っているように見えなくはないが、攻撃する踏ん切りがつかないようにも見える。
「ぐっ……ううっ……」
敵が攻撃してきていないにも関わらず苦悶の表情を浮かべてしまう音。
その理由はやはり『恐怖』によるものだった
「(『スキル』じゃないと怖くてたまらないんだね)」
音は二週間程前まで、戦いの経験なんて無い普通の女の子だった。
そんな彼女がどうして魔物と戦えているかと言うと、すべてはスキルのおかげだ。
スキルが体を動かす補助をしてくれるから戦える。
攻撃するにはどうやって体を動かせば良いのかが分かる。
スラストもまた基本スキルではあるが、単発の突きを上手く実現することしか出来ない。
どのタイミングで踏み込めば良いのか。
どの距離まで近づいてから突けば良いのか。
突き終わった後の動きはどうするのか。
もし相手がこちらの突きに合わせて反撃してきたらどうすれば良いか。
槍スキルのレベルが高いから、想像した通りに体を動かすことは出来る。
しかしそもそもどうやって動けば良いか想像が出来ないのだ。
何故なら経験が無いから。
圧倒的に戦いの経験が足りていないから。
弱い魔物相手であればそれでも強力なスキルや拙い動きでも対処出来ただろう。
しかし相手はDランク上位の強敵。
何をどうして良いのか分からず、恐怖で固まってしまっていたのだった。
「危ない!」
「きゃっ!」
音が何もしてこないことが分かったのか、レッサーデーモンが攻撃を仕掛けて来た。
鋭い右爪を一閃し、慌てた音は上手く避けることが出来ずにランスを雑に体の前に盾代わりにして尻餅をついてしまう。
「あ……あ……」
どうにか攻撃は音には当たらなかった。
その代わりに盾としたランスがスパっと斬られて地面にコロリと落ちてしまった。
「ああ……ああ……」
頼みの武器が破壊され、否応なしに爪の鋭さを意識させられてしまう。
あれが体に当たったならば、確実に体はランスと同じ結末を迎えてしまうだろう。
死。
強烈なその予感が彼女を恐怖で縛る。
尻餅をついたまま立ち上がることも出来ず、レッサーデーモンが爪を振り上げる姿を泣きながら見上げることしか出来ない。
「いや……いや……」
そこにいるのは勇敢なヴァルキュリアではなく、ただの女の子だった。
いや、違う。
ダイヤが好いている女の子だった。
「猪呂さん!」
「え?」
音が死ぬところをそのまま見ているなんてことをするはずがない。
ダイヤは音に飛び掛かり、河川敷に向かって押し倒した。
音を抱きしめ、二人して転がりながら土手を降りて行く。
「っつつ」
「あ……う……」
激しい衝撃と回転でフラフラするが、そんなことを言っている場合ではない。
ダイヤは歯を食いしばって急いで立ち上がった。
「猪呂さんはここで休んでてね」
「え……?」
まだ恐怖に縛られていて茫然としている彼女に向けてそう声をかけてから距離を取る。
「来い!僕が相手だ!」
そしてまだ土手の上にいるレッサーデーモンに向けて挑発をした。
するとレッサーデーモンは大きく跳躍し、ダイヤの目の前に降り立った。
「(さてどうしよう)」
勝算があるわけではない。
ただ音が殺されそうになるのを助けるために必死だっただけ。
相手は戦闘準備が整っていて、最初の時のような奇襲はもう出来ない。
懐に入ろうとしても、鋭い爪で八つ裂きにされてしまうのがオチだろう。
『ぐるぅうぅう』
「(反応が猪呂さんの時と違う)」
恐怖を刻むかのようにゆっくりと音を殺そうとしていた雰囲気とは一変し、獣のような唸り声をあげて殺気が高まった。
「(はは、震えが止まらないや)」
足がガクガク震え、今にも恐怖で逃げ出してしまいたくなる。
だがここで逃げてしまえば動けない音が殺されてしまうだろう。
絶対に退けず、かといってビビって動けず死ぬなんてことも許されない。
「来い!」
本気の殺気を一身に受け、高確率で死ぬと分かっているにも関わらず、それでも戦える少年がどれだけいるだろうか。いくら好きな人のためとはいえ、それが出来る人はそうはいないだろう。
勇敢か、異常か。
どちらにしろそのダイヤの折れない心の強さがゲームオーバーを回避させた。
「(速い!)」
レッサーデーモンは両方の爪を激しく振るい、ダイヤを八つ裂きにせんと襲ってくる。
それを大きな動きで横に後ろに跳びながらどうにか躱し続ける。
「(間合いが全然分からない。しんどい)」
武器を持った相手との戦闘経験なんて乏しく、しかも相手は長い爪なんてマイナーな武器を使っている。どの程度避ければ良いのか分からず、必要以上に大きく動いて避けてしまい、その分だけ無駄に体力がガリガリと削られてしまう。
「うっ……!あぶっ……くっ……!」
だが結果としてそれが正解だった。
身体能力が高いレッサーデーモンは、大きく避けるダイヤに追いつかんばかりの勢いで迫り、何度も爪先が掠ってしまう。
「(レッサーデーモンで良かった。上位デーモンならもう死んでたよ)」
身体能力的な意味でもそうだが、上位デーモンは爪に毒が塗られていることが多い。
掠った時点で状態異常の回復手段を持たないダイヤはジエンドだった。
とはいえ、掠るだけならオッケーだからといって事態が好転しているわけでもない。
「(ダメだ。突破口が見つからない!)」
横っ飛びし、バックステップし、必要であれば背中を見せて逃げることも厭わない。
『ぐるぅうぅう!』
「うわわわ!」
無爪連斬。
超高速の連撃がダイヤに襲い掛かり、これは無理だと全力でその場から走り逃げる。
それでもギリギリ逃げ切れるといった感じで、背中に爪が何度も掠り血だらけになってしまう。
「くっ……そう!」
このままだと逃げ切れないと判断したダイヤはフェイントの意味を込めて突然大きく右へ飛び、地面を転がるように逃げようとする。しかしレッサーデーモンはその進路変更に反応し、転がるダイヤに向けて爪を振り下ろした。その攻撃はかろうじて不発で地面を抉り、その隙にダイヤは急いで立ち上がり間合いを取った。
「はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!」
逃げるだけで精一杯で反撃のチャンスも見つからない。
このままでは一方的に嬲り殺しにされるだけだ。
死に物狂いで避けながら、思考を回転させ続ける。
「(せめてあの爪さえなんとかなれば)」
避けにくく、しかも一撃必殺の爪が無くなれば多少はやりようがあるかもしれない。
「(でも素手じゃ弱すぎてあの爪を壊すなんてこと出来そうに無い。それにとても硬そうだからただ殴るだけじゃきっとダメ。僕の最大限の力で、壊れやすい場所を、壊しやすいやり方で攻撃する。そんなの思いつかないよ!)」
そもそも逃げ回るだけで必死なのに、思いついたとしてもそんな攻撃を仕掛けられるチャンスなんてあるのだろうか。
「(僕から仕掛けられない以上、カウンター一択。でもそんな余裕なんて……あれ?)」
ふとダイヤの脳裏にある光景が浮かんだ。
音を殺そうとしたレッサーデーモンの一撃。
そして先ほど逃げる中で転がるダイヤに向けて放たれた一撃。
「これだ!」
その策が成功するかどうかは分からない。
賭けの要素が強すぎる。
しかしこのままだと確実に敗北する。
その賭けに乗る以外の選択肢は無かった。
「(これをやるには、ギリギリで避けなきゃダメだ)」
失敗したら即死亡。
成功しても効果が無かったらほぼ死亡。
しかしそれでもダイヤは恐怖に屈しない。
追い込まれすぎてアドレナリンがドバドバ出てしまっているというのもあるが、絶対に生き延びるという生への渇望がそれを可能とする。
「(タイミングを間違えるな)」
止まらぬ攻撃を避け、バランスを崩し、必死に立て直し、それを何度も繰り返して理想の状況が来るのを待った。
「はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!」
息を切らしながら痛む体を必死に動かし、相手の攻撃をどうにか誘導しようと試みる。
「(今だ!)」
レッサーデーモンが右手を小さく振り上げた瞬間、ダイヤは膝を大きく曲げてぐっと体を屈めた。
その動きに合わせて下方へと攻撃が行われ、それを屈んだまま左に飛ぶことで回避した。
「ぐっ!」
これまでのように大きく飛ばなかったことで、爪が右足のふくらはぎ辺りを深く斬り裂いてしまった。
しかしダイヤはその痛みを無視してレッサーデーモンに飛び掛かる。
レッサーデーモンは右爪を振り下ろし、その爪先を地面に食い込ませているような態勢だ。
狙いはその爪の根元の部分。
「うおおおおおおおお!」
ダイヤはそこに乗っかるようにして全体重をかけた。
これがダイヤが生み出せる最大の力。
レッサーデーモンの肩から爪先を一本の棒と見立てた時、その中央部分の爪の根元は最も折れやすい。
そして体重を乗せるだけという攻撃は、状況さえ整ってしまえば簡単だ。
最大限の力で、壊れやすい場所を、壊しやすいやり方で攻撃する。
これこそがダイヤが考え付いた策だった。
「くうっ……ダメ……なの?」
体重をかけた瞬間、爪が大きくしなって今にも折れそうだったのだが、ギリギリで耐えてしまった。
ダイヤの策は失敗し、空いた左手の爪で斬り裂かれてしまうだろう。
今度こそダイヤは絶望する。
この状況からの逆転の手段なんて思いつけない。
「まだ死ねない!」
だがそれでもダイヤは諦めない。
「夢を叶えるんだ!」
ハーレムを作り女性達と幸せに生きること。
世界最難度のダンジョンを攻略すること。
その夢をこんな簡単に終わらせるだなんて認められない。
強い想いに突き動かされ、爪にもっと体重をかけようと体を動かす。
あがく、粘る、食い下がる。
ピシッ。
本来、その程度では何も結果は変わらなかったであろう。
ダイヤの策は失敗していたはずだった。
だがその音は聞こえて来た。
爪にヒビが入り、崩壊するその音が。
『ぐるぅうぅうおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
猛烈なレッサーデーモンの叫びと共に、見事に爪は根元からポッキリと折れた。
ダイヤ自身も気付いていないその理由。
それは音が必死に五月雨突きを連発し、爪にダメージを与えていたからだった。
本人達が気付いていない連携プレーにより、レッサーデーモンの右爪は破壊された。
その成功を喜ぶことも無く、ダイヤは攻撃されてはたまらんと慌てて距離を取る。
『ぐるぅうぅうおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
痛みに苦しんでいるのか、レッサーデーモンはまだ吼えている。
その間にダイヤは冷静に状況を整理する。
「(右手の爪は壊せた。後は左手の爪だ。もう一度同じことをやってから格闘戦でどうにか倒す!)」
そのためには先ほどまでと同様に動けなければならない。
斬り裂かれてボロボロになった服を強引にちぎり、負傷した右ふくらはぎの近くに巻いて止血する。
力任せに巻いただけなのであまり意味は無いが、しないよりはマシだろう。
『ぐるぅうぅう』
「さあ、行くぞ!」
落ち着いたレッサーデーモンはこれまで以上に激しい殺気を籠めてダイヤを睨んでくる。
しかし大きなダメージを与えて自信がついたダイヤにそんなものは効きはしない。
残された左爪も折ってやる。
強い決意と共にレッサーデーモンの攻撃を待っていたのだが。
「え?」
『ぐるぅうぅうおおおお!』
レッサーデーモンの胸の前に、バレーボール大くらいの紫色の暗い炎が生成された。
「(ここで魔法を使ってくるのか!)」
Dランク以上のダンジョンでは魔物がスキルも魔法も使ってくる。
レッサーデーモンもまた『ダークフレイム』という魔法を使うため、ダイヤはその攻撃が来る可能性を考えながら回避行動をとっていた。
「(右手の爪が無くなった分、ここからは魔法も織り交ぜてくるってことかな。さっきまでとどっちが楽だったんだか)」
それは実際に戦ってみれば分かること。
『ぐるぅうぅう!』
まずは目の前から飛んでくる炎を避けることが先決だ。
しかし。
「(この位置は!)」
それは本当に偶然だった。
レッサーデーモンもそれを狙っていたわけではきっと無いだろう。
激しい戦いで河川敷を走り回り、必死の攻撃で一矢報い、ようやくこれから反撃だと思い立ったその場所は、最も魔法を放たれてはいけない場所だった。
「(僕が避けたら猪呂さんに当たっちゃう!)」
ダイヤの背後、離れた所に音がいる。
音に近づけないようにと気を使いながら避けていたため、彼女の場所はちゃんと把握出来ていたから分かったことだった。
音は恐怖で動けないでいる。
ダイヤが戦っている間にメンタルが回復していれば、飛んできたダークフレイムを避けられるかもしれない。
しかしもし回復していなければ……
「ぐっ……」
僅かに迷うことすらなく、ダイヤは歯を食いしばり両手を横に広げた。
それすなわち、ダークフレイムを全身で受け止めるという意思だ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
ダークフレイムが上半身に直撃し、あまりの熱に悲鳴を上げてしまう。
すぐにでも消さなければならず、地面に倒れてゴロゴロと転がり消火を試みる。
しかしダークフレイムは普通の炎と違って熱く、しかも消えにくい。
ダイヤを焼き焦がす炎は小さくなる気配すらない。
「ダイヤアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「(初めて名前で呼んでくれたね……)」
遠くから声が聞こえてきて、燃やされ死にそうだと言うのに全く場違いなことを考えてしまう。
ダイヤは地面を転がり続け、火を消すべく川の中へと入っていった。