23. 僕は僕だから
「ご飯の前に洗濯しなきゃ」
おしおきマッドフロッグとの戦いにより全身が泥だらけだ。少し汚れている程度ならまだしも、水分や泥で明らかに重くなっている。このままでは動きが精彩を欠いてしまうだろう。
「洗濯機はどこかな~っと」
「躊躇ないのね……仕方ないのは分かるけれど」
ここでの休憩が大事ということは音にはもう理解出来ているが、他人の家を勝手に家探ししているかの感覚をまだ受け入れられないでいた。
「おお、ドラム式で乾燥機能もついてるやつだ。ラッキー」
しかも水も電気も普通に機能していて使えそうだ。
「きゃっ!何脱ごうとしてるのよ!」
「何ってそりゃあ洗濯するからだよ。ついでにシャワーも浴びてくるね」
「だからこんなところで脱がないで!」
「一緒に浴びる?」
「ふん!」
「いだい!本気で殴った!」
「あんたが悪いんでしょ!」
頭をさすりながらダイヤは一旦脱ぐのを止めた。
音を気遣った訳でも洗濯を止めるのでもなく、服が乾くまで代わりに着ている服が無いことに気が付いたからだ。
「猪呂さん、ここのお家ってどんな人が住んでるの?」
「ここ?確か三人家族だったかしら。ご両親と息子さんが一人。息子さんは確か今年から中学生になるんだったと思うわ」
「中学生かぁ。じゃあお父さんの服を借りようかな」
「あら、子供の服でも合うんじゃない?」
「…………」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて口撃する音。
ようやくやり返せたとご満悦だ。
「(得意げな猪呂さんもかわいいなぁ)」
尤も、小さい小さいと言われ慣れているダイヤは全く気にしておらず、音の様子を全力で堪能しているのだが。
「猪呂さんも洗濯するよね。お母さんの服を借りたら?」
「え?」
「だってその足元じゃ動き辛いでしょ」
「…………」
確かにその通りなのだが、ダイヤの口調からはなんとなく下心が感じられ、素直に洗濯をするとは言えなかった。
「ついでにシャワーも浴びちゃおうよ!」
「絶対覗くつもりでしょ!」
「当然!」
「ふん!」
「いだい!また本気で殴った!」
「今のは百パーセントあんたが悪いでしょうが!」
ダイヤが頭をさすっている間に、音は着替えの服を探しに行ってしまった。
「着替えも配信されちゃうからね!」
「ガードかかるの知ってるわよ!というかそれでも恥ずかしいから考えないようにしてたのに言わないでよ!」
「映らないように僕が体でガードしてあげようか?」
「ランスで貫くわよ!」
「わぁお」
猛烈な殺気を感じたダイヤは諦めて自分の着替えを探しに行った。
二階にあった子供部屋のタンスからは、悲しいことにサイズぴったりの服を見つけてしまうのであった。
「はぁ~さっぱりした」
「長かったわね」
「靴も洗ってきたから」
シャワーを浴びて綺麗になったのに泥塗れでグチョグチョの靴をまた履く気にはなれない。
服の洗濯乾燥が終わったら靴も乾燥させるつもりだった。
「じゃあ次は猪呂さんの番だね!」
「…………」
「どうしたの?」
「やっぱり私は良い」
「なんでさー」
「あんたが信じられないからよ!」
「いいじゃん覗かれたって、減るもんじゃないし」
「だから覗くなって言ってるでしょ!それにあんたそれ以上のことしてきそうだし……」
「流石にこの状況じゃやらないよー」
「この状況じゃなきゃやるのね……」
「猪呂さんの好感度次第かな」
「一生最底辺のままよ!」
ダンジョンの中が生まれ育った街を模していることが分かってから憂鬱な気分だったのだが、いつの間にかいつも通りの感覚に戻っていた。それを狙ってダイヤがセクハラをしてくるのか、あるいは素なのか音には判断がつかない。
「冗談はさておき、本当に何もしないからシャワー浴びてきなって。というか警戒しなきゃならないから何もできないよね。猪呂さんだって僕がシャワー浴びている間に周囲を警戒してくれてたんでしょ」
「…………そうね」
魔物どころか人の気配が全くない。
だがいつ何時何が起こるか分からないのがダンジョンだ。
二人とも身動きが取れない状態はあまりにも危険で、せめて片方が周囲を警戒して何かあった時に逃げる準備をしておかなければならない。もちろん、その時は相方が全裸で逃げることになってしまうが。
「……………………仕方ないわね。本当に覗かないでよ」
「うん」
全く信じられないが、このまま足元がグチャグチャで全力で走れないのは確かに危険だ。
葛藤の末、音も服を洗濯し、シャワーを浴びておくことにした。
苦い顔をしながら脱衣所へ向かい、ダイヤの目の前で服に手をかけた。
「なんで脱がないのさー!」
「足元しか汚れて無いのだから当然でしょ。というかやっぱり覗くつもりだったんじゃない!」
「ち、ちち、チガウヨー!」
「ふん!」
「いだいいい!」
音が汚れているのは足元だけであり上半身は無事だったので、シャワーを浴びる必要が無い。裾を上げて足元だけを洗えばそれで良いのであった。
そんなこんなで二人とも体の汚れを落とし、家主から勝手に服を拝借して洗濯乾燥が終わるのを待つ。
その間にやることはもちろんダイヤのセクハラ、ではなく栄養補給だ。
「ごっはん、ごっはん、ごっはっんー」
「冷凍で良いかしら」
「えー!猪呂さんの手料理が食べたーい!」
「全く……あまり期待しないでよね」
「超期待してます!」
「ハードルあげないでよ」
心底ワクワクしてそうな雰囲気であるにも関わらず、実はダイヤには一つだけ大きな懸念があった。
「(メシマズだったらどうしよう。美人で賢くてスポーツ万能な女の子が料理だけは壊滅的だなんて設定ベタだもんね)」
好きな人が作ってくれた料理ならばどんな物でも食べるつもりだ。
かなり不味い程度ならば美味しく食べる自信がある。
しかし真のメシマズは劇物を生成する。
音が女性として魅力的でありすぎるからこそ、盛大なギャップとしてメシマズ属性が用意されているのではないか。その一抹の不安が拭えなかったのだ。
果たして結果は。
「はい、出来たわよ」
「…………」
「黙っちゃってどうしたのよ」
「…………」
「ええ!?何で泣いてるの!?」
「だって……とても美味しそうだから」
「どういう意味よ!」
どうやらメシマズでは無かったらしい。
残念、ではなく良かった良かった。
「そのままの意味だから気にしないで。でもまさかこんなに手の込んだ料理を作ってくれるだなんて思わなかったよ」
タケノコごはん、春キャベツのロールキャベツ、ポテトサラダ、新たまねぎの味噌汁。
こんなの簡単に作れる、だなんて言ったら大炎上するだろう。
特にポテサラとか。
「べ、別に冷蔵庫に入ってるのを適当に組わせただけだし、それに洗濯と乾燥に時間がかかるから暇つぶしで作っただけよ」
「ふ~ん」
「ニヤニヤしないでよ気持ち悪い!食べないなら捨てるわよ!」
「待って待って食べるから!」
たとえ時間があろうとも大嫌いな相手に手の込んだ料理など普通は作らない。
豪勢な料理は指輪を必死で探してくれたダイヤへのお礼だった。そのことにしっかりと気付いていたダイヤだが、これ以上は照れ隠しで料理を下げられかねないと思い、弄るのは止めて頂くことにした。
「いただきま~す」
まずはお味噌汁をズズっと一口。
「トロっとしててうまぁ」
「そ、そう?」
もちろん出汁もしっかりと自前で取っている音自慢の一品だ。
「こんな美味しい味噌汁なら毎日飲みたいな」
「調子に乗るな」
「ぎゃ!」
定番プロポーズネタも音には効果はなく、デコピンで返されるだけだった。
いや、良く見るとわずかに頬が赤い。
照れているのか、あるいは得意な味噌汁が褒められて嬉しいのか。
「でも本当に美味しいよ。味噌汁だけじゃなくて他のも全部。こんなに美味しい手料理初めて食べたよ」
「また嘘ばっか」
「本当だって。実家にいたころは僕がご飯を作ってたからね」
「それなら自分で作らせれば良かったわ」
「酷い!」
「(ご両親が忙しかったのかしら。それとも……)」
深く踏み入ってはならない家庭の事情がありそうだと察した音は、これ以上話を膨らませないようにと考えた。
「うちは両親が離婚してて父さんと二人暮らしなんだけど、父さんが料理出来ないから僕が作ってたの」
「言わなくて良いわよ!」
しかしダイヤが勝手に自分から話してしまい、気遣いが無駄になってしまうのであった。
「だって猪呂さん、気になるって顔してたからさ。別に僕はな~んにも隠すつもり無いし。むしろ僕のことをどんどん知って欲しいし」
「確かダンジョンに『忘れな草』ってあったわよね」
「酷い!」
『忘れな草』はスキルを一時的に使えなくさせる効果がある草であり、記憶を消すのには使えない。あくまでも冗談だ。
「僕は絶対に忘れないもん」
「勝手にして」
「うん。するよ。こんな温かな食卓、初めてだもん」
「…………わざと気になる言い方してるわよね」
「バレた?」
「はぁ……そういうの止めなさい。自分の環境を卑下するのは聞いてて気持ちの良いものではないわ」
たとえそれが事実であったとしても、同情を誘う狙いだったとしても、好感度が上がることはない。音はそういうタイプだった。
「別に卑下なんてしてないんだけどね。そりゃあ父さんは僕に興味なくてまともに働かず毎日遊び惚けて新しい女の人を連れ込んではすぐに別れて刀傷沙汰に何度もなったりしてたけど、学校にはちゃんと行かせてくれたから文句なかったし」
「だから聞きたくないって言ってるのよ!というかあんたソレでどうしてハーレムなんて言ってるの!?普通嫌にならない!?」
「だって父さん、女の人と一緒にいるといっつも楽しそうだし、僕がいても堂々とエッチなことするんだけど父さんも女の人も物凄く気持ち良さそうだったし」
「待って止めて聞きたくない。それ以上は本当に聞きたくない!」
「だから僕もあんな風に色々な女の人と楽しく気持ちよさそうなことをしたいなって」
「言うなって言ってるでしょ!わざとやってるでしょ!」
「いだい!」
結局、物理でしか止まらないのであった。
思わぬところでダイヤのハーレム好きの理由を知り、しかも割と最低な話だったので指輪探しのおかげで上昇していた好感度がまた下限突破してしまった。
これ以上は話したくもない。
そう思う一方で、音は一つだけどうしても気になることがあった。
「…………うまうま」
「…………」
ダイヤはもう話を止めて食べるのに夢中になっている。
音もまた、少しずつ食べながら聞くべきかどうかを考える。
そうしてそろそろダイヤが食べ終わりそうになる頃。
音は意を決して聞いた。
「ねぇ、あんたは小さい頃からハーレムハーレム言ってたの?」
「うん」
「それで周囲の人から何か言われなかったの?」
「そりゃあ言われたよ。あの子には近づいちゃダメだとか、親が親なら子も子だね、とか」
「っ!」
「?」
ダイヤの答えを聞いた瞬間、音の顔がこわばった。
「そ、それでも未だにハーレムだなんて言ってるの?」
「うん。だって他の人に何を言われても関係ないよ。僕は僕だもん」
「え?」
「そもそも僕は父さんとは違う考え方だしね。父さんはただ沢山の女の人と遊びたいだけ。僕は沢山の女の人と一緒に幸せになりたい。流石に何度も女の人が泣きわめいたり激怒して刀傷沙汰になったのを見たら同じになんてなりたくないよ。あはは、ある意味父さんの影響を受けているのかもしれないね。でもそれもまた僕だし、気にしないかな」
その『幸せ』の部分こそがダイヤにとって一番大事だった。
『幸せ』でない『快楽』のみの歪んだ愛の形を見て来たからこそ、相手が『幸せ』な上で『快楽』に興じるのであればそれが最高だろうと。
自分も女性陣も『幸せ』なハーレム。
それを成し遂げるには女性陣同士が仲良くなければならず、こと恋愛において一人の男性を共通して仲良く愛せる女性など希少だろう。
難易度は高い。
だがダイヤはそれを夢見て駆け抜ける。
希少な女性達と共に幸せになりたいと強く願う。
誰かに迷惑をかけている訳では無いのだから、それが良いか悪いかなんて他人の評価など気にしない。
何故ならそれがダイヤの在り方なのだから。
「…………」
「どうしたの?」
ダイヤの答えを聞いて音は黙り込んでしまった。
その様子をダイヤが心配そうに見つめている。
やがて音は小さく息を吐くと、味噌汁をズズっと少し口にしてから呟いた。
「あんたは強いね」
それがどういう意図で告げられた言葉なのかが分かる時が、すぐそこまで迫っていた。