22. おじゃましまーす!
「待機部屋だ」
イベント扉を潜ると、そこは四畳半くらいの窓も無い小さな部屋だった。
壁は白く部屋には何も置かれておらず無機質な感じがするが、一つ大きな特徴があり、壁の上部に大きなデジタルタイマーが設置されている。
タイマーは残り二分を切っており、それがゼロになるとイベントが開始される。
それまでここで待機していなければならないということで、ここはイベント待機部屋と言われている。
全てのダンジョンにイベント待機部屋があるわけではなく、時間制限など無くクリアされるまではいつでも何人でも挑戦できるイベントダンジョンも存在する。ダイヤが入ったイベント扉は待機部屋の大きさや時間制限の短さから考えると少人数向けのイベントということなのだろう。
「ふぅ、少しでも休んでおかないと」
つい先ほどまでおしおきマッドフロッグと死闘を繰り広げていたのだ。
かなりのダメージを負い、疲弊して体力も減っている。
幸いにも大きな傷や骨折などの動きを阻害するようなダメージは受けていないため普通に動き回ることは出来るが、実力以上の難易度のダンジョンに挑むのだから少しでも万全の状態に近づけるべきだ。
そう思って目を閉じたのだが。
「この大馬鹿!」
「ふぎゃ!」
頭に拳骨を落とされて強制的に起こされてしまうのであった。
この状況でダイヤに声をかけられる人物など一人しかいない。
「どうしてあんたは無茶ばかりするのよ!」
「ええ!?来ちゃったの!?」
イベント扉の近くにいたもう一人の人物、猪呂音である。
「あんたを放っておけるわけがないでしょ!?」
「でも死んじゃうかもしれないんだよ!?」
「そ・れ・は・あ・ん・た・も・お・な・じ・で・しょ」
「やーーいだいいだい。本気で抓るのはやめでー!」
弄る意味合いの優しい抓りではなく、罰を与えるかのような本気の頬抓りは流石にダイヤも嫌だったようだ。
「ふぅ、痛かった。照れ隠しならもっと優しくしてよ。いくら僕のことが好きになっちゃ」
「引きちぎるわよ」
「わぁお、マジな奴だ」
凍えるような瞳で睨まれてしまい、これ以上茶化すことは出来なかった。
「(そろそろ時間だね。もう少しこの時間を続けたいところだけど……)」
タイマーは残り三十秒を切っている。
イベント開始直後に何が起きても対処できるように気持ちを切り替えて集中しなければならない。
「…………」
「…………」
騒がしかった雰囲気から一転、沈黙が小部屋内を支配する。
「(やっぱり怖いよね)」
チラっと音の様子を確認すると、震えが隠しきれていない。
それもそのはず、ダンジョン慣れしていない新入生が、死ぬ可能性が高い格上のダンジョンに挑むのだ。
しかも待機部屋があるダンジョンは基本的にクリアするまで脱出できない。
待機部屋のタイマーが死へのカウントダウンに思えても不思議ではなく、恐怖に震えるのは当然のことだった。
「(絶対に僕が守ってみせる)」
ダイヤだって本当は怖くてたまらない。
死ぬのは嫌だ。
でもそれ以上に音が傷つき、ましてや死なせるだなんて絶対に認められなかった。
死地に向かうには、それぞれの気持ちが固まるのに三十秒という時間はあまりにも短い。
だがタイマーは無情にもカウントダウンを続け、そしてついにゼロになるのであった。
「!」
「!」
その瞬間、部屋中に眩しい光が満ち、二人は思わず目を瞑ってしまう。
そして少し経って光が収まり、眼を開けると周囲の風景は一変していた。
「現代フィールドかー」
二人は馴染み深い、日本の住宅街のど真ん中に立っていた。
周囲は明るく、太陽の位置から考えるに朝か夕方のどちらかだろう。
ダンジョンの中なのにまるで外にいるかのような風景だが、別段驚くようなことは無かった。
「よくあるって言うよね。モンゴルの草原とかマンハッタンの街中とか有名だし」
現代風なだけでオリジナルな場所もあれば、実在の場所がモデルとなっているダンジョンもあり、現代をモチーフにしたダンジョンが存在するという話はかなり有名だ。定番と言っても良いくらいだった。
「周囲に魔物はいない。いきなり襲われることは無い、と」
魔物どころか人の気配すら感じられない。
動物の鳴き声や、遠くを走る車の音も聞こえない。
今すぐに危険があるようには思えない。
「さて、どうしよっか」
ダンジョン攻略方針について音に相談しようと、ダイヤは振り返った。
「猪呂さん?」
しかし音の様子が明らかにおかしい。
青褪めて露骨に体が震えてしまっているのだ。
「どうしたの?まだ魔物は居そうにないから怖がらなくて大丈夫だよ」
そう落ち着かせようとするけれど、音の様子は変わらない。
ダンジョンに入ったことで死ぬかもしれないと実感してしまい恐怖してしまったのだろうか。
「(あの家をじっと見てる?)」
音は震えながら一軒の家を凝視していた。
都会の住宅街に良くある、庭がほとんど無い三階建てのペンシルハウス。
「あの家がどうかしたの?」
「…………」
再度声をかけても音は返事をしてくれない。
「(まるで指輪を探している時みたいだ)」
あの時もダイヤの声が耳に入っていなかった。
だがあの時は不安と焦燥に駆られていた雰囲気だったが、今は恐怖に怯えているかの感じで、異常の理由は異なりそうだ。
「(見に行ってみよう)」
周囲に気配が無く今のところは安全そうなため、ダイヤは歩いて音が凝視していた家へと向かった。そしてその家の表札をまずは確認した。
「え?」
そこに書かれていたのは、最近口にする機会が多いある苗字だった。
『猪呂』
しかもご丁寧に家族全員の名前まで書かれていて、そこには音の名も記されていた。
「……私の家なの」
そこでようやく音が言葉を発した。
他に音が無いからか、少し離れていたけれど小さなその声をダイヤはしっかりと聞き取ることが出来た。
「ここが猪呂さんのお家なんだ」
改めてその家を確認するが、変哲もない普通の家だ。
それを見て音が恐怖すると言うことは。
「(家族と上手く行ってないのかな)」
だとするとあまりにもセンシティブな話であり、下手に踏み込めない。
かと言って恐怖に震える音をそのままにしておけない。
こういう時はどうするべきか。
「よし、猪呂さんのお部屋拝見だ!」
「え?」
道化になって場を和ませるのがダイヤのやり方だった。
「恥ずかしいお宝を見つけちゃうぞ」
「待て待て待て待て!」
「え、慌てるってことはあるの?」
「あ、ああ、あるわけないでしょ!」
「その反応。怪しい」
「うるさあああああい!」
今回はそのやり方が大正解で、恐怖は何処に行ったのか、音は真っ赤になって慌てている。
「これって配信されてるんだよね。全世界に猪呂さんの恥ずかしいお宝だいこうかーい」
「止めてええええええええ!」
全力で止めようと走ってくる音から逃げるように、ダイヤは猪呂家の敷地に足を踏み入れた。
「え?」
すぐ近くに玄関があり、その取っ手を握ろうとしたダイヤだったが、その手が空を切る。
何故なら目の前のその玄関が無くなっていたから。
「戻され……た?」
ダイヤが立っているのはスタート地点。
猪呂家の敷地に入った瞬間、そこに戻されてしまったのだった。
戸惑うダイヤと自宅を交互に確認する音は、何が起きているかを調査するために自分も自宅に足を踏み入れた。
「あ、戻ってきた」
すると音もまたスタート地点に戻されてしまった。
どうやら本来の住人だからといって入れる訳では無さそうだ。
「家には入れないってことなのかしら」
音から恐怖が消え、探索モードに切り替わった。
その姿を見て安心したダイヤもまた、考えを巡らせる。
「試してみるよ」
ダイヤは今度は他の家に入ろうとしてみた。
「あれ、入れちゃった」
すると入り口に戻されることなく、敷地内に入れたではないか。
「猪呂さんの家だけ入れないんだ」
「なるほど。そういうことね」
「猪呂さん?」
音が何かを掴んだ様子だ。
「ここは私の記憶を元に作られたダンジョンね」
「ポートレートダンジョンってこと?」
ポートレートダンジョン。
物や人物などの強い記憶や想い等を読み取り描写するダンジョンのこと。
例えば無念にもダンジョンで死した歴戦の戦士が使っていた剣を元にイベントダンジョンが生成されたことがある。そのダンジョンではその戦士のこれまでの戦いを追体験するような戦闘を強いられ、最後に敗れた魔物を倒すとクリアとなる。
今回のダンジョンは音が大事にしていた指輪を元としてこのダンジョンが作られ、それゆえ音の記憶の中の世界が描写されているのだろう。
「恐らく私に関係する場所がイベントフラグになっている。私の家に入れないのは、どこかで他のフラグを回収しなければならないからよ。よくあるギミックだわ」
特定の行動をしなければ、特定の場所に入れない。
ダンジョンでは一般的なギミックであり、特にイベントダンジョンで良く用いられる。
音もまた、ダイヤと同じくダンジョンについての勉強をしっかりとしているからこそ慌てずに状況を把握できたのだ。
「じゃあそのイベントフラグを探しに行かないとだね」
「ええ。でも気をつけなさい。何か居るとしたらソコよ」
「うん」
周囲に魔物の気配が感じられないが、イベントポイントでも戦闘無しだなんて甘い考えは出来ない。まずはそこを突破できるどうかで、このダンジョンで生き残れるかどうかを判断出来るだろう。
早速そのイベントポイントを探しに探索だ。
とはならなかった。
「でもその前に」
「え?」
ダイヤが突然、目の前の玄関を開けて見知らぬ家の中に入ろうとしたからだ。
「ちょっ、何やってるの!?」
「おじゃましまーす!」
「こらこらこらこら!」
「ほら猪呂さんもおいでよ」
「何勝手に人の家に入ろうとしてるのよ!」
「何言ってるのさ。ここはダンジョンだよ。誰の家でも無いよ」
「そうだけど。そうだけどそうじゃないでしょ!」
例えここが偽物であっても、他人の、しかも自分の近所の家に入るだなんて倫理観が抵抗してくる。
悪いことをしている気分になってしまう。
だがその葛藤はここでは捨てなければならない。
「僕お腹減ったから何か補給しないと。それに体中泥だらけだからシャワー浴びて洗濯もしたいし」
「は?」
「本当は猪呂さんの家でくつろぎたいけど、入れないから仕方ないよね」
「入れたとしても絶対に入れさせないからね!」
「じゃあ仕方ないね。ここで休ませてもらおう」
「あ」
ダイヤが先ほど死闘を繰り広げていたことを今になって音は思い出した。
八時間近くもぶっ続けで探し物をしてからのボス戦で、疲労困憊のはずだ。
少しでも気を抜いたら死んでしまうかもしれないダンジョンの中で、せっかく休めそうな場所があるのだ。他人の家に似ているからとか、倫理観だとか、そんなことを言っている場合ではない。
「ごめんなさい」
「何を謝ってるの? ごめんくださ~い。反応無しか、やっぱり中に人は居ないみたい。でも家の中までちゃんと再現されてて凄いや。これなら食べ物もありそう」
「…………料理なら任せて」
「作ってくれるの!?」
「今回だけよ」
こうしてダイヤと音は、見ず知らずのご近所さんの家へと勝手に入り込み、万全の態勢で探索するためにまずは休憩をするのであった。