199. このくらいはやらないとね
『ありがとうございます。助かります』
『いえいえこちらこそ。躑躅お嬢様にはいつもお世話になっておりますから』
『勘当されているようなものですから、もうお嬢様ではありませんよ』
『なるほど確かに。では躑躅さんとお呼びした方がよろしいかな。それとも貴石さんの方が良かったかな?』
『気が早いですよ』
ハーレムハウスの自室にて、躑躅が誰かと電話をしている。電話先の声は渋くて老齢さを感じる男性のものであった。
『それに貴石さんだと誰を指すか分からなくなりますから』
ダイヤがハーレムを作り全員と結婚するつもりであれば、大量の『貴石さん』が生まれてしまう。だとすると確かに『貴石さん』という呼び方だと誰を指すのか分からなくなる。
『ではやはり躑躅お嬢様ですな』
『なんでそこに戻るんですか』
『我々にとって躑躅お嬢様は娘みたいなもの。今さらさん付けで他人行儀に呼ぶことなど出来ません』
どうやら電話先の男性は、躑躅と交流があり、これまで娘のように親しく接してくれていた人物のようだ。
『……本当にありがとうございます。私のせいで苦労をかけてしまったというのに』
『娘に苦労をかけられるのであれば親としては本望ですな。尤も、彼のお方はそうは思っていないようですが』
『父は家族よりも鳳凰院家の方が大事ですから』
『鳳凰院家の格を守ることこそが、家族を守ることに繋がっているとお考えだったのでしょう』
「(どうかしら。私が知っているお父様は家族のことを鳳凰院家の格を守るための道具としか見ていなかった。守りたいのは家族ではなくて家。でも春日さんがそう仰るってことは、昔は違う側面もあったということなのかしら)」
だがそうであったとしても過去は過去。
決別した今となっては、それほど重要な話では無い。
『尤も、格を重要視しすぎていたからこそ、足元を掬われてしまった訳ですが』
『最も格が低いと考え、同じ人として扱うことすら忌避していた精霊使いに私を攫われそうになったのですから、いくらお父様とはいえ冷静ではいられなかったのでしょう』
『精霊使いの価値がどれほど素晴らしい物か、彼のお方であれば理解できたでしょうに、それでも感情が認められない程に選民思想の根が深かったということですかな』
ビジネスマンとしては最後まで感情を隠し、ダイヤを全力で支援すべきだった。しかしダイヤの挑発に簡単に乗ってしまうほどに差別意識が強く、精霊使いにすり寄ることが鳳凰院家の格を貶めることになると思ってしまったのかもしれない。
『春日さんはどうして私の味方をしてくれるのですか? お父様と同じとまでは言いませんが、精霊使いに対する価値は低いと思っていたはずです。その意識を簡単には変えられないと思うのですが』
『確かに価値観を変えるのは難しく、実際に変えられなかった人達が鳳凰院家から離れられないでいる』
『ですが春日さんのように、あっさりと鳳凰院家を見限って私を支援して下さる方々もいます』
『簡単な話です。精霊使いがどうとかではなく、躑躅お嬢様を信じているからです』
『え?』
予想外の言葉に驚く躑躅。これが対面での会話であったならば、真面目モードの殻が剥がれる姿を相手に見られてしまっただろう。
『躑躅お嬢様は彼のお方の縛りに耐え、ご自分に出来ることをなさっておりました。私達との繋がりを大事にしていたのもその一つでしょう』
『はい』
可能性は低くても、いつか流れが変わる可能性があるかもしれない。万が一にでも父親がミスをしたり考え方が変わり束縛から解放される時が来るかもしれない。そうなった時に味方となってくれる権力者が少しでも多くなるように、躑躅は父親の仕事上の関係で出会った人々を大事にしていた。
『そして独力でビジネスについて勉強し、私との会話でさりげなく経営提案もして下さった』
『はい』
本気でビジネスについて勉強すると、余計なことはするなと父親に止められてしまう。躑躅はあくまでも鳳凰院家の象徴であって、力を持たせるつもりが無かったからだ。勝てもしない無様な反抗を防ぐために。
『正直なところ、提案の効果は彼のお方のものが遥かに上です。しかし躑躅お嬢様の提案は人を最大限満足させるものだった。好みで言えば圧勝ですな』
いくら儲けられるのか、どれだけ格を上昇させられるのか。
そうではなく人の幸せを考え抜いた提案を躑躅はしていた。
そのような提案を考えられる躑躅だからこそ、春日達は味方になりたいと思ったのだ。
『ありがとう……ございます……』
ビジネスの世界で百戦錬磨の相手に努力を認めて貰えた。
そこには娘のように思っていた甘さも含まれているだろうが、それでも躑躅は嬉しかった。感無量といった感じで言葉に詰まってしまうほどに。
『それにしても貴石ダイヤは面白い人物ですな』
『え?』
『話に聞く感じでは愛する方のためには過激なことも辞さないタイプの様子。しかし鳳凰院家を全力で潰そうとはしていない』
もしも本気を出したならば、それこそ海外の有力者達にお願いして鳳凰院家に全力で圧力をかけて貰えば良い。だがダイヤはそれをまだせず、愛する人達の家族を守ることだけをやろうとしていた。
『これはあくまでも私の想像ですが、彼は鳳凰院グループの企業に勤める社員達のことを考えたのではないでしょうか。いきなり鳳凰院家を潰してしまったら彼らが路頭に迷うことになりかねない。そのため、少しずつ力を削いで彼らに選択の時間を与えようとしているのではないでしょうか。だとすると躑躅お嬢様と同じで彼もまた人を見るタイプですな』
『ふふ。私もそう思います。貴石君なら、きっとそこまで考えているはずです』
だがそれでも鳳凰院グループに勤めている社員達はダイヤに対する恨みを多かれ少なかれ抱くに違いない。何しろ盤石だと思っていた人生が壊されようとしているのだから。
『ですからそこから先は私の仕事だと思っています』
ゆえに、その恨みを更に減らすべく躑躅が何かをしなければならないと考えていた。それが旦那を支える妻の役目だとでも言わんばかりに。
『もちろん協力致しますぞ』
『ありがとうございます。ですが今はひとまず、私の友達の家族を守ることをお願いします』
『うむ。任された』
躑躅が春日に何をお願いしていたのか。
それはダイヤのハーレムメンバーの家族に関係している会社を守ること。
ダイヤが世界の知り合いにお願いしてやってもらっていることではあるが、それと引き換えにダイヤが面倒なお願いをされるかもしれない。相手方の成果を少しでも減らせればその分だけお願いの質が減少するかもしれず、日本からも出来る限り鳳凰院グループに圧力をかけようと躑躅は考えていたのだ。
『躑躅お嬢様。最後に一つだけよろしいでしょうか』
『はい、何でしょうか』
『おめでとうございます。春日の家は心より躑躅お嬢様を祝福致します』
『ありがとうございます!』
『お嬢様の子供、楽しみにお待ちしてますね』
『え!?』
なんと春日は最後にとんでもないことを言い放ち電話を切ってしまった。
躑躅が顔を赤くして困惑している様子を想像して楽しんでいるに違いない。
「まったくもう、春日のおじさまったら」
そう言う躑躅は笑顔だった。嬉しいことしか言ってくれなかったのだから仕方ないだろう。
「ダメダメ。いくらおじさまが私に甘いとは言っても、絶対にサービスも混じってるはずよ。完全に鵜呑みにするのは危険かな」
あまりにも躑躅にとって都合が良すぎる会話であるため、逆に疑わしかった。あるいは敢えて疑えるようにして彼女のビジネスマンとしての成長を促しているのかもしれない。ビジネスの世界でダイヤを守ろうとするのであれば、このくらいは見破ってみなさいとの親心のようなもので。
「貴石君に愛されるに相応しい女になれるように頑張らないと」
春日は躑躅のことを、父親の束縛の中で出来ることをやっていたと評してくれた。ダンジョン・ハイスクールへの入学という抵抗もその一つだろう。
だがそれが何だと言うのだ。
結局彼女を助けてくれたのはダイヤだった。ダイヤに条件という名の助けを求め、それをダイヤが命がけで達成して救ってくれただけのこと。しかも父親に啖呵を切って躑躅の心までも救ってくれた。
そんなダイヤに対し、出来ることをやっていたから満足だ、なんて思えるわけがない。
「時代は守られるだけのお姫様じゃなくて戦えるお姫様を求めてる」
父親という枷から解き放たれた躑躅は、ついに全力で行動を始めることになる。
「となると私は姫騎士。ううん、違う。そうじゃない。今はまだお姫様でも、私がなるべきは更に上だった」
そのことを『職業』が教えてくれている。
そして彼女はその教えに従い、真っすぐに進むことになるのだろう。
「絶対女王。名実ともに絶対になってやるから!」