19. 私行かなきゃ!
「……ん」
目を開けると、見知った天井だった。
そこは学生寮の自分の部屋なのだが、そこまでは気付いていない。
まだ思考はぼんやりとしたままで、油断しているとこのまま再び意識が刈り取られてしまいそうだ。
「…………眩し」
睡眠の世界への再旅立ちを阻止したのは、カーテンの隙間から漏れる真っ赤な陽射し。
それを避けるように彼女、猪呂 音は体を上げた。
「…………………………………………!!」
そのまましばらくぼぉっとしていた音だが、何かに気付いたかのように意識が急激に覚醒する。
「行かなきゃ!」
ダンジョンで大切な物を探していたことを思い出し、飛び起きて慌てて着替え、部屋を飛び出した。
「お、起きたか猪呂」
しかし部屋の外で待っていた短剣少女のユウによって止められてしまう。
「ユウ、通して。私行かなきゃ」
「待て待て。昨日から何も食べてないんだろ。少しは何か食べないと倒れちまうぞ」
「でも!」
「ちゃんと食わなきゃ集中して探せないし見つからないって言ってんだよ」
そう指摘されると、自分があまりにも空腹で今にも倒れそうなことに気が付いた。
不思議なもので一旦意識すると猛烈にお腹が減っているような気がしてくる。
ぐう~
他の人には聞かせられないお腹の音が盛大に鳴り、音は真っ赤になり、ユウと一緒に慌てて食堂へと向かった。
「猪呂ってホントスープカレー好きだな」
「…………」
「ああもう、慌てるなって。良く噛んで食べずにお腹壊したら探している途中に大惨事になるぞ」
「…………ありがとう」
ユウの指摘により、自分がみっともなく料理をがっつこうとしていることに気が付き、ようやく自分が冷静さを欠いている事を自覚した。そしてユウがそんな自分をどうにか抑えようと、なるべく反発させずに必死に考えて言葉をかけてくれたことにも気づき、お礼を伝えるのであった。
「ふぅ」
音は一旦スプーンを置き、軽く深呼吸をした。
焦りはまだあるが、焦ったところで何かが変わるはずが無いということは理解している。
今はユウの言うとおりに、慌てずに休んで体力回復に努めるべきだ。
でないとマッドフロッグ程度の魔物に殺されてしまうかもしれないのだから。
「カレーなら何でも好きよ。ここは中でもスープカレーが一番美味しいから良く頼んじゃうのよ」
「え?」
「さっきの話」
「あ、ああ。そうか」
会話のきっかけになるかとなんとなく口にした言葉で、今の音から返事が来るとは思っていなかったため、ユウは面食らってしまったようだ。ただこれで音が落ち着いたことが分かり、少しほっとしている。
「食べながらで悪いんだけど、私が戻って来てからのことを教えてくれる?うろ覚えなのよ」
猛烈な眠さによりフラフラとしながら、泥塗れのままダンジョンから出てきたことは漠然と覚えているが、その後の記憶があまりにも曖昧だった。
「やっと戻ってきたって思ったら全身泥だらけで超びっくりしたんだぜ。魔物が出て来たんじゃないかって思って攻撃するところだったぜ」
「そうしなくて良かったわね。返り討ちに遭ってたわよ」
「うっわー怖い怖い。見間違えなくて良かったわ」
「ふふふふ」
「あははは」
笑うことが出来ているのならばメンタルはかなり回復してきたのだろうと、ユウは更に安心し、話を続けた。
「んでシャワー室に入って泥を落として、フラフラな猪呂を部屋まで連れて帰った。そっから今までずっと寝てたんじゃねーか?」
「そっか……迷惑をかけたわね。ごめんなさい」
「謝んなって。仲間だろ」
「そうね。ありがとう。今度お礼をさせて頂戴」
「おお、ならヴェルカスの限定シューな」
「え゛。開店直後に行っても三時間待ちのやつじゃない!」
「おうよ!」
「くっ……分かったわ。買ってくれば良いんでしょ!」
「やったぜ」
なんて不貞腐れているフリをしているが、心配をかけてしまったことは痛いくらいに分かっているため、行列に並ぶことくらいどうってことなかった。
どうやら仲間と気の抜けた会話が出来るくらいには普段通りの姿に戻ってきたようだ。
ユウはこの状況ならもう切り出しても大丈夫かなと思い、今後のことを話し出した。
「なぁ猪呂。次にダンジョンに探しに入る時は私達も連れていけよな。魔物はまだスムーズに倒せねーけど、探し物なら手伝えるし、人手は多い方が良いだろ」
「でも……」
「貴方達には関係ないことだから、なんて言うなよ。仲間だろ。つーか、逆に私が何か落としたら絶対猪呂も探そうとするだろ」
「…………うん、ありがと」
定番だけれど、自分が逆の立場だったらどうするか、などと言われてしまったら音は絶対に断れない。そういう人間なのだと、ユウにはもうバレていた。
「そういえばエル達は?」
音が起きてから会った仲間はユウだけだ。
他の二人も音が起きたと分かったら慌ててやってきそうな性格なのに、一向に姿を見せないことが気になった。
「あいつらなら授業中だぜ。猪呂のことが気になってたが、それで受けるつもりだった授業をサボったら猪呂が絶対に怒るぞって言って強引に出席させた」
「良い判断ね」
「だろ?」
その気持ちに感謝しつつもたっぷりと叱る姿が自分でも容易に想像できた音であった。
「でもそっか。まだ授業中なのね」
「猪呂が戻ってきたのは朝だったからな。そっから八時間くらい寝てたんじゃねーか?」
「そういえばさっき夕陽が……午後四時すぎかぁ」
その日最後の講義が行われている時間帯であり、それが終わったらエル達も寮にやってくるだろう。
「今から入ったら夜になっちゃうわね」
「でも行くんだろ?」
「ええ」
軽快に話が出来ているけれど焦りが消えたわけでは無い。今すぐにでも走って探しに行きたいという強い気持ちがあるが、それを理性で押し留めている状態だ。
「今日は徹夜か~」
「ユウ達は帰って良いのよ。なんて言っても聞かないわね」
「ったり前だろ。帰る時は猪呂も一緒だ」
「ユウみたいなのが男の子だったら良かったのに」
「よせよ照れるぜ」
下心が無く、純粋に仲間のことを想える人物。
音にとって最高のパートナーだ。
誰かさんとは大違い。
と、ここで音はダイヤのことを思い出した。
正確には思い出してはいたのだけれど、考えることを無意識に拒否しようとしていたのだ。
それほどにダイヤに対する拒否感は強かった。
「あの変態。まだ探しているのかしら……」
「はん。無い無い。どうせ猪呂へのアピールだろ。何もしてねーくせに、頑張って探したけど見つかりませんでした、なんて言うつもりだろ」
「…………」
ユウの軽口に対して『そうね』とこれまた軽く同意してくれるのかと思いきや、真面目に考え込んでしまう音の様子を見て、嘆息するユウであった。
「はぁ……猪呂って優しすぎだろ。あんな奴のことなんか気にする必要無いって」
「……でも、探しに来てくれたことは確かだし。そりゃあ私もアピールだとは思うけど」
「んじゃ今度会ったら軽く礼でも言えば良いんじゃね?そこで邪なこと言い出したら二度と話をしない」
「…………そうね。そうするわ」
とは言うものの、心の奥底では納得出来ていない。
それが何故なのか、音にはまだ分かっていなかった。
『一度戻って、皆を安心させてあげたら?』
『僕、茶封粘土が必要でここで探さなきゃならないんだ。だからここからは僕が猪呂さんの探し物も含めて探しておくよ』
『猪呂さんは一度戻って、また休んでから探しなって。今にも倒れそうで、そんなんじゃ見つかるものも見つからないよ』
ダイヤは決して音を助けたいと力強くアピールすることは無かった。
自分の用のついでだから気にしないでと言わんばかりに謙虚だった。
しかも音を気遣う言葉だらけで、その気持ちに裏があるようには感じられなかった。
「(本当に何なのよアイツ……)」
下心満載の最低男なのに、最弱の精霊使いのはずなのに、格上のはずの教師に勇敢に挑み、相手を思いやる優しさや気遣いが出来て、あの優しい微笑みを見るとつい安心してしまいそうな自分がいる。
「(ほんっとうに何なのよアイツ……!)」
ダイヤという人間が本当に良く分からない。
嫌悪感と好感が同居し、どう受け止めれば良いのか分からない。
その困惑が理不尽な怒りに替わってしまいそうだけれど、様子を見に来てくれた上で失くしものを探してくれているという負い目があるため怒るに怒れない。
その結果、宛先の見つからない苛立ちに感情が支配されてどうにかなってしまいそうなため、今はひとまずダイヤのことを考えるのを止めることにした。
「あんな奴のことは忘れて今日のことだよ。まず私達がソロでマッドフロッグを狩れるように頑張る。そして順番に探すってのはどうだ?そうすれば24時間探し続けられるぜ」
四人で交互に探し物をする。
ユウが言うようにソロでなくとも、休憩しながら二人ペアで回せば常に探し続けられるだろう。
「それはダメよ」
「なんでだ?」
一見良いアイデアかと思えるのだが、実は大きな問題があった。
「だってあそこで24時間マッドフロッグを狩り続けると……」
そしてその問題を思い出した音の顔がサッと青褪める。
「ユウ!昨日、私達が何時にあの沼地に行ったか覚えてる!?」
「うお、なんだよ急に。ええと……確か午後の四時くらいだったぞ。時計見て、そろそろ腹減ってきたなって思った覚えがある」
「あ……!」
つまり、丁度今、一日経ちそうということだ。
「(あの変態は、私が戻るまでずっとあそこで狩りをしていた)」
昨日、音が失くしものに気が付いて沼地に戻ってきたとき、ダイヤはマッドフロッグを狩りながら沼地で素材集めをしていた。会うのが嫌だった音はダイヤが狩り終わるのを隠れて待っていたのだった。
「(私達が沼地に着いたのが昨日の午後四時、入れ替えであいつがあそこで狩り始めて、あいつが帰ったら私が探し物をはじめた。そして日が変わってあいつが私を迎えに来て、また入れ替えであいつが探し始めた。もしもあいつが朝から今までずっとあそこで探しているとしたら、24時間ずっとあそこでマッドフロッグを倒し続けていることになる!)」
ガタンと、音は大きく音を立てて立ち上がった。
「私行かなきゃ!」
「お、おい、急にどうしたんだよ猪呂。どこか分からねーが、私も行くって!」
「ユウはダメ!」
「なんで!」
「ごめんなさい。足手纏いなの」
「ぐっ……」
そう真剣な眼差しで言われてしまったらユウは何も言えなかった。
鬼気迫る音の様子から、自分では太刀打ち出来ない何かが起きているのだろうと容易に想像できた。
足手纏いと言われるのはあまりにも悔しい。
だが現時点で音と自分とでは大きな実力差があるのは分かっている。分かっているからこそ、納得せざるを得ない。
だがそれでもユウは何もしないだなんてことを選べなかった。
「なら私は助けになりそうな人を探して声かけてくる」
「うん。ありがとう!」
「絶対に無茶するなよな!生きて帰って来いよ!」
「うん!」
音は食堂を出てダンジョンに向かって走り出す。
早くしなければ取り返しのつかないことになってしまうから。
「(茶封粘土が獲れる沼地で24時間マッドフロッグを倒し続けると、Eランク上位ボスクラスの魔物が出現する。そうなったらいくらあいつでもタダではすまない!)」
もしかすると死んでしまうかもしれない。
この島のダンジョン内での死は、入口へ戻されるだけ。
だがそうだとしても体は痛く、死を経験することには間違いないのだ。
死を経験した人間が精神を壊してしまうだなんて話は良くあることで、そこまででなくともトラウマで二度とダンジョンに戻れないなんて話もザラだ。
相手の真意が分からなくとも、ダイヤは自分の探し物を手伝ってくれようとしている。
そんな相手が死にそうだと分かって見捨てられる音ではない。
「(助けないと。絶対に助けないと!)」
いや、違う。
今の音には相手がダイヤだからとか、相手の真意がどうとか、手伝ってくれるからとかそんな考えは全くない。
危機に陥っている人がいるのだから助けたい。
その想いに突き動かされて走っているのだ。
他人を想える優しき心。
ダイヤが音を一目で好きだと思ったのは、とても優しそうな人だな、と直感的に感じたからでもあったのだった。
思いがけずユウが良い感じのキャラになってしまいました。
ヒロインにする予定は無かったのですが、あんあん言わせるべきかどうか……