187. 携帯〇〇〇のおかげで助かりました
これは夏休みに入りダイヤがヒロインズの家族に挨拶に向かっている間のお話。
「まずいわね」
ハーレムハウスの自室でスマホを弄っていた音は、突然の腹痛に顔を顰めた。
「昨日のアレが良くなかったのかしら?」
ダイヤが居ないことで気が抜けてしまっているのか、ジャンクなアレやコレを少々食べ過ぎてしまったのかもしれない。普段は胃腸が強いからお腹を壊すことなどまず無いのだが、今回は偶然にもヒットしてしまった。トイレの中でしばらく苦しむ予感がする。
「うう~トイレトイレ」
慌ててトイレに向かって走ったが、そこには絶望が待ち受けていた。
「なん……ですって……?」
『使用中』の看板が掛けられていたのだ。
年頃の女性達がトイレの音を他人に聞かれるなど恥ずかしくてたまらない。それゆえトイレにこの看板がかけられていたら近づかないのがハーレムハウスの暗黙のマナーとされている。
前に一度奈子が看板を掛け忘れてダイヤに色々と聞かれてしまったという大事故が起きて以来、女性陣は絶対に看板を掛け忘れないようにと気を使っていた。
だが今回はそういうわけにはいかない。
音のお腹はすぐにでも異物を出せと激しく主張してくるのだ。
申し訳なく思いながらも、音はトイレにそのまま向かった。
「ね、ねぇ……もし良かったら早めに出てくれないかな?私、お腹の調子が悪くて……」
相手の用がもう終わりそう、あるいは少しは我慢出来そうな感じであれば、音の苦しそうな声を聴いて慌てて出てくれるはずだ。ハーレムハウスのメンバーはそのくらいの思いやりを持っている。
だがしかし。
「ごめんね……私もお腹が……」
中から聞こえて来たのは、音と同じくらい苦しそうな桃花の声だった。
桃花もまたお腹の調子が悪く、音よりわずかに先にトイレに入ったばかり。それゆえすぐに出てくるというのは難しい。
ちなみに桃花は昨日音と一緒に暴飲暴食をしてしまったので、原因は同じなのかもしれない。
「そ……そんな……!」
まさかの事態に青褪める音。
ハーレムハウスにはトイレがここしかないのだ。
他のトイレに行きたい場合は森の中を抜けて一キロ程離れている別の寮のものを借りるしかないが、歩くのも辛く一キロなどもちそうにない。あるいはお小水だけならば風呂場で流してしまうなんて手もあるかもしれないが今回は無理だろう。
「(どうしよう!どうしよう!どうしよう!)」
焦る音の耳に、がさがさと森が風で揺れる音が飛び込んで来た。
「…………」
ごくりと唾を飲む。
最悪、森の中で致すしか無いのだろうかという考えが頭を過ってしまったのだ。
「(そんなの嫌!)」
漏らすのも、森の中で致すのも、女性としての尊厳が破壊される行為である。
だがトイレはしばらく開かない。
桃花は急いでくれるだろうが、果たして待てるだろうか。
「お願い!早くしてええええええええ!」
必死に歯を食いしばり、お腹の痛みに耐え、額に脂汗が滲む。
「ふぅ~」
波が治まり少しホッとする。
「っ!?」
だがすぐに次の波が襲い掛かりトイレの扉にもたれかかるようにして苦しみ出す。
地獄の無限ループが音のメンタルをガリガリと削る。
ダークネスドラゴン以上の強敵相手に必死に戦い続ける。
永遠とも思える時間も、まだ三分も経っていない。
しかも音が焦らせるため、桃花の進捗状況もよろしくない。
「(このままじゃ本当に!)」
恐怖と苦しみによりパニックになってしまった音は慌ててドンドンとトイレのドアを激しくノックする。
「ごめんね……ごめんね……」
しかし中からは悲し気な桃花のか弱い声が返ってくるだけだった。
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「なんてことがあったからトイレを増設したんだよ」
「それは災難だったぞ」
悲しい事件について話しながらダンジョン入り口施設へと向かっているのは桃花と閃光のコンビ。桃色と黒色の二人は見た目の可愛らしさも相重なってかなり目立っていた。
「それで猪呂さんは大丈夫だったの?」
「彼女の名誉のため黙秘します」
「それじゃあ漏らしたみたいじゃない!大丈夫だったわよ!」
「ひゃあ!あはっ、あははっ、やめっ、くすぐらないでっ!」
二人の背後から走ってやって来た音が名誉棄損を訴えて桃花の脇を思いっきりくすぐった。
「楽しそうだぞ。私も混ざるぞ!」
「え!? うひゃっ!あひゃひゃ!ほんとっ!脇は弱いからだめぇ!」
音も加わった美少女三人が仲睦まじく絡み合う様子は、周囲の男子達にとって眼福だった。だが残念、三人のうち二人はお手付きだ。
「はぁっ、はぁっ、酷いよ二人とも~」
「桃花が悪いでしょ」
「つい調子に乗っちゃった。ごめんだぞ」
ぷりぷりと怒る桃花の顔は可愛らしく、本気で怒っているようには見えない。徹底的にくすぐられたのも、楽しい遊びの一種という認識なのだろう。
「それで今日は増設したトイレの改良用の素材を集めるんだったよね?」
「うん、閃光ちゃんが手伝ってくれて助かるよ」
「こっちこそ、いつも墓守を手伝ってくれるからこのくらいは喜んでやるよ。でも私はまだCランクじゃないから足手まといになっちゃうかも」
「それを言うなら私もだよ」
「私がいるから大丈夫よ」
今回はCランクのダンジョンを探索する予定なのだが、閃光と桃花はまだDランクなので探索許可が出ない。だがCランク試験を突破した音がパーティーに同行すれば中に入れるのだ。
「それに二人とも訓練は欠かしていないでしょ?」
「もちろん!」
「もちろんだぞ!」
二人の現在の実力を音は正確には把握していないが、ダイヤの朝練に付き合っている様子を見る感じでは、基礎能力はCランクでも十分に通用しそうだと思っている。もちろん無理はさせず慎重に進めるつもりだが、問題無く目的の素材を入手できるというのが音の予想だった。
「よ~し、墓守アイドルとして輝くために頑張るぞ、☆!」
己の実力より上位のCランクのダンジョンに挑戦するだなど貴重な機会であり、ここで努力すれば一気に強くなれるかもしれない。強くなるということは墓守アイドルとしてのスキルが鍛えられるということでもあり、より墓守アイドルとして頑張れると思えばやる気が出ると言うのものだ。
「と言いたいところだけど」
しかし閃光には何か気がかりがあるようだ。
「どうして素材を購入しないの?お金はたっぷり持ってるんでしょ?」
「確かに、スキルポーション売りまくったからハーレム共有資産は潤沢だね」
桃花がDランクダンジョンに入りスキルポーションを大量に入手し、それを容赦なく売り払ったことでとてつもない量の金が手元にある。高品質の装備をいくつも買っていたら無くなる程度の金額ではあるが、DランクやCランクの素材をいくつか買うくらいならば大して減らないだろう。
「ダイヤ君にダンジョン探索の練習に良いから自分達で取って来たらってオススメされたの」
「へぇ~そうなんだ」
今回入手を狙っているその素材も、やや高額ではあるが購入可能なものだ。それにも関わらずわざわざこうして自分で取りに来ているというのは、ダイヤからのアドバイスによるものだった。
「でも良いなぁ。自分達の好きに家を改良出来るなんて羨ましいぞ、☆」
「良いでしょ良いでしょ。今はトイレが四つもあるんだよ」
音の強い希望により、今後は絶対に困らないようにと過剰なくらいに増設したのだった。
なお、ダイヤと桃花の精霊使い組が、ここに〇〇が欲しいと思うと精霊達が集まって来て必要な素材を示してくれるため、かなり自由にハーレムハウスの増改築が可能である。
「閃光ちゃんもハーレムに入る?」
「ちょっと桃花!?」
どうしてライバルを増やすようなことをするのかと音が抗議の声をあげるが、桃花は閃光の答えが分かっていて冗談を言っただけだった。
「すっごく楽しそうだけど遠慮するぞ。私は皆のアイドルだから、誰かのものになるのはダメなのだ、☆!」
「だよね~」
「も、もう、びっくりさせないでよ」
ほっとする音だが、気付いているのだろうか。
閃光がハーレムに入ることそのものを嫌がっていないことを。
もちろん社交辞令の可能性もあるが、もしも彼女がアイドルを辞めて自分自身の幸せを追い求めるようになったとしたら、果たしてどのような決断をするのだろうか。それまでにダイヤと心を通わせてしまったらあるいは……
「二人とも、そろそろ着くから準備するわよ」
「は~い」
「がんばるぞ、☆」
ダンジョン入場施設に辿り着いた三人は、探索用の装備になるべく更衣室へと向かった。
序盤のトイレシーン、あんなに長く描く予定は無かったのについ楽しくて……