18. 失くしものは何ですか
「パリィもどき!」
マッドフロッグが吐き出した泥の塊を右手の甲で弾くように逸らして直撃を免れる。そしてマッドフロッグに向けてぬかるんだ泥の中をゆっくりと進んで行く。
『ぐげ!』
「ぐっ!」
するとマッドフロッグは高く飛び、上からの体当たりを仕掛けてくるが、これを両手をクロスしてガードする。マッドフロッグは軽いため、少し痛いだけで耐えられるのだ。慌てて逃げようとしてもぬかるみに足を取られ避けることはままならず、無防備な頭を狙われて最悪口や鼻に泥が詰まって呼吸が出来なくなってしまう。落ち着いて防御するのが正しい対処方法であり、もちろんダイヤはそれを知っているので冷静に対応した。
攻撃をガードされたマッドフロッグはそのままダイヤの目の前に着地し、そこは手が届く範囲だ。
「おりゃおりゃおりゃ~」
『ぐげぇ!』
これ幸いにと得意の連撃、ではなく両手をマッドフロッグの身体に差し込み、泥を掻き出した。体を構成する泥が排除されてしまったマッドフロッグは崩れるようにして泥に沈み、二つの茶封粘土をドロップするのであった。
「ふぅ、やっぱり泥の中での戦いは大変だ」
ふくらはぎまで泥に浸かりまともに動けない状況で戦闘を強いられるのは、例え相手の攻撃が対処可能だと分かっていても精神的にも肉体的にもクるものがある。
「でも戦わないとアイテムほとんど手に入らないしなぁ。はぁ……」
かといって泥の底に沈む茶封粘土を探そうにも、これが全く見つからない。
一時間探して一つ見つかれば良いかどうかと言ったところで、マッドフロッグも同じくらいのペースでしか出現しないため、一気にアイテムを集めることが出来ないのだ。
廃屋クエストのために沢山必要だけれど、時間をかけてしか採取できないことに嘆息しつつ、ダイヤは再び腰をかがめて泥浚いを始めるのであった。
音達がこの場を去ってからダイヤはひたすら泥沼で素材収集に勤しんでいた。
そうしてこの日手に入れたのは、十三個の茶封粘土で計十三キログラム。
トイレ改良分は足りたけれど他にも必要なのでもっと採集する必要があり、翌日もまた来なければと泥だらけになりながら考えるのであった。
翌朝。
教室で朋と雑談をしながらホームルームが開始されるのを待っていた時のこと。
「貴石!貴石はいるか!」
教室の扉が物凄い勢いで開かれ、昨日会った短剣少女と弓使いと杖使いの三人組が入ってきた。
「僕に何か用?」
今日は音は居ないのだなと思いながら彼女達の方へと向かうと、短剣少女がダイヤに駆け寄り胸倉を思いっきり掴んだ。
「てめぇ、猪呂に何しやがった!」
「え?」
何故か短剣少女は激怒しており、しかもダイヤが音に何かしたと思い込んでいるようだった。
「な、何のこと?」
「しらばっくれんじゃねえ!てめぇが猪呂を狙ってたのは分かってるんだ!あいつをどこにやった!」
「え?え?」
まるで音が居なくなったかのような言い方ではないか。
もちろんダイヤは昨日、あの泥沼で会って以降、音には会っていない。
「待って落ち着いて。僕は君達と別れて以降、猪呂さんと会ってないよ」
「嘘つくな!貴様に決まっている!吐け!」
「ユウちゃん止めよう。嘘ついているようには見えないよ」
「止めるなエル!こいつに決まってるんだ!こいつに!」
「ユウちゃん」
「…………チッ!」
弓使いの少女、エルによってダイヤはどうにか解放された。
皴になった胸元を整えながら、冷静に話が出来そうなエルに話を聞いた。
「一体何がどうなってるの?猪呂さんが居なくなったの?」
「う、うん。昨日ダンジョンから戻ってシャワーを浴びてたら、猪呂さんが『落とし物した』って血相変えてダンジョンに戻って行ったの。心配だから戻ってくるの待ってたんだけど、夜になっても戻ってこなくて……」
「そのまま朝になっても戻ってこなかったんだね」
「うん……」
もし音がダンジョンの中で魔物に殺されたとしても、強制的に入り口に戻ってくるだけ。
となると殺されてはいないが身動きが取れなくなっているか、まだ探しているのか、あるいは短剣少女ユウが想像した通りに誰かに攫われたか。
「あの場所には探しに行ったの?」
音がダンジョンに戻って落とし物を探しているのなら、昨日彼女達が通過した場所を探しているはずだ。それならエル達も同じ経路を辿れば音が消えた手掛かりを見つけられるかもしれない。
「…………」
「…………」
「…………」
しかし三人は気まずそうに目を逸らした。
特にユウは悔しそうに歯を食いしばり、手を強く握りしめていた。
「(もしかしたら、彼女達だけだとあのダンジョンには入れないのかも)」
『仄めき月光花ラビリンス』はEランクダンジョンで、新入生が入場するには制限がある。音が居なければ彼女達が入れないのか、あるいは許可はあるけれど探索する実力が無いのか。どちらにしろ、彼女達の反応的に中に入っていないのは明らかだった。
「じゃあ探しに行ってくるね」
「え?」
「朋!というわけで僕はホームルーム欠席するから先生に言っておいて!」
「おう!しっかり口説いて来いよ!」
「はーい!」
ダンジョンから一日二日戻って来ないなど普通のことであり、この程度のことでは先生達は動かないだろう。探してくれる知り合いの先輩がいるならば真っ先にそちらに相談に行っているはずであり、ダイヤの所に来ているということは他に頼れる人が居ないということ。英雄科のクラスメイトに助けを求めなかったのかと言うところは気になるけれど、これまた相談してなさそうなので何かあるのだろう。
となるとダイヤが探しに行く以外の選択肢はない。
もちろんあったとしても好きな女が居なくなったと聞き、自分から行動をするのは当然のことだったが。
「待て!」
教室を飛び出そうとするダイヤの背に、短剣少女ユウから待ったがかけられた。
音に近づくな、などと言う話だったら無視しようかと思ったけれど、この状況で流石にそんなことを言い出すほど愚かでは無かったようだ。
「私達は昨日、あのダンジョンをほとんど探索してない。しばらくは魔物を探して戦ったけれど、私達の戦闘訓練が目的だったから猪呂は戦わずにアドバイスしてくれてただけだ。だから猪呂が何かを失くしたとしたら、お前と会ったあの泥沼だと思う」
ダイヤもそこで音がマッドフロッグと戦っていたのを目撃している。
大事なものを失くすとしたら、体を大きく動かした時の可能性が高い。音が落とし物を探すならばそこに違いない。
「分かった。ありがとう!」
貴重な情報を教えてくれたユウにお礼を言い、ダイヤはダンジョンへと走った。
「(普通に居るじゃん)」
猛スピードで走って移動したダイヤだったが、泥沼に音の姿を見つけるとホッとした。
彼女は腰をかがめ、泥の中で何かを探している様子だった。
「(まさか一晩中探してたの?)」
このダンジョンは常に夜であり、ずっと中にいると時間感覚が狂ってしまう。
だがスマDには時計機能があり、疲れを感じて『今何時だろう』と時間を確認すれば、今が何時ごろなのかは分かるはずだ。まさか疲れていることに気付かないくらいに夢中になって探しているのだろうか。
「おはよう、猪呂さん」
「…………」
ダイヤは声をかけて音の隣に立ったが、彼女から返事は無かった。
嫌っているから無視されたのではなく、そもそもダイヤの存在に気付いていないかのようだった。
「(すごいクマ。やっぱり一睡もしてないんだ)」
キリっと美しい顔は泥とクマで見る影もなく、何かに追い込まれたかのような表情からは悲壮感が漂い、見ている方が辛くなってくる程だ。
「僕も一緒に探して良い?」
「…………」
やはり音は返事をせず、ゆっくりと泥の底を浚うだけ。
どうやって声をかけたら彼女の心に負担をかけずに現実に引き戻せるだろうか。
「あ!」
そう考えていたら、目の前にマッドフロッグが出現した。
徹夜明けでフラフラの音に対処できるとは思えない。
慌てて倒そうと構えたダイヤだったが。
「スラスト」
「え?」
音が泥の中からスピアを取り出し、超高速の突きでマッドフロッグに攻撃をしたのだ。
「(まさか無意識で攻撃してるの?)」
これまで音がマッドフロッグに襲われても無事にここで失くしものを探せていたのは、このためだろう。
これが英雄職ヴァルキュリアの実力。
無意識に近い状態でも低ランク魔物なら簡単に屠ることが出来る。
精霊使いとは天と地ほどの差がある実力差。
だがそれでも彼女はもう限界だった。
夜通しで集中して何かを探し、その間に迫りくる魔物を撃破し続ける。
しかも必死になって探さなければならない程に大事なものを失くしたとなれば、メンタルはもうボロボロだ。
マッドフロッグへの攻撃は体の中心からやや逸れてしまい撃破には至らなかった。
ゆえに泥吐き反撃がやってくる。
「危ない!」
泥の中で移動が制限されているが、隣に居たことでどうにか足を動かして音の盾となることが出来た。
「ぐっ……このお!」
そこからはダイヤとマッドフロッグの戦いだ。
すでに倒し方は分かっている。
これまでと同じく、ダイヤはマッドフロッグに近づき体を裂いて撃破した。
「ふぅ、猪呂さん大丈夫だった?」
ダイヤが振り返ると、音は探す手を止めて力無く立ち、ダイヤの方を見ていた。
どうやらようやくダイヤの存在に気付いたらしい。
「なんで……ここに……?」
「(うわぁ、嫌がられてる)」
猛烈に疲弊しているにも関わらず、力ない声の中にダイヤを嫌悪する色が混じっていた。
一体どれほどに嫌われているのかと、流石のダイヤも少し凹みかけた。
しかし今はそんなことを気にしている状況ではない。
「猪呂さんの探し物を手伝いに来たんだよ」
「…………え?」
音が心配だから。
音の力になりたいから。
そう格好良く続ければ、弱った音の心に好印象を与えられるだろう。
彼女をモノにするには絶好のチャンスだ。
「猪呂さんのお仲間さんが心配して、僕に探して欲しいってお願いして来たんだ」
しかしダイヤはそれを選ばなかった。
自発的に探しに来たにも関わらず、音の仲間に頼まれたと嘘をついた。
「(多分、こっちの方が聞き入れてくれるよね)」
嫌われているダイヤが自分の気持ちを伝えた所で、疑われ、嫌がられ、追い出そうとしたり拒絶される可能性がある。しかし『仲間が心配していた』と言えば、嫌いな相手にしっかりとお礼を言える優しい音ならば聞く耳を持ってくれると考えたのだ。
「あ……」
ダイヤの狙い通り、音の眼に光が戻り始めた。
今ならまともに話が出来るかもしれない。
「一度戻って、皆を安心させてあげたら?」
「…………でも」
音は胸元に手を添え、葛藤しているようだ。
「(もしかしたら、あのネックレスの先にあったのが落ちたのかな。そういえばマッドフロッグの攻撃を受けてたっけ)」
昨日、音はマッドフロッグの泥吐き攻撃からエルを守るために盾になった。その時の攻撃が胸元に直撃し、ネックレスの先の何かが衝撃で緩んでしまったのではないか。
「僕、茶封粘土が必要でここで探さなきゃならないんだ。だからここからは僕が猪呂さんの探し物も含めて探しておくよ。猪呂さんは一度戻って、休んでから探しなって。今にも倒れそうで、そんなんじゃ見つかるものも見つからないよ」
自分は本来ここで欲しいものがあって取りに来たのであり、そのついでに音の探し物が見つかったら取っておく。嫌われている自分は純粋な厚意で音の探し物を引き継ごうと言っても勘ぐられるかもしれないため、敢えて『ついで』と表現したのだった。少しでも音の心に刺激を与えず素直に休ませるために。
「…………」
音はしばらく葛藤すると、やがて一つの結論を出した。
「…………指輪」
「うん、分かった」
何を探しているのかを教えてくれた。
つまりダイヤの言葉を聞き入れてくれたということだ。
「…………ありがとう」
昨日聞いたばかりで、昨日とは全く違う精気の無い蚊の鳴くような声。
彼女はその言葉を最後に振り返り、フラフラとこの場を離れるのであった。
「(探すのは送り届けてからだね)」
そしてそんな彼女が途中で魔物に襲われないように、こっそりと後をつけてボディーガードをするのであった。