177. 貴石ダイヤの奇跡のはじまり
絶望。
強敵相手に一歩も退かずアイテムを駆使して死にながらも乗り越えて来た仲間達が、手も足も出ずに心折られている。
その様子を奈子は後ろで信じられない面持ちで眺めていた。
ドラゴンの迫力が彼女を怯えさせるが、それ以上に彼女が怖かったのは仲間達から発せられるマイナスのオーラ。
「(先生どころか、精神力お化けのダイヤまで潰れちゃうだなんて)」
精霊使いであるがゆえ、敵のオーラの影響をもろに受けてしまったことが要因の一つなのだが、ダイヤはこれまでそれでもどうにか立ち向かおうとしていた。だが今回に限っては完全に動きを止めて恐怖に支配されてしまっている。
最も信頼している人間が屈してしまった。
一年生組が再起不能になったのはそれも理由の一つだろう。
「(私がどうにかしなきゃ!)」
しかし不思議と奈子だけはまだ心に余裕があった。
本能を揺さぶるような恐怖は感じているが、それでも冷静に物事を考えて行動する余裕がある。
「(これまで楽してたんだから、今こそ皆の役に立つ時!)」
奇跡を起こして仲間達を助けたことはあったが、基本的に奈子は最後方で守られながら詠唱を続けていただけ。つまり肉体的にも精神的にも疲労が少ない。それに生来の諦めの悪さが加わり、彼女は猛烈なプレッシャーを受けながらも立ち続けられていた。
「(奇跡を起こす!ううん、奇跡は起きる!)」
不思議と確信していた。
ミラクルメイカーとしての勘。
奇跡が起きるとしたらここしか無いと思えるようなシチュエーション。
そういう『理由』無く、木夜羽奈子の感覚がそう感じていたのだ。
「(これまで失敗だらけなのに絶対に成功するだなんて変な感じ)」
その失敗のせいで、奈子は人と接するのが苦手になってしまった。
『別に期待して無かったから謝らなくて良いよ』
『何も出来ないんだからじっとしててよ』
『邪魔』
クラスメイト達が彼女を見限り、諦め、侮辱する。
そんな悲しい過去を思い出しては何度も涙し、漫画やアニメに逃避した。
だがそれでも諦めずにここまで来た。
それは全てこの日、この時のためだったのではないだろうか。
苦しかった日々も、幸せな今も、ここでの『成功』に繋がっている。
それは過去の苦しみを正当化させて、心を癒そうとしているだけの考え方なのかもしれない。
クラスメイトと普通に仲良く出来ていたとしても、今は訪れているのかもしれない。
真実なんて分かるはずが無い。
それならば自分に都合の良いように勝手に考えてしまえば良いのだ。
「(私の人生に失敗なんてない。全て成功なんだ!)」
だからこれからやることも成功するはず。
『理由』が無い確信に『理由』をつけることで、気持ちがスッと楽になった。
「(さぁ、格好良くぶちかますよ!)」
ここからは余計なことなど考えない。
心が、魂が望むままに全力で奇跡を発動する。
「奇跡を行使する」
奈子がそう口にした瞬間、周囲の空気が切り替わった気がした。
心折れていた仲間達が、胸に小さな灯が宿った様子で彼女を見た。
「いかなる抵抗も無意味と化す暴虐のドラゴン相手に、我らは成すすべなく散り行くだろう」
「ドラゴンを倒し、全員が生きて帰るなど、あり得ない。隙をついて逃げ出すことすら成し得ない」
それこそが奈子が最も後ろから観察して得られた現状の冷静な分析結果。
改めて口にすることで絶望感が増し、仲間達が宿した灯が消えそうになる。
だがそれこそが大事なステップ。
現状が本当に絶望的であるからこそ奇跡が奇跡になり得るのだから、それを曖昧にしたままでは何も起きやしない。
「だが我らは貴様を倒す。そして誰一人として欠けることなく帰る!」
「我の言葉が妄想に過ぎないというのならば、その妄想を具現化することこそが奇跡と言えよう!」
それは奈子にとって妄想であり事実でもある。
数々の失敗を経験してしまったが故に己の行いと失敗という結末が反射的に結びつくようになってしまっているが、今だけは失敗など全く想像も出来なかった。
「我はミラクルメイカー、奇跡を行使する者」
そして幾多の苦難を味わい、それでも諦められない者。
そんな人物が奇跡を起こそうと願うのだ、起きるに決まっている。
「この状況をひっくり返す奇跡よ!さっさと起きろおおおおおおおおお!」
魂身の叫びが当然のようにソレを引き起こす。
掲げた杖の先端から眩い光が生み出され、その光が仲間達の心を希望と言う大きな炎で焼き尽くす。
ここから何が起きるのか。
奈子にも分かっていない。
だがなるようになるだけだ、などと任せっきりにすることなどあり得ない。
奇跡が完了した後にやるべきことなどいくらでも想像出来るのだから備えるべきである。
生み出された光はしゃがんでいるダイヤに向かって進み出した。
そしてダイヤを包むとソレはフッと突然消滅した。
「(立ち上がった?)」
光が消えた後に残ったのは、立っているダイヤの姿。
ゆえに奈子の視点では、光に包まれている間にダイヤが立ち上がっただけのように見えた。
「(ううん、違う。何かは分からないけど、変わってる!)」
これが背後では無く正面だったのなら、ダイヤの表情が力強いものに変化していることに直ぐに気付いただろう。だが奈子は彼の背中を見るだけで、内面の大きな変化を感じ取った。
愛しい人の堂々とした姿が勇気を与えてくれる。
この一瞬の間にダイヤが過去に戻っていただなど誰にも分からない。
しかし奇跡が起きて状況が一変したことだけは誰もが察した。
ダイヤは右手を開き、ドラゴンに向ける。
「(指輪?)」
その中指に奈子が見たことの無い指輪が嵌められていて、それが眩く光り出す。
『グオオオオオオ!』
その光を浴びたドラゴンが途端に苦しみ出した。
ブレスの準備を中断し、痛みに悶えるかのように全身をくねらせ、身体に纏う赤黒いオーラが消滅して行く。
「す、凄い……」
先程まで圧倒的強者であったはずのドラゴンがダイヤの手で打ち倒されようとしている。
それはまさに奇跡とでも思えるような光景だった。
やがてドラゴンに纏う全てのオーラが除去され、ドラゴンの身体は二回りも小さくなった。
奈子が感じるプレッシャーも激減し、これなら亡霊騎士達と大して変わらない気がする。
「黒い」
誰かがそう呟いた。
オーラを纏っていた時は、オーラの色が主張していたのか赤黒い見た目だったが、今は全身が真っ黒だ。これが本来のドラゴンの姿なのだろう。
念のためなのか、それともまだ意味があるのか、ダイヤはまだ指輪を翳して光をドラゴンに当てている。しかしそれも直に終わり、弱体化したドラゴンと最後の戦いが開始されるだろう。狩須磨達もすでに武器を構えて戦闘開始の準備をしていた。
奈子は奇跡を起こしたら後は傍観者、なわけがない。
やるべきことを探し、備えていたからこそ、行動出来た。
「奇跡を行使する」
それは今一番必要とされている奇跡。
最後の戦いに挑む上で、必須とも言える作業。
「試練に挑みし勇者達に安らぎを」
癒の奇跡。
淡い緑色の優しいオーラが仲間達を包み、怪我を治し、体力を回復させ、精神を癒した。
奈子は知らない。
ダイヤが過去で死にそうな目に遭ってきたことを。
身体に、そして特に精神に大ダメージを負って疲弊していたことを。
奇跡はそれを癒してくれた。
このままではまともに最後の戦いに挑めそうになかったダイヤを仲間に加えてくれた。
「ありがとう、奈子」
「…………うん」
ダイヤが首だけ振り向いて奈子にお礼を告げる。
それだけなのに奈子は胸の高鳴りが止まらなかった。
「(ダイヤが超格好良くなってるんだけど!)」
過去で精神的な戦いを乗り越えたことから、ダイヤの精神力が一気に成長し、それが雰囲気に表れているのだ。
「うわぁ……うわぁ……」
音など頬を赤らめて膝をすり合わせてモジモジしてしまっているではないか。
せっかく奈子が奇跡で癒したというのに、ダイヤが無自覚に仲間の集中力を削いでしまった。
「これ以上は効果が無いのかな」
ドラゴンはもう苦しむ様子がほとんど無く、怒りの目でダイヤを睨んでいる。
ダイヤは手を下げ、素早く万極爪を装備する。
「皆、行くよ!」
「「「「おー!」」」」
ここで勝てばダイヤ達は情報と敵への特攻指輪を持ち帰れる。
ここで負ければダイヤ達は死に世界は滅びへと一直線。
世界の命運を決める分岐点となる一日。
その最後の戦いが幕を上げた。