165. 絶望VS奇跡
「お疲れ様です」
戦いを終えてほっとしていたら望の姿の地球さんがダイヤに話しかけて来た。
「いやぁ、本当に疲れたよ」
全力で走り続けたため、特に前衛は疲労困憊だ。
もうこれ以上戦う体力は残されていない。
「お話を再開したら、また出てきちゃうのかな?」
「いえ、もう彼の存在の気配は感じられません」
「ということはここからはお話しし放題?」
敵は今回の一戦に全てをかけたのだろう。呪いのようなものは解除され、核心の話をしても襲っては来なくなったようだ。ゆえにこれから先はボーナスタイムになるのだとダイヤは考えたのだが、そうは甘くは無かった。
「残念ながら私がこうして顕現するには限界が来たようです」
地球さんに限界が来て、ここから先は敵を抑えるのに全力を尽くすことになってしまう。
「そっか、残念だね。それじゃあ次に会う時はダンジョン二十をクリアした時かな?」
「分かりません。その時に私が余裕があれば良いのですが」
「それなら二十だけじゃなくてもっとクリアすれば良いのかな?」
「そうですね、私が抑えるのが楽になれば可能性は高くなるかと」
だとすると色々と話を聞きたい俯角などは全力でダンジョン攻略を進めることになるだろう。もちろんそれは関係なく人類を救うためには全員が全身全霊で望む必要があるのだが。
「じゃあ僕達も帰ろうか」
狩須磨や俯角、その他のメンバーを見ると顔に濃い疲労を浮かべていた。俯角などは最後に駆け込みで色々と聞き出しそうなタイプに思えるのだが、それすらしていないということは余程疲れているのか。
「分かりました。それではまたお会いできるのを楽しみにしております」
「うん、僕もだよ」
これにて情報収集は完了し、ダイヤ達は外に戻り世界の危機を人類で共有する。そしてどうやって強化されたダンジョン二十をクリアするかの検討に入るのだろう。そして地球さんが敵を抑えきれている間に事が為せるかどうかという時間との勝負になる。
そうなると誰もが思っていた。
この場での仕事は終わり、ひとまずは休めるのだと。
だが。
「!?」
最初に反応したのは消えようとしていた地球さんだった。
「これ……は……!」
「どうしたの?」
驚愕の表情を浮かべていた地球さんは、胸を押さえて苦しそうな表情に変わった。
「逃げ……て……私では……ダメ……!」
そして不穏なセリフと共にその場から消えてしまった。
「扉に向かって走れ!」
何が起きたのか分からず困惑するような状況ですぐに指示が出せたのは、狩須磨のこれまでの経験によるものか。だがその指示はすでに遅かった。
全員が狩須磨の指示にとっさに反応して走り出したその瞬間。
「なんだ!?」
外へと続く扉が勢い良くバンと開かれ、膨大な量のナニカが猛烈な勢いで飛び込んできたのだ。そのあまりの勢いにダイヤ達は扉に近づくことすら出来ない。
「な……何……コレ……?」
スキルで精神が守られているはずのダイヤが、再び恐慌に陥ろうとしていた。何故ならそれは、これまで見たことが無い程に大量の赤黒いオーラだったから。
「扉が!」
躑躅の叫びにつられて視線を扉に向けると、なんと扉はその大量のオーラに吸収されるかのように消えてしまったでは無いか。帰るにはオーラをどうにかしなければならないのだろう。
だが果たして大量のオーラをダイヤ達でどうにか出来るものなのだろうか。
疲労困憊というのもあるが、それ以上にあまりにも敵の量が多すぎる。
「無理……無理よこんなの……」
密が絶望に体を震わせる。先程まで戦っていた相手とは格が違いすぎると本能が理解しているのだ。
大量のオーラはゆっくりと形を作り、その色のままに一つの巨大な生物に変化した。
「ドラ……ゴン……」
呆けるように呟いたのは誰だったのか。
それは間違いなく西洋竜であり、全身に血のような赤黒いオーラを惜しげもなく纏わせている。
勝てない。
誰もがそう思った。
狩須磨でさえも絶望に心が塗りつぶされ一歩も動けない。
何をどうしても傷一つつけることすら不可能と思えてしまう。
勘違いでも幻でも無い。
本当に実力差がありすぎて、誰もが絶望以外の何物も感じられなかった。
『グオオオオオオオ』
重く、深い唸り声と共に、ドラゴンはその口を開きブレスの準備をする。
避けなけば死んでしまう。
だが避けられるビジョンが浮かばない。
恐怖で足が動かない。
精神を高揚させるスキルなど意味を為さない。
指一本動かせず硬直したダイヤ達はドラゴンのブレスをその身に受け、その後には塵一つ残されていなかった。
パーティーの全滅を感知しましたのでやり直します。
全滅回避の指輪。
それは狩須磨が装備していた起死回生の装備品。
死亡を無かったことにするのではなく、時を巻き戻すため身代わり人形とは別効果扱いとなる。
発動条件は一度の攻撃でパーティーが全滅した時。
身代わり人形がまだ残っているメンバーもいるが、それはカウントされない。
効果は全滅の直前まで時を巻き戻す。
強力な性能であるがゆえ、一度発動すると粉々になり消えてしまう。
「!?」
死んだと思ったのにまだ意識があることに驚くダイヤ一行。
だがすぐにそれが狩須磨の指輪の効果であることに思い至った。
狩須磨はその指輪の情報をメンバーに共有してあったのだ。
だが時が巻き戻ったところで何だと言うのだ。
赤黒いオーラはドラゴンの形を取ろうとしている。
このままでは再びブレスを喰らって全滅間違いなしだ。
しかもそれを防ぐ方法が思いつかない。
ブレスは全方向へと吹かれていた。
あまりの威力にあらゆる防御が意味を為さない。
逃げるにしても脱出口は敵の体内にある。
ブレスを撃たれる前に先制攻撃をしようとも、攻撃が効く気が全くしない
完全に詰んでいた。
再度全滅する以外の未来が誰にも見えなかった。
「(クソクソクソクソ!)」
これまで何度も危機を乗り越えて来た狩須磨でさえも焦りと恐怖に支配されてしまう。
「(せめて一人だけでも!)」
情報を外の世界に伝えなければならない。
もしかしたらこのドラゴンが外に出て、その時点で世界が終わってしまうかもしれないが、外には出れないという制限があるかもしれない。可能性があるならば、誰か一人でも脱出して希望を託す。
だがその方法すら思いつかない。
たった一人ですら帰す術が見つからない。
ダンジョンの中で絶望し、足を止めるのはご法度だ。
だがそうする以外に、座して全滅を待つ以外に彼らが取れる選択肢は無かった。
誰もが絶望し、死と世界の終わりを覚悟する。
だが希望は潰えていなかった。
「奇跡を行使する」
最後の最後まで諦められず、あがきにあがくのが彼女の信条だ。
だからこそ彼女はその職業を付与され、その職業に恥じない人物として立ち続ける。
「いかなる抵抗も無意味と化す暴虐のドラゴン相手に、我らは成すすべなく散り行くだろう」
それが確定された未来だ。
今のダイヤ達の戦力でそれを覆すのは絶対に無理である。
「ドラゴンを倒し、全員が生きて帰るなど、あり得ない。隙をついて逃げ出すことすら成し得ない」
この場の誰もがそう思っている。
その事実に心が折れようとしている。
「だが我らは貴様を倒す。そして誰一人として欠けることなく帰る!」
もし本当にそんなことが出来るのならば、それは希望が残されているということを意味するだろう。
だがここには希望は無い。
希望が無いのなら、そんな宣言などただの妄言にすぎない。
「我の言葉が妄想に過ぎないというのならば、その妄想を具現化することこそが奇跡と言えよう!」
絶対に起こり得ない妄想。
それが起きるとしたら奇跡に他ならない。
妄の奇跡。
木夜羽奈子はそれに全てを賭けたのだ。
「我はミラクルメイカー、奇跡を行使する者」
奇跡の真価が発揮する時は今をおいて他にない。
「この状況をひっくり返す奇跡よ!さっさと起きろおおおおおおおおお!」
最早詠唱でも何でもない魂の叫び。
それは高確率で何も起きないはずだった。
奇跡というのは起きないから奇跡と呼ぶのだから。
だがもしここでソレが起きたのならば、真に奇跡と呼べるのではないか。
誰もが奇跡と呼べると心から想える事象であるならば、ソレが起こるのは偶然ではなく必然。
誰がどう努力しても変えられない未来が変わることこそ真の奇跡であり、それを起こせるのがミラクルメイカー。
奈子の杖の先端に眩い光が生成された。
「え?」
その声はダイヤのものだった。
奈子の奇跡が成功しそうになっているからではなく、その光が自分に向けられているような気がしたからだ。
「ダイヤ、お願い!」
奈子もまたそのことを察したのだろう。
彼女が杖を高く掲げると、眩い光の塊は真っすぐにダイヤの方へと向かった。
誰もがダイヤを見ている。
ドラゴンが形を成し、口を開けてブレスの準備をしている。
「分かった!」
何が起こるか分からない。
だが奇跡が自分を選んだのだと理解したダイヤは、震える気持ちを必死に抑え、いつもの柔和な笑みを振りまいて皆を安心させるようにして、その光を受け入れた。