142. これが正しい贖罪の方法なのか、僕には分からない
『ギャオオオオン!』
上空から降り注ぐ耳をつんざくような叫びがダイヤの鼓膜を激しく振るわせる。
しかも巨大な翼による羽ばたきの影響で気流が激しく渦巻き、体が四方八方へとランダムに吹き飛ばされそうになる。
「くっ……流石ヒュージレッサーワイバーンだね。中ボスらしく迫力満点だよ」
「ただ図体がデカいだけです」
「あはは、分かってるんだけどね」
ヒュージレッサーワイバーンは空を覆うのではと思えるほどの巨体であるが、『レッサー』とついているようにワイバーンの中では弱い魔物だ。動きが遅く、体表が柔らかく、ただのデカい的だと言う人もいるくらいである。
だがそれでも視界を埋め尽くすほどの巨大な翼竜というだけで脳が勝手に恐れを為してしまうものである。その恐怖を振り払い、しっかりと行動出来るかが試されている。
「万極爪、ドリルモード!」
空を飛ぶ相手には遠距離攻撃。
爪から変化したドリルが激しい金属音をかき鳴らしながら回転を始めた。
「もっとだ、もっと回って。この風に負けないくらいに!」
中途半端な威力では不規則に暴れる風に飲まれて本体まで届かない。
素手で触れた瞬間肉片と化してしまいそうな程に回転が強まるを待つ。
「発射!」
万を持して放った一撃は物凄い勢いで真っすぐヒュージレッサーワイバーンへと向かった。狙いは右翼の根元付近。
『ギャオオオオン!』
ドリルは見事に狙い通りの場所を貫いた。
「ダメかぁ」
そのまま痛みで落ちて来ないかと考えたのだが、小さなドリルで穴が開いた程度では滞空を止めないらしい。
「旦那様。私がやりましょうか?」
「う~ん、じゃあお願い」
ダイヤがドリルを回収している間に、スピはその場からフッと消えた。
天使と戦った時と同じように、実体化を解除して別の場所で実体化をするつもりである。
今回はヒュージレッサーワイバーンの上に乗ることにした。
「旦那様の上に乗るのは私です!」
「何言ってるの!?」
ダイヤが空けた穴の周囲をスピは持ち前の怪力をふんだんに振る舞い蹴りまくった。
『ギャオオオオン!?』
流石にかなり痛むのだろう。ヒュージレッサーワイバーンの身体がぐらりと傾き、下降して来た。
「おっと気を付けないと。下敷きになっちゃう」
「旦那様に下敷きにされるのは私です!」
「だから何言ってるの!?」
再度実体化を解除してダイヤの元へと戻って来たスピは、妙なことを宣言しながらダイヤの身体を抱えてその場から退避した。
ズズウウウウウウウン。
大地を激しく揺らしながらヒュージレッサーワイバーンが地面に墜落した。その瞬間、スピはダイヤを抱えたまま大きく飛んだため大地の揺れの影響は無かったが、その代わりに墜落により生じた更なる暴風に巻き込まれて大きく後ろに飛ばされてしまった。
「スピ!大丈夫!?」
「このくらいなんてことありません。それよりもっとしっかりと抱き……揉んでください」
「何で言い直したの!?」
どさくさに紛れて少しくらい女性の身体を堪能しても良いかなとチラっと思ったのがバレたのだろうか。今のスピは大人のお姉さんな体型なので揉みごたえがありそうなのだ。
「まったくもう。降ろして」
「…………」
「降ろしてよ!アレにトドメを刺すんだから!」
「チッ」
「わぁお、舌打ちしたよ」
合法的に抱き着くボーナスタイムが終わったことに、スピは心底残念そうにダイヤを解放した。
「スピなら大丈夫だと思うけど、戦闘中はあまりふざけないでね」
「ふざけてません、本気です」
「なおさら悪いよ!」
「これが本分ですので」
「知ってるけど!」
彼女が相手だとダイヤはどうしても翻弄されっぱなしだ。
「それじゃ行ってくるから」
「お気をつけて」
ヒュージレッサーワイバーンはDランクダンジョン『行き過ぎた欲望』に出現する中ボスだ。『行き過ぎた欲望』は雑魚をある程度倒すと中ボスが出現し、出現パターンが変化した雑魚を更に倒すと最奥ボスが出現するタイプのダンジョンである。
ただの的でしかないヒュージレッサーワイバーンだが、鈍重な動きによる攻撃は喰らってしまえば一撃死の可能性があるくらい威力が高い。その危険性により、EランクではなくDランクであるのだろう。
『ギャオオオオン!』
やりすぎな程に煩い叫びと、巨体が身じろぎするだけで動きが制限されそうになる空気の流れ。これらの障害が鈍重であっても攻撃を躱しにくい要因の一つになっているため、決して油断ならない相手だ。
「はああああ!」
地に伏した巨大すぎる翼竜に向かってダイヤは走る。基本的にダイヤは超接近戦が主体であり、その身を爪で斬り裂いてやろうという魂胆だ。
「(この巨体相手だと悪戯スキルみたいな小細工は通用しない。それよりも一気に斬り刻む!)」
巨大な敵との戦いにワクワクし、『天衣無縫』スキルが自動発動してステータスが微増する。何者にも止められず、自由奔放に好きなように行動出来ている時に効果を発揮するスキルだ。
ステータスの増加は体に負担をかけることになり、後で筋肉痛などで苦しむ人がいるが、ダイヤの場合は激しく鍛えているから問題ない。ステータスの上昇に耐えうる肉体作りをしているため、デメリット無しでバフを堪能できる。
『ギャオオオオン!』
翼竜は首だけを持ち上げ、ダイヤを噛み砕こうとする。
「遅いよ!」
だがダイヤはそれを余裕で躱し、その首元に向かって力を溜めながら走った。
「パワーーーークロウ!」
溜めたことで威力がマシマシになった爪の一撃は、ヒュージレッサーワイバーンの首肉をごっそりと削り取った
『ギャオオオオン!』
あまりの痛みで暴れ出す翼竜。
「ぐっ……動き辛い」
巻き込まれて当たろうものなら大ダメージは必須であり、しかも暴れたことでこれまた新たな空気の激しい流れが生じて移動し辛い。的はデカいが接近戦には向いていない相手なのだ。
だがダイヤはそれでも構わずヒュージレッサーワイバーンに向けて爪を振るい続ける。体の動きを予測し、当たらないように位置を調整しながら両爪で鮮やかな連撃を繰り広げる。
獣王無双。
まるで獣のようなワイルドな動きで次々と斬りつけるスキルだ。ポイントは獣の直感で相手の反撃行動を察知し、適切なタイミングで連撃を止められるところ。スキルレベルが低い間は成功率が低いが、スキルレベルが高くなると完璧なタイミングでのヒットアンドアウェイにより攻撃の継続時間が非常に長くなるというメリットがある。
「おおおおおおおお!」
『ギャオオオオン!』
ヒュージレッサーワイバーンが痛みで体を捩っても当たらない場所を的確に把握し、ダイヤは走りながら魔物の体中を爪で傷つけて行く。
『ギャオオオオン!』
激しい風により行動が阻害されようとも走るスピードが落ちないのは、日頃の朝練の賜物である。
やがてヒュージレッサーワイバーンの動きは大人しくなり、ダイヤが首を斬り落とすと同時に緑の靄となって消えたのだった。
「スピ、どうぞ」
「頂きます」
ダイヤはその緑の靄をスピに吸収させた。
スピの全身が淡く緑色に光ったが、パッと見た感じでは外見に変化は無い。
「どうかな?完全に治った?」
スピは実体化出来るようになったが、まだ傷が完治したというわけではなかったのだ。本人曰くまだ細かいところで体を動かしにくく、実体化するにも負担がかかるとのことだ。それゆえ今回は扉の先に向かう前に治すためにこのダンジョンにやってきたのだった。
スピは何度か実体化と解除を繰り替えし、体を色々と動かして調子を確認した。
「はい。完璧です。これでどのような体位でもご奉仕可能です」
「そ、そう」
「それでは早速」
「やらなくて良いから! 脱がなくて良いから!」
「エエー」
「棒読みで抗議しながら脱ぎ続けないの!」
「チッ」
「わぁお、また舌打ちしてらー」
完治したら積極的に攻めて来るのではないかと想像していたが、案の定だった。
「いくら僕の願いが『えっちなおねえさん』だったとしても、積極的すぎじゃない?」
「仕方ありません。長い間、お勤めを果たせていませんので」
「う゛っ……そ、そうだよね」
彼女がこうなってしまったのは、ダイヤがそう願ってしまったから。そのことを考えると強く拒絶することはダイヤには難しい。もしもダンジョンの外でスピが本気で迫ってきたら、ダイヤは罪悪感から断れないだろう。
その罪悪感にスピは気付いていた。
「そのような顔をなさらないでください。旦那様が笑顔でいて下さることが私達の望みですから」
「うん、ありがとう。でもそんな風に慕ってくれる君達を、いくら知らなかったとはいえこんな形で具現化してしまったのが申し訳なくて」
「私としては旦那様に直接喜んで頂ける形にして下さったことが大変嬉しいのですが」
「あ、あはは……」
奇しくも先の会合で俯角が告げたのと同じく、価値観の違いによるものだ。
いくら相手が喜んでいるとはいえ、性的な行為で喜ばせてくれようとする女性を作ってしまうなど人間の倫理的にはNGだ。だが精霊的には慕っている相手を強く喜ばせることが出来る存在に昇華してくれたことは心の底から嬉しいことなのかもしれない。
精霊のためを思うなら、素直に彼女の行為を受け入れるべきだ。
だが罪悪感がそれを良しとは思わせてくれない。
確かに彼女は喜ぶのかもしれない。
だがそれは洗脳で無理矢理そう感じさせているのと大して変わらないのではないか。
ここで受け入れてしまったのならば、洗脳だろうが喜んでいるのだから問題ないと開き直るのと変わりないのではないか。
どうしてもそう思ってしまうのだ。
「ねぇスピ。約束通り考えたよ」
「はい」
彼女との関係をどのような形で受け止めれば良いのか。口約束のような『考える』だったが、ダイヤは律儀にしっかりと『考えて』いた。
「もしかしたら僕はスピに更に酷いことを押し付けようとしているのかもしれない。でも、それでも、僕にはもうこれしか思いつかなかったんだ」
「…………」
それがあまりにも身勝手な考えであることは自覚している。
えっちなおねえさんを願ったことが洗脳であるならば、これからしようとしていることは更なる洗脳で上書きしようとしているだけではないかとも思えることだ。
自分が納得するために、相手を望まぬ方向へ変えてしまう。
それゆえその結論をスピに伝えるのにも勇気がいり、時間がかかった。
他に何か贖罪の方法があるのではと考えた。
だが結局ダイヤはそれしか思いつかなかった。
「僕はスピに、人の心を知ってもらいたい」
その上でダイヤのことをまだ慕い続けてくれるのであれば、受け入れよう。
それがダイヤの出した結論だったのだ。
「スピが精霊であるということや、精霊の考え方を侮辱するような最低なことだと思う。でも僕は……」
「それ以上は仰らないでください」
「!?」
己の至らなさが漏れてしまうダイヤの口を、スピは己の口で優しく塞いだ。
それはえっちなおねえさんとしてではく、精霊としてでもなく、ダイヤのことを純粋に思うスピとしての行為だった。
やがてそっと口を離したスピは、慈愛に満ちた笑みを浮かべ、ダイヤを優しく抱き締めた。
「それで旦那様が納得出来るのでしたら、私は何も問題はございません。それにたとえ人の心を知ろうとも、この気持ちが揺らぐことは全くございません」
「スピ……」
「私達の在り方は旦那様には理解がし辛いのでしょう。私達は元より気に入った相手に尽くすことを何よりも喜びと感じる存在。旦那様が変わって欲しいと願うのでしたら、それを受け入れることもまた私達の喜びなのです」
例えその命を捧げよと命じられたとしても、心から喜んで実行するだろう。
人とは違う価値観。
認めた相手に全てを捧げる忠誠心の塊。
それは己の有り方を変えよとお願いされても喜べるほどのものなのだ。
「……どうして僕のことをそんなに気に入ってくれたの?」
スピだけではない。
『精霊使い』の中でダイヤだけが特別好かれている。
他の人は決まった種類の精霊としか仲良くなれず、スピのように擬人化させることも出来ないのに、ダイヤだけはあらゆる精霊が仲良くしてくれる。
「そうやって私達のことを本気で想って悩んでくださるからです。それに……」
「それに?」
「ふふ。それ以上は秘密です」
「ええ~」
肝心な答えを聞けなかったことに抗議の声を挙げるダイヤだが、スピの優しい抱擁により想いはしっかりと伝わっていた。
元よりウジウジするなんて性に合わないタイプだ。やると決めたら全力でスピに人の心を与えるために行動する。どれだけの経験値が必要なのかは分からないが、扉の先で遭遇するかもしれない強敵を糧にすれば可能かもしれない。
「よし、やるぞ!」
扉の先に進む理由が増え、ダイヤのやる気は更に増したのであった。
そんな意気揚々としているダイヤを見てスピは想う。
「(人ならざる単なる欠片の私達を、人として対等に扱い愛して下さろうとする。そんなお優しい旦那様だから私達は愛おしいのです)」
スピの心はえっちなおねえさんになる前から堕ちていた。だがダイヤがスピのことで心の底から悩み想ってくれたことでより深みへと堕ちていたのであった。
つまり都合の良い女。
おっと違いました。
男の娘にもなれるから、女限定ではありませんね。