110. タイムリミットが早まるだなんて聞いてないよ!
「…………ふぅ」
ダンジョン・ハイスクール二年女子、鳳凰院 躑躅は最高級寮の自室にて、華美な机の前に座りながらこめかみを抑えていた。
机の上には先程まで眺めていたタブレットが置かれていて、そこには男性の顔とプロフィールが表示されている。
「どうして皆してこんなじゃじゃ馬が良いのかな」
タブレットを机の上に寝かせたまま触れて横にスクロールすると、何人もの男性が次々と表示される。
いずれも彼女の種馬候補だ。
若い男性から老齢な男性まで選り取り見取りだが、あいにくと同世代の男性はいない。
『それだけお嬢様が魅力的ということですよ』
部屋の中には彼女以外誰も居ない。
渋い男性の声が聞こえて来たのはタブレットからだ。相手は躑躅にお付きの執事。島にまでは同行させなかったが普段から話し相手になってもらっている。
「魅力的なのは家柄と職業でしょ」
『またまたご謙遜を。お嬢様は非常にお美しい。殿方が見惚れるのも当然でございます』
「うん、知ってる」
『ふぉっふぉっふぉっ』
躑躅は自分の外見が男性受けすることを自覚している。それは同世代の男子からの視線から察したというわけではなく、そうなるように努力したから。
いや、正確には努力させられたからだ。
美しく、それでいて年相応に可愛く、はしたなさは程ほどに、男に好まれる女になりなさい。
彼女はその命令に従い、幼い頃から自分を磨いてきた。そして磨けているかどうかを鏡で常に確認し続けている。故に自分が男からどう思われているのかなど理解しているに決まっている。
「でもとってもワガママだよ。そんな女の何処が良いのかな」
親から指示されたことには従っているが、それ以外ではギリギリのラインを攻めて我儘をしまくっていた。付き添い無しでダンジョン・ハイスクールに来たこともその一つだ。
「男というものは簡単に手に入らない方が燃えるものでございます」
「ふ~ん。そういうものなんだ。だったら逆効果だったってことね」
彼女の我儘の大半は単にそれをやってみたかっただけなのだが、我儘ばかり言う面倒な女だと思えば言い寄ってくる男が減るのではないか、という目算が無くは無かった。しかしどうやらそれはあまり意味を為さなかったらしい。その理由について彼女は執事の言葉の通りとは思っていなかった。
「どうせ強く言えば従うしかない孕み袋だもの。今の我儘に意味が無いことなんて皆分かっているものね」
「お嬢様、旦那様は決してそのようなことは」
「ごめんなさい。今のは私が悪かったわ」
否定されることは事前に分かっていて謝罪の言葉で遮るのも予定通りだった。ただ心の中に燻っていたネガティブな気持ちをぶつけたかっただけ。執事がそれを受け止めて狙い通りの言葉を返してくれることも分かっていた。
「(なんて嫌な女なのかしら)」
自己都合で相手を振りまわして嫌な気持ちをぶつけるだなど、最低な行いだと彼女は嘆息する。一方で、自分がこんな女だと知られれば男達は興味を失ってくれるだろうかとも考えた。そして素直に反省せずにそんなことを考えてしまう自分の愚かさが嫌になる。
『お嬢様、殿方のプロフィールの確認は終わりましたか?』
「ええ、一通りは」
『でしたら引き続きご報告がございます』
「報告?」
今回の執事とのやりとりは月に一度の定期報告。
報告内容は彼女が学校でルールを破っていないことの確認と、学校で知り得た政治的事情の報告相談、そして最後に最新の種馬候補の確認でいつも変わらない。
だが今回に限っては最後に追加で何か話があるようだ。
『…………』
「どうしたの?」
どのような話であっても明瞭に話す執事が珍しく言い淀む様子に、躑躅は猛烈に嫌な予感がした。
『旦那様から伝言です。お嬢様のお役目が前倒しになる可能性がある、と』
「なんですって!?」
執事の言葉を聞いた瞬間、躑躅は物凄い剣幕で立ち上がった。
「今年度末までは学生生活を堪能して良いって約束だったじゃない!」
それは家族との激しいバトルを制して勝ち得た彼女の権利だった。この権利が守られるのであれば、この先に老いぼれジジイと子を為せと言われても従うつもりだ。
彼女はダンジョン・ハイスクールでの二年間の『青春』に全てをかけていた。未来を諦め、そこで一生分の幸せを味わうのだと全力で生きていた。
期間の短縮は、彼女の決死の想いを侮辱すること。決して許されざる愚行。もしそれが確定しようものなら、彼女は嘆きのあまり自ら命を絶つ可能性だってありえるだろう。彼女の父親は致命的な判断を下そうとしている。
「お父様……一体どうして……」
躑躅の覚悟を理解した彼女の父親は、何があろうとも二年間は彼女の好きにさせると誓った。その時の父親の様子は間違いなく本気であり信じられるものだった。
その父親が約束を破ろうとしているということが、どうしても信じられなかった。
彼女のその疑問に執事が端的に答えてくれた。
『高杉様の御意向と伺っております』
「っ!?」
高杉とは彼女の種馬の筆頭候補である男性で、鳳凰院家としては決して無視出来ない間柄。確かに高杉家から圧力をかけられれば、約束を反故にされてもおかしくはない。むしろ良く『可能性がある』レベルで耐えている。
「どうして!? あいつはロリコンじゃなくて成熟した女性の方が好みでしょう!?」
それゆえまだ幼さの面影が残る躑躅には異性として興味が薄く、二年間の我儘も気にしていなかった。家の都合が無ければ躑躅が二十歳を過ぎてから貰いたいと気持ち悪いことを断言していたのを彼女も聞いている。
『…………』
「何か知ってるの?」
『…………』
「お願い教えて!いえ、教えなさい!」
ここで執事が黙るということは、躑躅を想ってのことだ。長い付き合いから彼女はそのことを分かっている。つまり約束が反故にされる要因は自分にあるかもしれない。
だがそれならば猶更、何が悪かったのかを聞かなければならない。
執事は真実を伝えるべきか悩んだが、教えなさいと命令されては答えるしか無かった。
『高杉様は『精霊使い』とお嬢様が結ばれることを危惧しております』
「は?」
何故そこで『精霊使い』が出てくるのかが、躑躅には全く分からなかった。ダイヤの事は報告してあるが、可能性など皆無に等しい遊びでしかないというのが共通認識だ。
「いや、そうとも限らない……?」
ダイヤは現在進行形で様々な革新的情報を発見している。現時点では『精霊使い』の価値はまだ上位レア職には敵わないが、いずれそれらに匹敵するほどの価値を見出すかもしれない。
「あのプライドの高い男が『精霊使い』なんかに女を奪われるだなんて我慢できない。そういうことなの? 私がダイヤと約束したせい?」
いくら価値が急上昇しているとはいえ、格下であるという印象は簡単には拭えない。プライドが高い権力者にとって格下中の格下と思われていた『精霊使い』に宝物を奪われるなど許されざる出来事だ。
戯れとはいえ躑躅がダイヤと約束をしてしまい、彼女が全てを捨ててダイヤを選ぶ可能性が生まれたことすらも嫌なのだろう。
「でもいくらなんでもそこまで焦るものかしら……プライドが高くても無茶はしないタイプのはずなのに」
高杉は性格的に問題はあるが、家柄を傷つけられないという制限があるからか慎重派だ。強引にことをなそうとするのは彼らしくないと訝しむ。
『真実かどうか不明な情報ですが……』
「いいよ。なんでも教えて」
今は少しでも情報が欲しい。噂話レベルであっても垂涎ものだ。
『高杉様は最近になってまるで人が変わったかのように強引になったという話を聞いております』
「私のこと以外もってこと?」
『はい。そして時折ですが、彼の眼が怪しく光っているという噂もございます』
「それって!」
赤黒いオーラを纏った生物が暴走する。
人間の場合は眼に宿り性格が攻撃的になる。
それらは最近見られるようになった出来事であり、まだ一部の人しかそのことを知らない。
躑躅はその一部の側の人間だ。
「一体何が起きてるって言うの……」
まさか自分がその謎の現象の関係者になるだなど想像だにしていなかった。世界が悪い方向に変容しているような感覚に、躑躅は冷や汗が止まらなかった。
「ごめんね貴石君。約束を守れないかもしれないわ」
これは敗北宣言ではない。
諦観とも受け取れそうな言葉を口にしながらも、彼女は諦めてはいなかった。
「オーラの謎を解くことが約束の継続に繋がるはず」
高杉をオーラから解放すれば、元の感覚に戻って約束の継続を認めてくれる可能性は高い。そしてそのオーラについてならばここでも調査できる。
何しろ最近になってダイヤがまた新たにたっぷりオーラを纏った新ダンジョンという発見をしたのだから。
「『明石っくレールガン』に接触するわ」
『よろしいので?』
「派閥でもなんでもかかってきなさい。全部攻略してあげるから」
これまで躑躅はクランに入らなかった。それは自分が特定の組織に入ってしまうと大きな派閥が出来てしまうから。すぐに学校を辞めるのにそんな派閥など作ってしまったら大混乱は必須。それゆえなるべく中立の立場を取っていたのだが、何もしなくとも学校を予定より早く辞めざるを得ないかもしれないとなったら話は別だ。
「助けを待つお姫様役に徹しようかと思ったけれど、やっぱり最近は戦う格好良いお姫様の方が人気よね」
それは彼女が学校で表舞台に立つという宣言のようなもの。
「もちろん王子様もたっぷり振り回さなくっちゃ」
そしてやるからには肝心の人物も巻き込んでしまおうでは無いか。
『楽しそうですな』
「楽しくなるのはこれからよ」
努力したところで得られるのはほんのわずかな猶予期間。
彼女はそのために全てを賭けて動き出した。