04.永遠(とわ)を生きる聖女の、失われた記憶
【あらすじ】
気づけばフェアリは、記憶を失い、森を彷徨っていた。
元騎士だというティウに助けられたフェアリは、彼が飼っている黒猫と共に、共同生活を始める。
ティウから向けられる慈愛の心に戸惑いながらも、フェアリは少しずつ彼に心を開き、惹かれていくのだった。
一方、魔王封印の宿命を持つ不老の聖女が行方不明になったと、国は大騒ぎになっていた。
聖女は役目を終えると、特殊な薬で十二歳まで退行させられる。
十五歳の誕生日に開花される、絶大な聖女の力。それを利用し続けるために。
「十五までに探しだぜ!」
国からの探索の手が、すぐそこにまで迫っていた。
──せめて十五歳になるまでは──
そう心に決め、フェアリを守り続けるティウ。
しかし、予定より早い魔王復活の兆しが。
ティウは決断し、すべてをフェアリに伝えるのだった。
自分の存在がどんなものであるかを知った、フェアリの下す決断は。
“愛しています。フェアリ様”
春の新緑のような優しい瞳。
心地よく柔らかで低過ぎない声。
キャンドルに照らされたような明るい茶色の髪は、風にそよいでとても綺麗で。
(いやよ、忘れたくない……!!)
彼の姿を頭に思い浮かべながら、フェアリは森の獣道をひたすら歩き続けていた。
もう、時間がない。
薬を飲まされてから、あと少しで二十四時間が経過してしまう。
目的の泉はどこだろうか。
詳しい場所はわからない。この森の中にある、としか。
口にしたのは水だけだ。夜も眠らず歩き通しだから、さすがに体が悲鳴を上げている。
「はぁ、はぁ……うっ」
突如として、痛みが体を走り抜けた。
体を押し潰されるような苦しさがフェアリを襲う。
(そうだわ、私はこれを何度も何度も経験していた。覚えていないだけで……)
今度もまた忘れてしまうのだと思うと、フェアリの目から悔し涙が溢れ出る。
「いや……やだ、会いたい……会いたい……っ!!」
月明かりのように優しく微笑む人を思い浮かべる。
唇を噛み締めるも、押し潰されそうな痛みに耐えられずにガクンと膝が折れた。
それでもフェアリは会いたいと声に出し続け──
「私、は……」
ハッと顔を上げた瞬間、もう痛みはおさまっていた。
体に感じる違和感。手をおそるおそる目の前に持っていく。
(私の手、こんなに小さかったっけ……)
薬指にある指輪は大きすぎて、今にも落ちてしまいそうだった。
着ている白いローブもぶかぶかで、こんな服を着て歩いていたのだろうかと首を捻る。靴のサイズだって合っていない。
フェアリは緑色の宝石がついた指輪を、親指に付け替えながら辺りを見まわした。
「ここは……どこ?」
夕刻だろうか。
空は茜色に染まりつつあったが、まだ暮れてはいない。
ただ、フェアリの周りは木々が影を落としていて、時間以上に暗く感じる。
「やだぁ……こわい……だれかぁ……!」
周りには誰もいなかった。
小動物かなにかが葉を揺らす音を立て、フェアリはビクッと体を震わせる。
「私、どうしてこんなところに……」
記憶がない。ないけれど、ついさっき『会いたい』と言っていた自分の声が耳に残っている。
「誰かに会おうとしてたんだ……誰だっけ……」
記憶を掘り起こそうとしても、どうしても思い出すことができない。
それより今は、この状況をなんとかしなければと足を動かした。きっと、なにか目的があってここを歩いていたのだろう。
お腹が空いていて体はくたくた、服も靴もサイズが合っておらず、歩きにくいことこの上ない。けれど日が暮れる前にどうにかしなければ、魔物が襲ってこないとも限らない。
(誰か……助けて……っ)
心の中で叫びながら、フェアリは足を進め続ける。
すると陽が沈み切らないうちに、ひらけた場所に出ることができた。
「……泉!」
その真ん中で泉が湧き出ている。
フェアリは急いで駆け寄り、透明な水を手ですくった。喉を急いで上下させ、渇きを落ち着かせる。
「ぷはぁ……っ」
雫が落ちると、ぴちょんと音を立てて可愛い波紋が広がった。
覗いてみると、水面に己の顔が揺れている。
波打つ金色の髪は乱れ、疲れた顔がそこには映し出されていて。
子どものする顔じゃない、とフェアリは子どもながらに思う。
「これが……私……」
紛れもない、自分の顔だった。その、はずだ。
なのになぜだか違和感が拭えない。
水面をしばらく見ていると、フェアリのやってきた方から声が聞こえてきた。
「くそ、どこに行ったんだ!!」
「こっちか!? 早く探し出せ! 夜になるぞ!!」
フェアリは反射的に立ち上がり、泉を抜け再び森へと入っていく。
(今の声はなに? 私を探しているの? どうして……!)
状況がまったく理解できない。
今の声の主は味方なのだろうか。ならばなぜ自分は逃げるように森を彷徨っていたのだろうか。
(会いたい人は……多分、あの人たちじゃない)
フェアリはわからないながらも、そう結論づけた。
陽は急速に暮れていく。足元もわずかしか見えなくなり、フェアリの気持ちは焦る。
(どうしよう……はやくこの森を抜けないと……!)
夜は魔物との遭遇率が上がってしまうということを、フェアリは知っていた。
武器はない。魔法など使えない。
ただの子どもが、魔物と対峙して無事でいられるわけがない。
フェアリは泣きそうになるのを堪えながら、今までより急いで歩き始めた。
けれど上がった息で嗅ぎつけられたのか。
グルルルル……ッという声を上げて出てきたのは、二足歩行の狼型の魔物……ウェアウルフだった。
「ひ……っ!」
いまさら息を止めても遅いというのに、肺が空気を拒んでいる。
手も足もどうしようもないほどに震え、立っているのがやっとだ。
見まわすと、ウェアウルフの光る目がフェアリを取り囲んでいるのがわかった。
「誰か……誰かぁ……!」
助けを呼びたいのに、恐怖と疲れで声がまともに出てこない。
呼んだところで、誰かが来てくれるとも思えなかったが。
じりじりと迫り来るウェアウルフ。
フェアリは死を覚悟し、ぎゅっと両手を胸の前で組み合わせて祈った。
その瞬間、一匹のウェアウルフがフェアリへと飛びかかり──
ザンッ! と音がして血飛沫が舞った。
「……え……?」
目を光らせていた魔物たちが、途端に逃げ去っていく。
一匹の絶命したウェアウルフを残して。
「大丈夫ですか」
よく通る、男の優しい声に。
フェアリは安堵して、そのまま気を失った。
◆◇◆◇◆
フェアリが目を覚ますと、窓からは太陽の光が差し込んでいた。
家の中だ。小屋というほどではないが、それほど大きな家ではないことは、部屋の大きさでわかる。
「ここは……」
眩しさに目を細めながら、フェアリは体を起こした。
寝ていたベッドの足元には黒い毛並みの猫がいて、フェアリに気づくと近寄ってくる。
「ねこ、ちゃん……」
手を伸ばして撫でようとすると、するりと逃げられた。
猫はそのままベッドを降りると、ジャンプしてドアノブに前足を掛け、器用に扉を開けて出ていってしまった。
穏やかな日差し。窓の向こう側には草原が広がっていて、森から遠く離れていることがわかる。
ここはどこだろうとぼんやり考えていると、猫が出ていった扉から、軽いノックの音がした。
「失礼しますね」
穏やかな声と共に、肩に黒猫を乗せた男が入ってきた。
「気がつかれたようでよかった」
二十代半ばと思われるその人は背が高く、穏やかでありながらも凛々しい顔つきをしている。
「あなたが助けてくれたのね。ありがとう」
ウェアウルフを倒した男をおぼろげながら覚えていたフェアリは、その顔を見て確信し、お礼を伝えた。
彼はフェアリの言葉に答えることはせず、そっと笑っているだけだったが。
「失礼ですが、名前と年齢はおわかりになりますか」
相手はいい大人だというのに、フェアリ相手に丁寧な言葉を使った。
「私はフェアリ。フェアリ・ムーンヴィーヴ。にじゅう……ええっと、十二歳」
自分の名前と年齢をちゃんと覚えていたことにほっと息を吐いた。
男は一瞬だけ複雑な顔をしたあと、穏やかな声で微笑みを見せる。
「怖かったでしょう……ゆっくり休んでください。食事を持ってきます」
「あ、ありがとう」
「元気になったら、丈の合った服を買いに行きましょうか。他にも不都合があれば、なんでも言ってください」
親切過ぎる男に、フェアリは眉をひそめた。
普通は根掘り葉掘り事情を聞くものではないだろうか。聞かれても他には思い出せないのだから、答えようがないのだが。
裕福そうな暮らしには見えないし、男の身なりも一般庶民のそれだ。道楽で人を助けたとは思えない。なにか思惑があるのだろうか。
フェアリはこれから自分がどうなるのか、怖くて仕方なかった。
「フェアリ様?」
柔らかな声で名前を呼ばれると同時に、心がくすぐられるような感覚が走る。
理解のできぬ感情に、フェアリは不安を募らせて自分を抱きしめた。
「どうして私に“様”をつけるの? どうして親切にしてくれるの? あなたは私を知っているの? 私をどうするつもりなの?」
矢継ぎ早の質問に、男は困ったように眉を下げている。
「そのうちにお話しします。俺もどうするべきか、心が決まっていないので……けれど、フェアリ様の望まぬことは絶対にしませんから。安心してください」
疑問はひとつも解消されなかったが、そのうちにというのだから、いつかは話してくれるのだろう。
(それまで、一緒にいろということ……?)
不審に思いながらも、今ここを出て行けと言われてもどうしていいのかわからない。
とにかく男の素性を知らなければと、フェアリは口を開いた。
「あなたがなにをしている人なのか、聞いてもいい?」
「俺は以前、聖女付きの騎士をしていました。けど色々あって辞めて、今は魔物討伐を請け負って生計を立てています」
男は淀むことなく答えてくれた。
元聖女付きの騎士。道理で強いわけだと納得する。
けれど真偽を見定める術はなく、信用には至らない。
「魔王が封印されて魔物が弱くなったので、今後の需要は減るでしょうけれど」
男が苦笑いすると、彼の肩に乗っていた黒猫がストンと降りた。開けっぱなしの扉からどこかへと消えていく。
気まぐれな黒猫を見送ると、フェアリは改めて男を見上げた。
「えっと、あなたの名前を聞いてなかったわ」
「俺の名前は、ティタニウス・アストラーレです」
「ティ……?」
「はは、好きに呼んでくれていいですよ」
「じゃあ……ティウ」
そう呼ぶと、なぜか端正な顔を歪ませるティタニウス。
春の新緑色をした優しくも悲しい瞳は、フェアリの指輪の宝石と、同じ色をしていた。