03.王太子殿下の婚約者候補に選ばれましたが、私が好きなのは従弟のほうです
【あらすじ】
パン屋の娘ソフィーネ・グラデスは、平民で唯一、王太子殿下の婚約者候補に選ばれた。
女嫌いとされる王太子殿下の婚約者候補は全部で三十人。
彼女たちは数ヶ月間、同じ屋敷での共同生活を強いられることになる。
そこでは婚約者としての立ち振る舞いや所作、品位を求められ、一か月ごとに五人が落とされると言う。
しかしやってきたのはプライドの高い貴族令嬢たちばかり。
平民のソフィーネはただただいびり倒され、彼女たちのワガママに翻弄される。
そんなソフィーネの癒しは、時折やって来る王太子殿下の従弟のステラ公爵だった。
貴族令嬢たちにもまれながらも、健気に頑張るソフィーネの姿にステラ公爵も次第に惹かれていき、王太子殿下の婚約者には選ばれて欲しくないと思うようになる。
早く脱落して欲しいと願うステラ公爵の思いとは裏腹に、なぜかソフィーネは婚約者候補として生き残ってゆくのだった。
(えーと、ちょっと待って。どういうこと?)
ソフィーネ・グラデスは混乱していた。
目の前では高級そうなスーツに身を包んだ老紳士が恭しく頭を下げている。
そしてそんな老紳士が、パン屋の店番をしていた彼女にこう言ったのだ。
「ソフィーネ・グラデス様、おめでとうございます。あなたは王太子殿下の婚約者候補に選ばれました」
混乱なんてものではない、夢か悪夢のどちらかを見ているのではないかとソフィーネは思った。
「あ、あの……。なんのことかよくわからないんですけど……」
「ああ、失礼。わたくし、こういう者です」
そう言って取り出したのは王家の紋章が入った弁護士バッジだった。
ソフィーネは目を丸くする。
「べ、弁護士さん?」
「王家の顧問弁護士をしております、マイヤーと申します」
「王家!?」
それだけでも驚きだった。
平民のソフィーネにとって王家と関りのある人物と会うのは初めてである。
「順を追って説明いたします。まずアーデン・パーミルトン王太子殿下はご存じでありましょうか」
「え、ええ、知ってます。この国の王子様ですもの」
「そのアーデン殿下が婚約者を募集していることも?」
「ええ、新聞で読みました」
アーデン・パーミルトン王太子殿下。
見たことはないが、それはそれは見目麗しい容姿をしているという。
王家主催のパーティーで殿下に好意を寄せている令嬢たちが修羅場ったというのは有名な話だ。
他にも他国のプリンセスが言い寄ってきているという噂も耳にする。
しかし残念なことにアーデン殿下はかなりの女嫌いということも伝わっている。
だから二十五歳になった今でも独り身で、今回の婚約者募集についても裏がありそうな気がしていた。
「実は先日、この近くを殿下が馬車に乗って通りかかったのですが、その時に路上で泣いている子どもにパンを分け与えてるソフィーネ様を見て心打たれたそうです」
「は?」
思わずソフィーネは心からの「は?」を突き付けてしまった。
いや、突き付けざるを得なかった。
「ち、ちょっと待ってください。確かに迷子の子にパンをあげてた覚えはありますけど、まさかそれを見て私を婚約者候補に選んだのですか?」
「さようでございます」
わけがわからなかった。
なんでそれだけのことで婚約者候補に選ばれたのか。
「いやはや、混乱されるのも無理はございません。正直、わたくしどもも『なぜあなた様?』という次第でして……」
だんだん本性を現わして来る老紳士。
どうやら自分を選んだのはアーデン殿下の独断らしい。
とすれば余計にわからない。
女嫌いと言われるアーデン殿下がなぜ自分を婚約者候補に選んだのか。
年齢だって五歳も年下だ。
この差は意外と大きい。
「いろいろとご心配でしょうが、ご安心ください。婚約者候補は全部で三十名ほどおります。その三十名で王家所有の別荘にしばらく滞在していただき、審査を行います。ひと月ごとの審査で五名が脱落。ふた月後にはさらに五名。つまり半年後に残った一人がアーデン殿下の正式な婚約者となられるのです。あなた様がそのまま未来の王妃になるということではございません」
言い方は柔らかいが、要は「お前なんか選ばれやしないから安心しろ」と言ってるようなものだった。
それはそれでホッとするが、なんか釈然としなかった。
「それは……こちらからお断りというのはできないのでしょうか」
「正式なものです。王命と言っても過言ではないでしょう。断ることはできません」
まさに強制拉致監禁だ。
しかし平民のソフィーネは従うしかなかった。
「二日後、またお迎えにあがります。それまでに身支度を整えて置いてください。まあ、最低一か月間の研修合宿のようなものです。あまり重く受け止めないでいただければと思います」
そう言って老紳士は帰って行った。
しかし去り際に「一か月もつかわかりませんがね」と付け加えられたのが気になった。
ソフィーネはすぐに仕入れから帰ってきた両親にそのことを話した。
両親はひどく驚いていたが、
「王太子殿下じきじきに候補に選んでくれたなんてすごいじゃないか!」
「お母さんも鼻が高いわ。自慢の娘ね」
と大喜び。
ソフィーネ自身はずっと両親の経営するこのパン屋で働きたかったのに、まさかこんな横槍が飛んでくるとは思わなかった。
「でもどうしよう……。私が妃になったらお父さんとお母さんのこのパン屋が……」
「はっはっは。そんなに心配するな。その王家の弁護士さんという人も言ってたんだろう? 婚約者候補は三十人いるって。きっとみんな家柄のいいお嬢様たちなんだから、お前が選ばれることはないさ」
「そうよ。ソフィーネちゃんは世界で一番可愛いけど、さすがに婚約者になんて選ばれないから安心して」
二人のデリカシーのない言葉に少しムッとしたが、ソフィーネは「それもそっか」と安心して大好きな両親の懐に抱き着いたのだった。
二日後。
パン屋の前に見事な装飾が施された豪華な馬車が止まった。
何事だ? と近隣の住民も目を丸くする。
中から現れたのは、王家の腕章をつけた一人の男だった。
黒い髪に整った顔。
二十代前半の立っているだけで日の光が差し込むような美丈夫である。
あまりの美しさに多くの道行く夫人が足を止めて顔を赤らめる。
そんな彼女たちに男がニコッとほほ笑みかけると、絶叫が木霊した。
「婚約者候補のソフィーネ・グラデス様。お迎えにあがりました」
男はパン屋の前で膝をついてかしこまった。
するとソフィーネが扉を開けながらおどおどと現れた。
黄色のワンピースに麦わら帽子。
母が父とよくデートをしていた時に着ていた格好である。
もともと服に興味のなかったソフィーネはオシャレな服など持ち合わせてはいなかったため、同じ体型の母から服を譲り受けたのだ。
「ど、どうも……」
緊張しながら現れたソフィーネの手を男は引いて馬車に乗せた。
「じゃあ、お父さん。お母さん。行ってきます」
「気を付けてな」
短い挨拶を交わすソフィーネと両親。
そして馬車はゆっくりと動き出したのだった。
静かに揺れ動く馬車の中でソフィーネは言った。
「さ、さきほどはご挨拶を忘れてしまいまして……。はじめまして、ソフィーネ・グラデスと申します」
たどたどしく挨拶をするソフィーネに男はニコニコしながら答えた。
「はじめまして、可愛らしいお嬢さん。アーデンの従弟のステラです」
「い、いとこ!?」
素っ頓狂な声をあげるソフィーネ。
王太子殿下には兄弟はおらず唯一の血のつながりのある男性は王弟の息子だけである。
つまりはステラと名乗った人物は王位継承権第二位の王子であり、平民はおろか貴族令嬢ですらも気安く声をかけられないほど偉い人だった。
そんな高貴な人物にソフィーネは「あわあわ」と慌てふためきながら麦わら帽子を深くかぶった。
「ももも、申し訳ありませんです! ままま、まさか王族の方が直々にお迎えに来てくださったなんて!」
慌てふためくソフィーネの姿に、ステラは他の貴族令嬢にはない親しみを感じてクスクスと笑った。
「いや、これは僕が君に興味があってお願いしたことだから。でも、なるほど。女嫌いのあの人が君を選んだ理由がなんとなくわかった気がするよ」
「は?」
「けど気を付けて。ここから先は婚約者の座を狙った女たちの戦いだからね。僕は何もしてやれないし、何もしちゃいけないことになってる。自力で勝ち取ってくれ」
「勝ち取ってくれって……」
そもそも婚約者になろうとは思ってないのにという言葉はさすがに失礼かなと思い、ソフィーネは口をつぐんだ。
ステラはそれからもソフィーネが退屈しないようにお城の中の話や、他国での出来事、貴族間の面白話などを楽しく聞かせた。
そして馬車が一軒の大きな屋敷に到着する頃にはソフィーネの緊張はすでに解きほぐれていた。
(この人の婚約者候補だったら頑張れるのに)
そんな不埒なことまで思っていた。
馬車が到着すると先にステラが降りた。
彼の手を取って馬車から降りたソフィーネはギョッとした。
大きな屋敷の前にはすでに大勢の令嬢たちがドレス姿で集まっており、彼女たちは一様にソフィーネを睨みつけていたからだ。
「まあ、見て。あのダッサい格好」
「あれが唯一、平民から選ばれた婚約者候補?」
「顔もスタイルも下の下じゃない」
「しかもステラ様直々のお出迎えですって」
「腹が立ちますわ。平民だからって贔屓しすぎよ」
ヒソヒソ話がヒソヒソ話になっていない。
あえて聞こえるように言っている。
「皆さま、そんなことをおっしゃってはダメよ」
そう言って令嬢たちを窘めたのは純白のドレスに身を包んだ銀髪の女性だった。
「平民であっても彼女も婚約者候補の一人。良きライバルであり、良き仲間だわ。そうでしょう?」
彼女の言葉に令嬢たちはうっとりとしながら「そうでしたわ」と声を合わせた。
「さすがは公爵令嬢レベッカ様。高貴でお美しいのに、みんな平等に扱おうとなさる。素晴らしい方ですわ」
喝采を浴びる銀髪の令嬢は、ゆっくりとソフィーネに近寄ると手を差し伸べた。
「初めまして。レベッカ・モニカと申します」
同年代の友達が少ないソフィーネは、恐る恐る彼女の手を取った。
「は、初めまして、ソフィーネ・グラデスです」
レベッカは握手をしながらそっとソフィーネに近寄ると、耳元で囁いた。
「ふん、平民ごときが図々しい。ここはあなたのような底辺のゴミが来るところではなくてよ? ゴミはゴミらしく地面に這いつくばりながらとっとと消えなさい。いいわね?」
ソフィーネはゾッとした。
隣にいるステラにも聞こえないくらいの声量だった。
彼は何も知らずにニコニコしている。
ここに来てソフィーネは思った。
これはとんでもない魔窟に来てしまったかもしれないと。