25.君を愛することはない、て言いたいんですよね?
【あらすじ】 なし
「ローズ、お前に言っておきたいことがある」
そう言って神妙な顔をした男は、本日よりローズの夫となったグレン・ギルモア伯爵令息。少し癖のある黒い髪をゆるく掻き上げ、露となった濃いブラウンの瞳で、ローズを真っ直ぐに見つめている。
ベッドの端に座るローズは、赤い薔薇の花びらを摘んだまま彼に目を向けた。これから初夜だというのに、薄い唇から発せられた彼の声は、随分と硬くて低い。眉間のシワといい、とてもじゃないが昼間に式を挙げたばかりの新妻に向けるものではない。
純白のシーツを彩るたくさんの赤い花びら。背後に広がるロマンチックな光景との落差がひどい、とローズは脳内で独り言ちる。
「今日から俺たちは夫婦になる。だがその前に――――誤解のないように、はっきり告げておこうと思う」
グレンは整った顔立ちをしているが、線の細い美形ではなく、凛々しく野性味のある風貌をしている。
加えて騎士として鍛えてあるので体格も良く、目つきも鋭い。こうして重々しい態度を取られると、この国の第三王女であるローズですら怯みそうな威圧感がある。
「……なにかしら」
つんと澄まして平静を装っているけれど、ローズの心臓はバクバクと大きな音を立てていた。
――もしかして、グレンは初夜をする気がないのだろうか。
近頃、巷ではとある恋愛小説が流行っている。政略結婚をした夫婦が、それぞれ別の愛に生きようと足掻くお話だ。数多の困難を乗り越え、真に愛する人と結ばれるストーリィは、真逆の人生を歩む貴族の間で憧れの的となった。
魅力的な登場人物に、意外性のあるストーリィ。心ときめく恋愛模様に、友人に勧められて読んだローズもすっかり夢中になった。
中でも衝撃的なのが開幕のシーンで、初夜の床で夫が妻に対し『君を愛することはない』と告げるのだ。
そのセリフに感化されたのか、初夜の床で妻を拒否する夫が続出しているという。
柔らかい花弁が、ローズの指先でぐにゃりと形を変える。
(グレンも、わたくしを拒否したいのね……)
彼との結婚は、王家側の主導で結ばれた完全なる政略結婚である。
夫であるグレンはローズのことを愛してなどいない。
婚約が決まった時もグレンは喜ぶどころかとても不服そうに眉をしかめ、おまけに舌打ちまでされたのだ。
国一番の美女と名高いローズに対して、あんまりな仕打ちである。
まあ、ローズの態度も決して良いものではないのだが。
『残念だったな。相手が俺みたいなやつで』
『本当に何の因果かしらね。貴方みたいな失礼な人と毎日顔を合わせることになるなんて、気が滅入るわ』
『俺だってうんざりだ。そんなに嫌なら、陛下に取り消すよう進言でもしろよ。溺愛しているお前の言うことなら聞くんじゃないか?』
『……そんなことは出来ないわ。わたくしは王女だもの。貴方との婚姻が国の為になると父が決めたのなら、わたくしはそれに従うまでよ』
『ふん。物分かりの良いお姫様だな』
……反省すべき点は多大にあると分かっている。気が滅入るなど、嘘でも言ってはいけない言葉である。
(うう……。分かっているんだけど、つい、つるつるっと余計なことまで言っちゃうのよね)
本当はグレンが好きだと、この結婚がとても嬉しいのだと頬を染めて言うことができれば、グレンももう少し柔らかい態度を取ってくれるのだろうか。
けれどはっきり拒絶されるのが怖くて、ツンとした態度が崩せない。いまさら可愛い子ぶっても、馬鹿にされるのではという懸念もある。
本心を晒した後で揶揄われるなどローズのプライドが許さない。乙女心を踏みにじられてぺしゃんこにされるくらいなら、可愛げのない女だと思われている方がまだマシだ。
結果としてローズはローズのままだった。
ちっとも可愛くない婚約者。
だから余計に嫌がられてしまう。まったく悪循環である。
しかし、嫌われていようがローズはグレンの婚約者なのだ。
向こうに気持ちはなくても、いずれグレンはローズの夫となる。
だからこのままでも問題ない……そう胡坐をかいて、関係を改善しようとしなかった罰が当たったのだろう。
はっきりとした拒絶を、初夜という大事な場面で受けることになってしまった。
(一瞬でも、愛されているのではと期待したわたくしが馬鹿だったわ。……2度と思い上がらないようにしなくっちゃ)
初夜の支度を終え、身を固くしながらこの部屋に入ったローズは、予想外すぎる光景にポッと頬を赤らめた。なぜなら、ベッドの上に真っ赤な薔薇の花びらを散らすという、乙女心をくすぐるような演出がされていたからだ。
枕元にはご丁寧に赤い薔薇の花束まで置かれていた。数は4本。花言葉は確か、死ぬまで気持ちは変わりません。
ローズは胸に両手を当てて、うっと小さく呻いた。期待値ゼロからの、夢のような歓待。破壊力は抜群である。
これはグレンの意志じゃない。
伯爵家の使用人たちが気を利かせたのだと、冷静に考えたら分かることなのに。
寝台から漂うかぐわしい薔薇の匂いに当てられて、ローズは自分が彼に愛されているという――――甘い錯覚を起こしてしまったのだ。
喜んだのは束の間で、それからいつまで経ってもグレンは寝室にやって来なかった。長い時間をぽつんと一人で待つうちに、頬の熱はすっかり冷めた。
ようやくグレンが現れたのは、日付が変わろうとする寸前だ。
こんなに放置されていて、愛されているわけがない。
そもそも今までの経緯を鑑みて、ありえないと思うべきだったのだ。この結婚をグレンが歓迎している様子は一度もなかったのだから。
「俺はお前を……」
グレンは、彼にしては珍しく言いにくそうに口ごもっている。
頬が赤らんで見えるのだが、もしや昼間に飲んだワインが抜けきっていないのだろうか。
披露宴では沢山の参列者が挨拶に来てくれた。その時に勧められた祝いの酒を、アルコールの苦手なローズの分までグレンが飲み干してくれたこと思い出す。
「俺はお前を、あ、愛――――……」
――――俺はお前を愛することはない。そう言いたいのよね?
元より愛されるとは思っていない。だが、改めて現実として突き付けられると、胸が軋む。
4本の薔薇の意味は、死ぬまで気持ちは変わらない。
(わたくしは……永遠に愛されないんだわ)
恐らくあの花束だけは、グレンの意思で用意されたものなのだ。
ローズは絶望的な気持ちで目の前の夫を見つめた。
「くそ、言い辛ぇな……」
グレンが口元を押さえながら視線をふいっと逸らした。
ローズは愛せないが、正直に告げるのは気が引けるのだろう。
顔に似合わず、グレンは優しいから。
ふっとローズは諦観の笑みを浮かべた。
「無理して言わなくてもいいわ。わたくしも貴方の気持ちくらい分かっているもの」
「は? まさか……」
「ふん、馬鹿にしないで頂戴。貴方とは6年も学園で一緒だったのよ。貴方がわたくしをどう思っているか、気付かない方がおかしいわ」
「じゃあ、お前は全部分かった上でこの結婚を承知したというのか?」
「ええそうよ」
「言っておくが、俺はお前が望むような結婚生活は送らせてやれない。それも分かっているんだな?」
「…………分かっているわ」
「そうか――――そうなのか。それならもう、遠慮はしない」
なにかを吹っ切れたような顔をして、グレンがベッドに乗り上げた。
ローズもひとまずホッとした。どうやら彼は、今夜は夫婦の寝室で過ごすつもりのようだ。件の小説では、新妻に愛することはないと告げた後、夫は屋敷に匿っている愛人の元で一夜を過ごす。初夜にそれはあまりにも惨めだし、使用人の手前もある。
(ホッとしたら、眠くなっちゃった)
朝早くから行われた結婚式にローズは疲れきっていた。これからグレンは眠るのだろう。ローズも寝ようと腰を浮かせる。好きな人と同じベッドというドキドキのシチュエーションだが、なにぶん広い寝台だ。端と端に離れて眠れば、お互い触れることもない。
(……いえ、むしろ秒で眠れる自信があるわ。まぶたが重いもの……。愛されないのは悲しいけれど、寝かせてもらえるのは正直有り難いわね)
昨夜も緊張のあまり碌に眠れていないのだ。疲労はピークに達している。
グレンをチラリと横目で見ながら、ローズはベッドの上に移動した。あれ、と不思議に思う。彼はなぜかベッドの真ん中に陣取っていて、こちらをじっと見つめているのだ。
もぞもぞと落ち着かない気分になる。もう少し端に寄ってくれないかしら、そんなことを思いながらローズも極力端に寄ろうとして――――力強い腕にぐいと身体を引き寄せられた。
熱のこもるブラウンの瞳に、呆気に取られるローズが写る。
「なに驚いてんだよ。まさかゆっくり眠れるとでも思っていたのか?」
グレンが愉しそうに口の端を持ち上げた。
話が違う。抗議の声は、ベッドに押し倒された衝撃で喉の奥へと引っ込んだ。
顔を寄せて息を吹きかけてくるグレンに、ローズの白い頬がじわじわと薔薇色に染まっていく。
(ちょっと待ちなさいよ。愛さないのではなかったの!?)
ローズの瞳に困惑が走る。なぜか、普通に…………初夜が始まっていた。




