20.知識を欲しがる美女と、禁忌を破り知識を持ってしまった少年
【あらすじ】
とある森に化け物が住んでいました。
それは恐ろしいモノと伝えられていたのです。
そして森の近くには一つの村がありました。
そこはなんとも不思議なルールがあり、知識を持つことを禁止されているのです。
生きる為に必要な知識を持つなという事ではありません。ただ狩猟生活や料理といったモノではなく、世界の事を調べる。世界に対する知識を持つことを禁じられているのです。
そしてそのルールは長い間守られていました。
しかしある少年が我慢できず知識を手に入れてしまいます。
そこからでした。森に住む化け物と少年が繋がりを持つ様になったのは。
知識を欲する化け物……美女と、禁忌を破り未知の知識を持ってしまった少年の同棲生活が始まることになったのは。
雨雲のせいで月の光さえ通さない暗い森。
灯りを持たずに入ってしまえばすぐに迷子になる深い闇を抱えた森に、大人が三人ほど小走りしていた。
ピクニックの気分ではなさそう。
そう思えるのは彼らは鍛えられたその肉体には似合わない、焦った顔で小走りしていたからだ。
普通ではない状態だからか。つまりそれは大の三人の男が揃って運んでいるそれと関係があるのだろうか?
「ここでいい。早く帰るぞ!」
「でもよアニキ。大丈夫なのかこんな所に居て」
リーダーらしき男が指示を出せば残りの二人は布に包まれたそれを乱雑に捨てた。ゴミでも捨てるような雑さである。
だが元から彼らが村でいつもそんな風にゴミを捨てているわけじゃない。この森にいる化け物に対しての恐怖と焦りがあるからだ。
ここには村に伝わる化け物がいる。
いつから森に住んでいるかは分からない。村ができる前からと言われているし、千年という人間では途方も付かないほど遥か昔とも言われている。
重要なのはそこではない。
とにかくその化け物は真っ赤な女性の様な見た目をしていて、人を食べる言い伝えがある事だ。
人を食べる、人の姿をしたナニカ。
それが男達が恐怖している原因だった。
「いやてかなんでガキをここに置いていくんだ。いくらなんでも──」
「うるせぇ! こいつは禁忌を破っちまった。なら村の掟に従ってここに捨てるしかないんだよっ! そうしなきゃあ──!!」
『──き、タのね』
「ひっ!?」
森は大雨と雷でうるさいというのに。女性の声はよく聞こえる。あぁ、遠くに居るはずなのにすぐ隣で耳に声をかけられた様な感触がある。
甘くてとろける様な声。魔法を思わせるほど綺麗な声。だがそれを聞いた男達が思い浮かべたのは全くの真逆。
森の暗闇よりももっと暗くて深い黒の色。死そのもの。
「に、逃げろっ!?」
さっきまで口喧嘩していたと思えないほどの揃いっぷり。男三人は子供にも化け物にも目もくれず来た道を全力で走って帰っていった。
残るのは布に包まれた死にかけの人間と、暗い森の奥に潜む長い髪の毛の女性だけ。
「……」
視力のいい目でも姿が見えなくなるまで観察し続けた後、女性は男達から興味を失った様に視線を下に逸らした。
「……あ、め」
数秒だけ無言で佇んでいた彼女は真っ赤な傘を指す。雨は地面に恵みをもたらすが、空から降ってくる水が冷たい事には変わらない。森に住む化け物と言われている彼女でも寒いのは嫌いだった。
雨は嫌い。だが今はそれ以上に興味をそそられる物が目の前にある。男達が置いていった布に包まれた何かが。
静かに布へ近づく。草を踏む音も足音もせずにただ無音で。幽霊の様に存在自体がアヤフヤな不気味さを醸しながら布に手を触れる。
「……あ、ア。たべもの……だ」
慣れていない口調で見た物の正体を口からこぼす。
布から出てきたのは子供だった。だが身体中が傷だらけで、正直このままだと生きていけないだろうと確信する程にはひどい具合だった。
具体的には大人複数から何度も蹴られて出来た傷。
つまりこれは生贄。
森の近くにある村が差し出してきた捧げ物だ。
死人の様な白い肌の手でゆっくりと少年を触る。丁寧に何かを感じ取る様に時間をかけて探っていった。肩の部分から手、胸、そして喉や手首を。
感じ取った。小さいながらも鼓動を。息をする為の胸の動きを。喉の奥から感じ取れる空気の流動を。
生きている。
微弱ながらも生きている。
それでいい。死体よりも死にかけでも命の灯火を持つ方が食べ応えがあるからだ。
化け物は歓喜した。久々の食事だと。これでまた知恵が身に付けられると。
そうして少女だった口から何十本も生えた長くて尖っている牙を生やしながら少年へと顔を近づける。
もう女性らしき物の口と少年の顔は目と鼻の先。一秒も経てば少年の首から上はパクリと、胴体とお別れする事になるだろう。
女性らしき物は有り難さを感じ取りながら、静かに捧げられた供物に感謝しながら、命を頂戴しようとして──
「誰ですか……?」
「────」
止まった。
牙が彼の肌に触れるすぐ前で。
少年は体は一切動かさず、いや動けないと言った方が正しいだろう。ただ瞳を失った白い目を開いた。
瞳孔から黒い輝きが消えて白一色になった目を。
「お、こし……ちゃった?」
「え……」
化け物は美女に戻っている。
口から何十本も牙を生やした化け物ではなく、街に居れば十人中十人は振り返る美女だ。
どこかぎこちない口調。でも儚げな表情をしていてそれが保護欲をそそる様な。言い換えれば魔力とも言える程の魅力を持ち合わせた美女が少年の前に居た。
少年は下を向いたままだったが。
(この子、目が……う、うん。見えない、じゃなくて、色が……)
知識を司る彼女は目を見ただけで少年がどんな病に侵されているのか察した。彼は色が見えない。
それが病気と呼ばれる細菌や、脳の破損、または目の部位がどこかおかしくなった類か。それとも魔法的な物なのかまでは分からないが、色が見えない。それだけは確信できた。
「わ、たし……みえる?」
「……はい。見えます……………………………………………ええと、ここは森かな?」
やっぱりそうだ。
今は夜だし雨雲のせいでそれなりに暗いが、少年のすぐ隣にある木を目視する事はできるし、周りに何本もある木だって確認する事はできる。
でも周りを何度も見て、凝視する仕草を何度もしてから森かなと言うのはつまりそういう事だ。
「知恵の、禁忌の森ですか。ここは」
「そ、う。……ねぇ。気をわるくした、らゴメン」
こう言う人の失陥を聞くのは失礼だと彼女は知っている。人間ではない化け物でも、気になった事は調べずにはいられない性格の彼女は人間の事をそれなりに知っていた。
でも興味心に負けてしまった。
だから聞く。
「あ、なた……色、みえない?」
「……………………はい」
周りが森なのかはっきりさせる為にこっちを一向に見ない彼は、結局女性へ振り向く事が無いまま答えた。
「そう……ご、めん」
「いいですよ。村で興味本位で聞かれた事は何度もありましたから。それにもっとひどい事も……いえ、ごめんなさい。なんでもないです」
先程から異常な状況に置かれているのに少年は冷静だ。見栄っ張りをしているわけじゃない。声のトーンもブレが無いし、手の動きを詳細に観察しても震えが一切ない。
女性はどうしようかと悩んでいた。
今までの生贄は死体か気を失っていた人間だった。
だから食べて良い訳では無いと彼女は知っているが、少なくとも食べないと生きていけない彼女は、生贄が恐怖に怯える事なく死ねる事を気にしていた。
だが目の前の少年は起きてしまった。物凄く冷静に話しているから、もしかすると恐怖は無いかもしれないが食べられる光景を見せるのは良くない。
どうしようどうしよう。
女性は無言になって心の中で焦る。
久々の食事。良心が意識のある彼を食べるのは良くないと訴えるが、これ以上我慢するのは己自身、そして村の人達にも良くない。この少年をどうしようかと悩んでいたら。
「あの、貴方は禁忌の魔女ですか?」
「……え」
少年の方から問いかけられた。
見破られた。なんで。確かに森の中で女の化け物が居るのは伝えられている。でも美女とは伝えられていない。ギリギリ女性だと感じられる化け物と伝えられているのだ。
自分で言うのもアレだが、女性はかなり容姿に自信がある。知識を持って学習して人間が美しいと思える様な姿に変えている。
普通なら気付けるはずがない。
生きる為の必要最低限の知識しか持つ事を許されないあの村の人なら気付けるはずがない。
なんで。
「僕は禁忌を破ったんです。知識を持ってしまったんです」
「────」
彼女の心の中で広がっていた動揺は少年の言葉による納得で鎮静化された。理解した。
この世界のルールを破っていたのだこの少年は。そんな異常な事が出来るならさっきまでのことも理解できる。
つまりこの子は今まで食べてきた生贄とは違う。
未知の知識を持っている事になる。
「あ、あぁ……」
食べたい食べたい食べたい食べたいタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイ……
興味心が溢れ出てしまう。
理性という籠を破壊して少年に噛み付くほどに勢いよく飛び出してくる。
我慢できない。
その知識を喰らいたい。
おぞましい気持ちが溢れれば溢れるほど、人の形を保っていた彼女は人の形をしていない伝承通りの化け物に姿を変えそうになる。
我慢できない。
もう食べよう。そう姿を変えようとして
少年が初めてこちらを見上げた。
なんで見上げたかは分からなかった。
周りが森だとようやく認知したからか、それともタイミングが変な風に噛み合ったからか。
化け物に変わる直前の私を見て少年はこう言った。
「紅くて……綺麗」
「────え?」
でまかせじゃない。
初めて美しいものを見たと少年の瞳がそう答えている。普通の人と目が違うはずなのに彼女は理解してしまった。
食べるか? 食べないか?
イレギュラーにイレギュラーが重なって彼女の心の中はその二つの選択肢でいっぱいになった。
少年は見えた。
紅いパラソルを持っている、紅い髪の毛と紅い目をした女性を。
人の姿を保ったまま数分。
少年は感動で固まり、女性は驚きで固まった数分間。
その沈黙を破ったのは女性の方だった。
「ねえ……知識に興味ある?」
「あ、ええと、はい」
「なら、私の家まで来ない? 本が沢山あるよ」
出来るだけ怖がらせない様に。精一杯、優しい笑顔と声を作って恐る恐る聞く。
それが魔女と呼ばれた彼女と禁忌を破った少年の同棲生活の始まりだった。