19.長年の恋を諦められはしないので。覚悟してくださいませね、騎士団長様?
【あらすじ】 なし
幼き日に抱いた夢がある。
『わたし、ノービルさまとけっこんする!』
『あー、六歳でプロポーズはちょっと早いんじゃねえかなあ』
当時は『年齢』という壁に阻まれたけれど、あれから十年。今日までの日数を何度数えたかわからない。待つのも、根回しを試みるのも、すべて私の十六歳の誕生日である今日までだ。
乗っていた馬車がロッテン子爵家の門の前に止まる。ミラー公爵家と違って門番はいない。使用人が御用聞きに出てくるのも待てず、一緒に乗っていた執事が先に降りるよりも前に、馬車を急いで降りた。ドレスの裾が段差をこするのも構わずに、門の正面に歩み出る。
「フィアマお嬢様、お待ちください。公爵家の家名に恥じぬ振るまいをなさいませ」
執事の小言は黙殺した。あとでお父様に言いつけられるかもしれないけれど、問題ない。お父様なら攻略済だ。
「ごめんくださいませ!」
門の前で声を張り上げる。門から屋敷まで、うちほどではないにせよ距離がある。私の声が届いたかどうかはわからない。でも貴族の馬車が門の前で止まったのを目にすれば、使用人の一人くらいは出てくるはずだ。
「フィアマお嬢様、わたくしが先方のご都合を伺ってまいりますので、どうか馬車でお待ちいただけませんか。そもそも事前予告もなく火急の用もなく訪問するというのは、礼儀に欠ける行いであると、馬車の中で申し上げたとおりでありまして」
「黙りなさい、セバスチャン」
「はあ……」
目の前で閉じられている門の枠には、騎士の家系らしい剣と盾をモチーフとした紋様が描かれている。華美な装飾はない。格子状の門の隙間から本邸の扉は見えていたが、まだ固く閉ざされていた。
早く誰か出てきてほしい。今すぐ、あの人に会いたい。
家の主が今日は休暇だということも、休みの日はだいたい家にいることも知っている。いっそ門をこじ開けて入ってやろうか。そんなことを考え始めたとき、レンガ造りの垣根の向こうで、門に近づいてくる足音がした。
「無作法で悪いが、家人には出てもらっていてね。一体どちらさまで――」
「ノービル様!」
彼の姿を見るなり、つい叫んでしまった。男性の中でも低く心地よく響く声。高身長かつ筋肉質であるがゆえに大柄に見えるお姿。精悍なお顔に生えた無精ひげもうるわしい。額に浮かぶ汗も、少し開いたシャツから覗く胸毛も、すべてが色っぽい。私を見て目を丸くした表情だって素敵だ。
「フィアマ嬢?」
「はい、フィアマです。事前の便りもなく突然の訪問、失礼いたします。入れていただけないでしょうか?」
スカートのすそをつまんで、淑女の礼。門が開くまでは待つ。十年に比べたら一瞬だ。
「ああ、ちょっと待ってろ。今日はどうした、親父さんになにかあったか?」
ノービル様が鍵を出してくれて、ようやく門が開いた瞬間、私は地を蹴った。愛しい人に抱きつくために。
「お久しぶりでございます!」
「おわっ!?」
ノービル様の腰に手を回して、胸元に顔をうずめる。少し湿っていて、汗の香りがした。背後で執事が「はしたないことはなさいますな!」と怒鳴っているけれど無視しよう。ノービル様が一歩身を引いたので、私も前に出て体勢を保った。
「待て待て待て、なにがなんだかわからんが、まず離れろ。もう子どもじゃないだろう。あと俺は稽古中だったから汗くさい」
「香りをたっぷり吸ってもよろしくて?」
「吸うなッ! とにかく離れろ!」
もっとくっついていたかったのに、力づくで腕をはがされる。でも、二十九歳にして王立騎士団の団長をつとめる彼の力強さに惚れなおした。彼に自由に求愛できる日をどれだけ待ち望んでいたことか。
「で、フィアマ嬢。今日はいったいなんの用だ?」
「ノービル様に求婚にまいりましたの」
「は?」
彼の怪訝な視線を、私は笑顔で受け止めた。眉をぴくりと動かしたノービル様は、筋張った大きな手で己の目をおおった。
「あー……悪い。急に耳が遠くなったみたいで。なんだって?」
「ノービル様に求婚にうかがいました」
「………、来てもらって早々で悪いが、ちょっと医者に行ってくる。耳の問題だといいんだが」
「現実を見てください、ノービル様。フィアマが、ノービル様に、結婚を、申し込みに来ました」
目をおおった体勢で固まっていたノービル様は、不意にパチッと指を鳴らし、右手の人差し指を向けてくる。
「わかった。医者が必要なのはおまえさんだ、フィアマ嬢」
「私は正常です。幼き日、誘拐されたところを助けていただいたあのときから、ノービル様と結婚しようと心に決めておりましたの」
ノービル様に助けていただいたときのことを思い出すだけで、いまだに胸も頬も熱くなる。ほうと息を吐き、頬に手を当てた。
一方でノービル様は眉間にシワを寄せ、何度もまばたきをくり返す。それから視線を私の後ろに移動させた。振り返ってみれば、目を伏せた執事が知らん顔で立っている。
ノービル様は私に視線を戻し、大きなため息をついた。
「フィアマ嬢。おまえさん、その器量と能力で、皇太子妃の筆頭候補だって話じゃないか。こんな剣しか能のない、今年三十のおっさんに嫁ぐような器でも歳でもないだろ? 親父さんも許さんだろうよ」
「あら。お父様には先月、やっとノービル様に求婚することを認めていただきましたわ。それを受けて、私は皇太子妃候補からは降りると王家に通達済です」
「嘘だろ、あの親父さんが折れたのか!?」
ぽかんと口を開けたノービル様に、笑みを返す。家柄至上主義で、私を皇太子に嫁がせようとやっきになっていたお父様を説得するのは大変だった。十年かけてようやく勝ち取った了承。撤回されては困ると、証書まで作ってある。
「ええ。十年かけて、手段を選ばずあの手この手で説得いたしました」
「まさかとは思うが、親父さんが会うたびやつれていったのは」
「心労と胃炎とその他もろもろでしょうね。お父様もお可哀想に……でも、大丈夫ですわ。私たちの結婚を認めてくださったことで、血尿も治りましたし。今はツヤッツヤですわ」
「どう聞いても不調の原因はおまえさんなんだが」
呆れたような視線は、笑顔で流しておく。今日はお父様の話なんてどうでもいいのだ。
「ノービル様に奥様も婚約者もおられないことは存じておりますし、親しい女性がいらっしゃらないことも把握しています。さあ、私と結婚いたしましょう」
「せっかくの申し出だが、断らせてもらう」
「あら、どうしてですか?」
初手で断られることくらいは想定内。この質問は疑問ではなく確認だ。私の予想と一致するかどうかの。
「俺はもうじき三十だ。十四歳差だぞ、ほぼ倍だ。悪いこと言わんからやめておけ」
「それで?」
「それで……? 王立騎士団団長と言えば多少聞こえはいいが、領地もないし、剣を握れなくなれば途端に収入がなくなる家だ。使用人も最低限しか雇ってないし、由緒正しきミラー公爵家のお嬢さんなんか養えねえよ」
「終わりですか?」
「いや……皇太子妃候補を辞退したっつっても、通達だけで合意じゃねえんだろ? 皇太子はおまえさんにベタ惚れだって聞いたぞ。許可されるわけないだろ」
「からの?」
「なんなんだよさっきから。断る理由なんざ十分すぎるだろうが」
ノービル様は眉を吊り上げたけれど、私は笑みが浮かんでくるのを抑えられない。想定外はなかった。――なら、勝ち目はある。
「理解はいたしました。ですが、長年の恋を諦められもしないので――勝負をいたしましょう? ノービル様が私に惚れれば私の勝ち」
「俺が惚れなかったら?」
「どちらかが死ぬまで試合続行ですわ」
にこやかな表情を浮かべ、頬に手を当てる。ノービル様は面倒くさそうに眉を寄せ、大きなため息を吐き出した。
「期限を決めろ。俺の気は長くない。長くても一年だ」
「あら。今この場で結婚してくだされば、今終わりましてよ。セバスチャン」
黙って立っていた執事を振り返ると、彼は後ろ手に持っていた台紙をさっと前に出す。その台紙を手で示した。
「このとおり、結婚誓約書なら持ってきましたわ」
「なにを持ってきてるんだ」
「もちろん私の記入は終えております。さあ、気前よく一筆」
「書くかッ」
ふふ。打てば響く、会話の応酬のなんと楽しいことか。私は口元に手を当ててから、ほんの少し頭を横に傾ける。
「勝つのは私でしてよ、ノービル様」
今日の訪問なんて、ただの宣戦布告。十年かけて練った、ノービル様攻略作戦はここからだ。どう出てくるか読みきれない皇太子もいるし、ジョーカーもエースも惜しむ気はない。まずは最初の一手といこう。
「そうそう、言い忘れていました。今日は求婚だけでなく、預かり物のお手紙を渡そうと思っていたのです」
「ほう」
執事に持たせていた招待状をそっと差し出すと、それに目を落としたノービル様のお顔が嫌そうに歪む。ノービル様の反応に満足し、私はにこりと笑みを広げた。
「王女殿下から、お茶会の招待状です。まさか、欠席なんておっしゃいませんよね?」