18.コソ泥令嬢が皇帝陛下の初恋を盗んだら
【あらすじ】
一見すれば人形のように美しい伯爵令嬢ミリア・フォークロスは、陰ながら社交界のコソ泥と呼ばれている。
没落寸前の伯爵家が養女として招き入れただけの元貧民の娘である彼女は、パーティーの度に次々と他家のものを秘密裏に頂戴するのが仕事。
嫌われ者になりながらも決して証拠を残さず、可憐な令嬢として振る舞い続けるミリアはある日、とんでもないものを盗めと命じられた。
依頼内容は、皇帝陛下の初恋。しかし相手は冷酷非道の血まみれ皇帝という物騒な名を持っていた。
命を奪われることなく、最愛の座を奪い取ることができるのか――?
コソ泥令嬢ミリアの挑戦が幕を開ける。
――伯爵令嬢ミリア・フォークロスは、陰ながら社交界のコソ泥と呼ばれている。
ふんわりとした淡いブロンドの髪、宝玉と見紛うほどに輝かしい青の瞳。
彼女が微笑みを見せるだけで男たちは見惚れ、令嬢や婦人さえ目を奪われる。人形のようだと称される完璧な美貌を持ちながら悪名が轟いたのは、ミリアの行く先々で小さな……とは決して呼べない事件が起き続けているから。
呼び名が怪盗ではなくコソ泥なのは、手口が綺麗とは言えない故である。
たとえば、彼女主催の茶会にて、公爵家の令嬢が高価なアクセサリーを失くした。
たとえば、彼女が参加したパーティーで、大富豪所有の宝石が奪われた。
彼女の友人の令嬢の家では不正の証拠が盗まれ、大事になった。
ミリアは決して証拠を残さない。問い詰められても「存じ上げませんわ……」と困った顔を見せるだけだ。
しかしいつしか公然の事実となっていた。
「フォークロス伯爵家も落ちぶれたものですね。素行の悪い庶子を処分せず放置するだなんて」
「ミリア嬢は観賞用だよな」
「関わったらどんな目に遭うことやら……」
社交界に赴く度に陰口を耳にして。
当のミリアは、口さがない噂に笑顔で耐えるおとなしい令嬢を演じながら――内心ではなんとも思っていなかった。
――ヒソヒソ話しかできないわけ? 一人くらい真っ向から言ってきてもいいのにね。
ミリアがコソ泥というのは紛れもない事実。
陰口しか能のない連中に対して、『彼女は本当は心優しいんだ』なんて言う男もいるけれども、色香に惑わされただけの愚か者でしかないと思う。
「あ、そうだ」
そんなことよりも、頼まれたものを早く盗まなくては。
パーティー会場をぐるりと見回して、小さな花が生けられた壺を見つける。人の目が向いていない時を狙って、壺に近寄ってこっそりと持ち上げた。
あとはドレスの中に隠して、両脚でぎゅっと挟むだけ。それでもう外からはわからなくなる。乙女の衣服を捲り上げるような無礼者は、ここにはいないのだ。
――防犯意識が低いと言うか治安がいいと言うか。貧民街とは比べもんにならないわ。スられて当然よ。
目的は達成したことだし、適当なところで帰るとしよう。
未だ誰も壺の盗難に気づいていないのを見てミリアは、本当に馬鹿ね、と口元を歪ませるのだった。
ミリアの仕事は他家の宝物をくすねること。
依頼主のフォークロス伯の望み通りに、あらゆる盗みをこなしてきた。
領地運営の失敗、農作物の不作、そして嫁がせて金にするはずだった娘の病死。
色々と重なって落ちぶれた伯爵家には、どうしても金になるものが必要だった。やりくりしてどうにかなる段階を通り越していたので。
しかし安値で雇える人間は大して役に立たない。そこでフォークロス伯は思いつく。貧民ならば盗みが得意な奴がごまんといるのではないか、と。
そこで選ばれたのがミリア。貧民街で凄腕と有名だった、当時は名もない孤児のコソ泥である。
ミリアと名付けられ、フォークロス伯ととある侍女との間に生まれた庶子という設定で養女として引き取られるまで、それほど時間はかからなかった。
淑女に見せかけるために受けさせられた教育は窮屈だったが、報酬に豪華な暮らしを与えられているのだから何も文句はない。
自分は間違いなく運がいいとミリアは思っていた。貧民街で生き残れたのも、こうして伯爵令嬢の肩書を持てたのも全部全部。
だから想定外だった。もしかしたらこの、至高のコソ泥生活が終わるかも知れないくらいの無理難題を押し付けられることになるなんて。
「ミリア、お前に次なる依頼だ。皇帝陛下の初恋を奪ってこい」
「承りまし…………、いや、は?」
宝石とか指輪とか、高価な壺とか。
今まで色々なものを盗めと命じられてきたが、こんな具体的じゃないものを指定されるのは初めてで、ぽかんとしてしまった。
しかも、初恋。皇帝陛下の、初恋。
「ハリエット・ペリン公爵令嬢が皇妃に収まるとなると都合が悪い。今は亡き我が娘マリアは皇帝陛下の心を奪えなかったが、お前であれば可能だろう? 妃になれずとも、最愛の座を奪え」
――無理でしょ。
冷酷非道の血まみれ皇帝。
数々の戦場を紅く染め、皇家に楯突く者あらば容赦なく処断してきた実績からそう呼ばれ、恐れられる男に取り入るなんて、できっこない。
「少々危険過ぎるのでは? 相応の対価があるならまだしも……」
「皇帝の最愛となり、皇家からフォークロス伯爵家への財力支援を得られれば、お前はもう盗みをせずに豪遊できる」
なるほど、条件としては悪くないのだろう。
けれど――。
「わたしとしては今のコソ泥生活で満足していますの。皇帝陛下の最愛だなんて畏れ多いもの、とてもとても」
ここ数年ですっかり板についた淑女然とした笑みを浮かべ、それ以上の条件を提示しなければ動かないと言外に示す。
「皇家の者として宮殿に住まうことになる。それほど己のあり方に誇りを持つなら、秘宝の一つや二つ盗んで好きにしても構わん」
「……皇家の、秘宝」
秘宝と聞いて、ミリアは思わず目を輝かせてしまう。
正体不明と有名なそれは、太古の魔石だとか、老いてもなお美しさを失わない魔道具だとか言われている。
たかがコソ泥が盗んでいい代物ではないからと狙ったことすらなかったけれども、それが手に入れられる可能性があるとしたら興味を抱かずにはいられなかったのだ。
それにしても、さすがに皇帝の傍に赴くのは……。
「もしそれでも嫌だと言い張るのであれば、力づくでも頷かせることになるが」
とうとう脅迫ときたか。
ミリアとフォークロス伯は実質契約関係にあるが、どうしても身分の問題でフォークロス伯の方が有利。監禁でもされてしまえばミリアの心身などあっという間にズタズタにされてしまうだろう。これはそういう脅しだ。
チッと舌打ちしそうになるのをこらえて、スカートの裾を摘んで頭を下げた。
下げるしかなかった。
「承りました」
皇帝陛下は滅多に社交界へ現れない。
正式な行儀や祝賀祭がある時は別だが、ほとんど誰とも言葉を交わすことなく消えてしまうのである。
だから第一の問題は、皇帝陛下といかに接触するか。
偶然を装って出くわすのは無理そうだ。考えに考えて出した結論は、城の中に入り込める立場、すなわち使用人になるという方法だった。
下働きは着飾ることを許されないので侍女がいい。
侍女にはそれなりの教養やマナーが求められる。ミリアは最低限のお辞儀と挨拶の口上、あとは微笑みくらいしかできないが……。
「腐っても伯爵の娘って立場と美貌のおかげで簡単だったわねぇ。ほんとチョロい」
たおやかに微笑んでいるだけで執事長からぜひに侍女にと推され侍女長からも認められてしまうのだから、今の自分の美貌が怖いくらいだ。
皇帝も同じようにコロッと騙されてくれば一番いい。というか、騙されてくれないと困る。
「でも社交界にいる美人のお姉様がたは見向きもされないわけで……。皇帝の好みが全ッ然わかんないのよね」
二十歳になっても婚約者、さらには愛人さえ作らず、世継ぎはどうするつもりかと囁かれるくらいだ。
諸事情でハリエット・ペリン公爵令嬢の婚約が解消されたことにより、彼女が皇妃になるのではなかろうかという憶測が広がっているが、皇帝に婚姻への興味があるとは思えないし。
貴族令嬢らしくないところを見せて気を引く?
でも気に入られずに首を刎ねられたらたまったものではない。
――やっぱりいつも通り『淑女の仮面』を被ったままで誘惑するしかない、か。
などと考えながら城の廊下を歩いていたその時。
ごつんと鈍い衝撃が走った。
「……!?」
前方への注意がおそろかになっていたらしい。前からやって来ていたその人物に全く気づかなかったのだ。
ちなみにここは別に曲がり角というわけではないので、相手からはミリアの姿が見えたはず。あえて避けなかったなら多分相手は性格が悪い。
一体誰が……と顔を上げると、そこには。
背筋がゾッとするような整った顔があった。
「見ない顔だな。どこの誰かは知らないが、己の不注意への謝罪もないとは、よほど教養がないと見える」
鮮血を思わせる紅い双眸がミリアを鋭く射抜く。
口元こそ笑みの形に歪められているが、少しの感情も感じられない。まるで鬱陶しい虫ケラか何かへ向けるような表情だった。
ミリアは彼の顔に見覚えがある。ずいぶん遠くから数回のみだけれど。
間違いなく我が国の皇帝。ミリアのターゲットだ。
まさかこんなところで、このような形で出会うことになろうとは。
――てか怖っ。何これ、近くで見ると怖過ぎなんだけど!?
もしもミリアが真に貴族のご令嬢で、か弱い乙女であったなら、気絶してしまっていたと思う。
だが一応は貧民街のあらゆる修羅場を生き抜いてきた身。動揺は見せなかった。
怖いのは怖いが。なんなら今すぐ殺されそうな気がするが。
「ごめんなさい。帝国の太陽たる皇帝陛下の眩さに気付けなかったことをお詫びいたしますわ。わたし、先日侍女となりましたミリア・フォークロスと申します」
ふわり、と軽く微笑んで見せる。
人形のようだと称される磨き上げられた美貌が皇帝にもうまく効いてくれたらいいなと願った。恋に落とすまでいかなくてもいいから、腰に差している禍々しい剣……護身用のそれを抜かれるのだけは避けたい。
剣を突きつけられたら最悪、全力疾走で逃げるしか。
「ふん。教養は足りないが頭は回るのか」
……はい??
何を言われたんだろう、と思った。
もしかして褒められた?
あまりに予想外過ぎて言葉を返せずにいると、皇帝がすぐ横をすり抜けていく。
ミリアはその後ろ姿を見送るばかりだった。
コソ泥令嬢ミリア・フォークロスと、冷酷非道の血まみれ皇帝イーサン・ラドゥ・アーノルド。
これが、後に夫婦となる二人の初めての邂逅である。