09.失踪王子の代役〜片割れ王女と気づかれないまま、兄の側近から告白されそうです〜
【あらすじ】
王太子ベルカント・ファランドールとアリアは、よく似た双子の兄妹だ。
しかし『双子は不吉で争いの種』という言い伝えからアリアは王族として生きることを許されず、城はずれの塔で研究に没頭していた。
ある日アリアは、兄から入れ替わりの提案をされ、一日だけならと快諾するのだが、兄はその日を待たずに姿を消した。
『自分を毒殺しようとしている者がいる』『俺が帰城する日まで、正体を明かしてはならない』『アルス・ノヴァリーに気をつけろ』と書かれた手紙を残して。
アリアは兄を守るため、王太子の代役を務めると誓う。
問題は王太子の側近。王弟と懇意で、兄が警戒していたノヴァリー家の次男アルス。
だが、お人好しなアリアはアルスを警戒することはなく、アルスもまた様子の違う王太子に興味をもったようで。
やがて二人で危機を乗り越えていくうち、王太子を見つめるアルスの瞳が熱を帯びるようになってきて……。
「俺と、入れ替わってみないか?」
城のはずれにたたずむ塔の一室で、青年の声が響く。
「入れ、替わる……?」
予想外の提案だったのだろう。
ローブを着た娘がフラスコを手に固まり、声の主に視線を送っている。
あぶくがたった薬液が煙を吐いて、きぃ、と微かに天秤が揺れた。
「相変わらずアリアの部屋は、錬金術の実験室のようだね」
青年が部屋を見回して呟く。
開きっぱなしの本が散乱し、棚には謎の草花や虫の死骸、薬液漬けの魚など、奇妙なものが並べられている。
アリアと呼ばれた娘は「私が欲しいのは金じゃないよ」と明るく笑い、すぐに首をかしげた。
「それよりも入れ替わるって何? 私と兄様がってこと?」
「そう。アリアが王太子ベルカント・ファランドールになるんだよ。妹の存在を知るのは一握り。バレないと思うんだ」
「へぇ、なんだか面白そう! だけど、急にどうして?」
王太子ベルカントは責任感が強く、実直な男。『入れ替わってみよう』なんて、突拍子もない提案をする人ではなかったし、奇抜なことを考えつくのはむしろ、妹のアリアのほうだった。
アリアは胡乱な目で兄を見つめる。
白銀の髪に、空色の瞳。長いまつげと中性的な容姿。双子なだけあって、よく似ている。
だが、思考までは類似してくれなかったらしく、穴があくほど見つめても、兄の考えは少しも読み取れなかった。
「まぁ、そんな大したことじゃないよ。近々、ドルチェを楽しむパーティーがあるのだけれど、俺は甘いものが苦手でね。ただ、困ったことに俺が口をつけないと、パティシエの顔がみるみるうちに青くなるんだ」
「そうなの? せっかくのパーティーなんだから、細かいことなんて気にせず、みんな仲良く楽しくすればいいのにね」
アリアは実験道具を置いて窓辺に寄り、頬杖をついた。
出入りを許されない華やかな城の本館には、ぽつりぽつりと灯りが灯されはじめており、使用人たちが右に左に行き交っていた。
「みんな仲良く、楽しく、か……。人と人とが理解し合うというのは、本当に難しいことだと思う。俺だって、信頼できるのは家族だけだから」
「兄様?」
「なぁ、こんな生活嫌じゃないのかい。王女なのに『双子は不吉で争いの種』という言い伝えだけで存在を抹消され、塔に追いやられ、研究成果の発表はおろか、恋のひとつも許されない。君も俺も、このままではずっと独りだ……」
振り返るとベルカントの表情がくもっており、いつもとは違う、どこか疲れた笑顔にアリアの心はざわついた。
「私は変装さえすれば城下に下りられるし、この生活嫌じゃないけどなぁ。……そうだ! さっきの話の続き! パーティーの日、入れ替わってみようよ。こんなに似てるんだから、きっとばれない」
アリアは姿見の前に立ち、長い髪を手でくくる。
ベルカントが隣にやってくると、二人はまるで合わせ鏡のようだ。
「……本当にいいのかい? 近々俺の側近として、あのノヴァリー家の次男アルスがつくし、君はその長い髪も切らなければいけなくなるよ」
「アルスって人はよく知らないけど、一日くらいどうにかごまかすよ。髪だってすぐ伸びてくるし、兄様の声真似も得意だから、大丈夫。それに私も、久しぶりにお城の中に入ってみたかったの。子どもの頃に入ったのが最後だったし。だから、兄様も思いっきり好きなことをしてきて」
兄の両手を握って楽しげに笑うアリアに、ベルカントはどこか申し訳なさそうに微笑んだ。
「すまない、アリア。恩に着る」
♢
そんな話があったのが、一ヶ月ほど前。
髪を短く切り、塔内で入れ替わりの練習を続けて、ようやく王太子の姿が様になってきた頃のこと。
「明日の朝、試しに少し入れ替わってみよう。いまのアリアならできるから」という言葉を最後に、ベルカントが忽然と姿を消した。
彼が残したのは『本日より、代役を頼む』とメモが貼られたカバンと、中に入っていた手紙とノート、衣装の三つだけ。
ノートには、ベルカントの交友関係や城内の地図など、共有すべき情報がぎっしりと書き込まれていて、アリアは必死になって中身を頭に叩き込んだ。
手紙には『自分を毒殺しようとしている者がいる』ということと『俺が帰城する日まで、誰にも正体を明かしてはならない』ということが書かれており『本日より側近につくアルス・ノヴァリーに気をつけろ』という一言で締めくくられていた。
侍女のレミィは「国王陛下に相談すべき」と進言したが、アリアは頑として首を縦に振らなかった。
生真面目で優等生な兄がこのような行動に出るなど、よほどのことだ。兄が帰城するまで、自分が王太子の地位を守ってみせると笑った。
そんなアリアを、レミィは「お人好しが過ぎる」だとか「能天気も大概になさってください」などと言って激昂していたが、アリアの気が変わることはなかった。
「大丈夫だよ、レミィ。俺は上手くやってみせる」
アリアは兄の服を身にまとい、にかっと歯を見せて笑う。策を巡らせることは苦手でも、暗記は得意だ。しかも、子どもの頃はよく大臣から、王子の代役をするよう頼まれていたし、過去に演劇の助っ人として、城下町の劇場で男性役をこなしたことだってある。
『どうにかなる』が信条のアリアは王太子の代役をこなすため、不安げな顔のレミィを連れて城の本館に向かって歩き出した。
「おや、このようなところにいらっしゃったのですね」
庭を歩いていると、どこからか低く艶やかな声が聞こえてくる。
二人があたりを見回すと「こちらですよ」と、生垣の向こうから、騎士服の男が現れた。
「ノヴァリー伯爵令息、アルス様……」
侍女のレミィが呟くように言い、深々と頭を下げた。
――この人が、アルス・ノヴァリー? 兄様が警戒していた人だ。にこやかだし、悪い人には見えないけど……。
アリアは、アルスを見定めるように視線を送る。
――漆黒の髪に、金色の瞳かぁ。塔から見える朝日の輝きみたいで……
「……綺麗」
「はい?」
「あ、いやなんでもない。おはよう、アルス。今日は天気が良かったから、散歩をしていたんだよ」
アリアは兄の姿を思い出しながら、穏やかに返答する。
一方アルスは、にぃと口角を引き上げて、すぐに口元を隠すように手を添えた。
「そうでしたか。ですが、城の中庭とはいえ、護衛もなしに侍女と二人でうろつくのは、おやめになったほうがよいのでは? 学生時代の貴方の接近戦の評価、お忘れでしたら教えて差し上げましょうか」
くすくす笑うアルスに、レミィはアリアを肘で小突く。『いまの貴女は王太子。無礼な男になにか言い返してやれ』と遠慮のない侍女は言いたいのだろう。
アリアは『兄なら警戒する相手にどう返すか』を考えてみるが、これといった答えが見つからない。苛立つ姿も、にこやかに対応する姿も、どこかそっけなくする姿も、全て正解で全て不正解に思えてしまう。
どうしたものかと頭をひねっていると、アルスが眉をひそめた。
「昨日、転ばれて頭を強く打たれたと聞きましたが。いまも体調が優れないのですか?」
アリアはアルスの言葉に、これは好機と大きく頷いた。賢い兄のことだ、こうなることを見越して、不自然な行動や、記憶の曖昧さが不信感に繋がらないよう先手を打っていたのだろう。
それならば、とアリアは笑う。
「そう、ちょっと記憶が混乱してるみたいでさ。だけど、アルスのようないいヤツが側近で、俺は安心したよ!」
「は!?」
アルスとレミィの声が重なる。
「俺のこと心配して探しに来てくれたんだろ? 確かに俺、剣術苦手だしなぁ。腕が良くて、進言もしてくれる側近がついてくれて嬉しいよ。今日からよろしくな、アルス」
アリアは手を差し出して笑う。
兄がどうするかなんて、考えてもわからない。それならば、全て頭を打ったせいにして、自分の思うように行動したほうがよほどいいと考えたのだ。
アルスはレミィに視線を送り、レミィは「今朝からこのようなご様子で」と苦笑いを浮かべた。
「あ、記憶が混乱してるのは内緒にしてほしいんだ。王太子の様子がおかしくなった、なんて聞いたら、みんな不安になるだろ?」
アリアの頼みに、アルスは目を細める。
「そんな弱みを僕に伝えていいんですか? なぜ側近にフラット家のテナーをつけなかったのかと、城内の噂はもちきりなほどなのに。ノヴァリー家は、国王陛下と対立する王弟殿下から懇意にしていただいていますからね」
「アルス、何が言いたい?」
「おや、ご説明が必要ですか? 僕に陥れられたり、毒を盛られたりするかもとは思わないのですか、ということですよ」
「――ッ!」
言葉を失ったレミィが目を見開いて、アルスを睨む。
一方、アリアはまっすぐにアルスを見つめて、にぃと笑った。
「思わないね。それに、俺は毒じゃ死なないよ」
――大切な誰かをまた毒で亡くすことがないように、私はずっと毒の研究をしているんだから。
「大した自信ですね」
「そうか? とにかく。俺は、死にたくないし、誰かに殺されてやるつもりもないよ。だから、これからよろしくな」
「これはこれは。信頼していただけているようですし、ご期待に添えるようにいたしましょう」
目を丸くしていたアルスは妖しげに口角を引き上げて、差し出されたアリアの手を取った。
「退屈な生活になると思っていましたが、楽しくなりそうですね」
アルスは呟くように言い、アリアは首をかしげる。
「何か言ったか?」
「いいえ。なんでもありません。さぁ、朝食の会場に向かいましょう。マルチア王妃殿下が殿下をお誘いです」