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異世界恋愛短編

運命の人のために婚約破棄したのに、そんな言い方は良くないと引かれて捨てられた不憫な王子様。なんだか可哀想なので、ここは私が慰めてあげようと思います。

作者: 待鳥園子

 ざざっと打ち上がる高い波の音が響いた。


 ここは、高い城壁の上……戦いの際に攻略する難易度を上げるためか、険しい崖上に建てられた王城では、この時間美しい夕陽が見えている。


 物憂げな様子で城壁にもたれ、見張り用の穴から海に落ちる夕日を覗いている彼はエトランド王国世継ぎの王太子でロシュ殿下。


 あれが、私がここに来た目的の人だ。


 麗しく整った顔立ちと金髪碧眼で、王子とはかくあるべきと言わんばかりな絵に描いたような正統派の王子様だ。私もこの城へ勤めることになった時、目の保養要員を見つけ歓喜したものである。


 彼は手痛い失恋の後で、私はそんな彼に一言でも慰めの言葉をかけたかった。


 だって……ロシュ殿下の現状はあまりにも、可哀想だもの。


「あのっ……ロシュ殿下、元気出してください! きっと、良いことありますよ!」


 いかにも仕事終わりなメイド服姿の私が彼に声を掛ければ、彼は驚いてこちらを見るとわかりやすく顔を顰めた。


 城に仕える身分の低い者から哀れまれたのが、彼の自尊心を傷つけてしまったのかもしれない。けど、彼を少しでも慰めたかったし、こうして言えて良かった。


「慰めの言葉を、ありがとう……だがお前も、俺のことを馬鹿だと思ってるんだろ?」


 鋭い眼光を放つ青い目で見つめられ、私は両手を振って逃げ出したくなった。


「そそそ、そんなこと、思って……ないですよ?」


「嘘が下手なんだ。なんだ。その言い方は。目だって泳いでるし……絶対に俺を馬鹿な男だと思っている。演技は下手で見ているだけで、心の中が伝わる……悔しい。恥ずかしい……死にたい。全部一からやり直したい……」


「待ってください! 私はロシュ殿下のこと、馬鹿だなんて……思ってないです!」


 とてつもなく不憫で、とてもとても可哀想だとは思っていますが!


「では、失恋したから、可哀想か? 俺が一人取り残され、哀れだと?」


 自嘲するようなロシュ殿下の笑みを見て、私は自分がやっちゃったかもしれないという現状を把握した。


 うわー……この落ち込みようは、私の思っていたよりひどいかも。


 あの失恋は、やっぱりそれほどに大ショックだったんだ……そりゃ、そうだよね。


 異世界から現れた聖女様が俺の運命の人だって……あれほど彼女と一緒に居ると、恥ずかしげもなくこの人は公言してたもんね。


 彼女との愛を貫くために、幼い頃から婚約していた公爵令嬢と婚約破棄したというのに、「いくら私に嫌がらせしていたとは言え、女性にそんな言い方をする人とは一緒に居たくないです」ってドン引きされて……衆人環視の中あっさり振られちゃったなんて。


 そうだよ……いくら形的には親の決めた婚約者と二股掛けているみたいになっていたとしても、それは可哀想でしょう。


 しかも、私はこの異世界に転生しているから現代知識も持っているし、なんとなく女の勘でわかっているんだけど、あの異世界転移してきた聖女様はきっとこの人の近衛騎士狙いだったんだよね。


 今ではもう……あっちとよろしくしてるらしいし、けど別れた後にすぐに誰と付き合っても彼女の自由だし。


 この王子様から完全に運命の人認定されていたし、早々に彼を振りたいから何らかの落ち度になる理由を探していたと思う。


 けど……この人は、そんなこずるい聖女様が本当に好きだったんだと思う。


 なんて不憫なの……可哀想過ぎて、胸がキュンとしちゃう。前世から、不憫萌えなんだよね。


 私も婚約破棄している場に偶然通りかかり遠目から見ていたんだけど……婚約破棄されたての元婚約者の悪役令嬢だって、颯爽と現れた隣国の王太子があれよあれよという間に連れ去ってしまった。


 つまり、ここに居る人は運命の人にも、幼い頃から自分のことを好きだった元婚約者にも去られた……とても可哀想な人なのである。不憫過ぎて、心の許容量オーバー気味。


 ふと視線を上げれば、失恋もしていないはずの私の目に夕焼け空が目に染みる。


 もうすぐ、陽が沈んでしまう。


 なんだか風景も悲しそうなのに、それを見ている彼はより悲しくならないだろうか。


 大騒ぎにはなったものの、その後何ごともなかったかのようにその日の政務を終えた王子様が、失恋したショックで海の見える城壁の上に一人で現れることは、初日にはもう城中噂がまわり皆知っていた。


 ロシュ殿下は出来るだけ人目を避けたいと思うんだろうけど、彼の身分も容姿もあまりに目立ちすぎる。


 そんなこんなで私と同じように城に仕える面々は、この時間のここには絶対に近寄らない。


 物凄く恥ずかしい婚約破棄事故に見舞われた王子様から、なんだかんだで文句を言われて藪蛇が起こるなんて、絶対嫌だと言う気持ちを隠しもしてない。


 私の個人的な意見としては、あんなにもみっともない失恋後だというのに、ロシュ殿下は自分の仕事は仕事として、ちゃんとこなしているので、そこは大きく評価してあげたいと思う。うん。立派だよ。


 異世界での王族は現代でいうところの芸能人のようなもので、常に一挙手一投足が注目されてしまう。泣いて部屋に閉じ籠るも地獄、好奇の目に晒されながら黙々と公務をするのも地獄。


 しかし、成人として与えられた役目を果たしているのなら人の目も甘くなるというものである。後述の方が、少しだけましな地獄だと言えるかもしれない……きっと。


 運命の人のために婚約破棄したのに、振った時の言い方が悪いとその聖女にあえなくフラれた王子様。


 なんなの。この人が人知れず悲しむことも出来ないなんて、つらすぎない?


 あ。そういえば、私はそう思ってロシュ殿下を慰めたくなったんだった。


 あまりにも……彼が可哀想に見えて。


「いやいや、何があっても死んではいけないですよ……てか、たかが一回の失恋じゃないですか……人生長いですし、恋愛なんて何人かに振られて一人前じゃないですか……多分。うん。そう思います」


 なんて、前世にちょっと良いこと言う系の動画で聞いたことのあるような台詞で慰めるしかない。


 ちなみに私は前世から喪女だったので、失恋の経験はない。えせ知識なのは許して欲しい。上手いことを言えないのに慰めたいという、とても難易度の高いミッションに必死でチャレンジしてる。


 バッとこちらを振り返り、ロシュ殿下は半目になりつつ言った。


「お前には大広間のど真ん中で、幼い頃からの婚約者に婚約破棄し、その言い方が良くないと思うから、もう好きじゃなくなったと盛大にフラれた経験はあるのか?」


「あー……それはないですね。ごめんなさい」


 失礼なくらい立ち入ったことを言ったのに怒鳴りつけることなく淡々とした静かな物言いに、逆に怒りを感じて、私はしゅんとして小さくなった。


 普通の平民は、そもそも婚約しないし、絶対そんな状況はないんです。


 幼い頃からの婚約者が居る時点で異世界でも数少ない上流階級確定だし、よっぽどの理由がないと婚約破棄なんかしないし……しかも、その後に相思相愛だったはずの人にすぐ振られるとか天文学的な確率でしか起こらないと思う。


 うん。彼が今居る立場って彗星が頭に直撃する程度の……低い確率なのかもしれない。


 慰めるどころの話ではないと気づき、思わず現実逃避したくなった私は、ああ綺麗だなと遠い目で夕焼けを見た。


 なんとなく、ここで黄昏ている殿下の気持ちがよくわかる。


 寄せては返す波の音もなんだかとっても良い感じだし、場所自体が苦しい日常を忘れさせてくれるような気がするのだ。


 もしかしたら、殿下の目にはあの雲辺りに自分のことを振った聖女の顔でも浮かんでるのかもしれない。


 うわ……何考えてるの。私ってひどい……殿下、可哀想。不憫だわ。萌え要素しかない。


 ロシュ殿下は私の話が終わったと判断したのか夕焼けに視線を戻したので、私はこれだけは聞きたいと思い彼に声を掛けた。


「あの……」


「なんだ?」


 もしかしたら、あれだけ言ってしまえば、私はもう何も言えないと諦めると思っていたのかもしれない。ロシュ殿下は話しかけているというのに、今だってこちらを見ようともしない。


「その……正確には、なんて言ったんですか? 振った時の言い方が良くないって……ジェシカ様に、よっぽど、ひどいこと言ったんですか?」


 ちなみにジェシカ様は悪役令嬢で、聖女に惚れ込んでしまった婚約者のことを好きで何個か意地悪はしたらしい。


 けど、彼女は婚約破棄時に偶然エトランド王国に訪れていた隣国の王太子と今はラブラブな関係だそうだ。


 私も遠目でその場を見ていたけど、婚約破棄されたばかりのジェシカ様を颯爽と連れ去っていて本当に格好良かった。


 幼い頃からの婚約者を蔑ろにして、一方的に婚約破棄するなんて本当にろくでもない男だと思うし、どうか幸せになってほしい。


 あ……目の前に居るこの人が、そのろくでもない男だったんだわ。


 婚約者を振り方が良くなかったから運命の人に振られてしまっただけなのに、自分が被害者ですみたいな悲しそうな顔をしているから、そこを忘れてしまうところだった。


「……ジェシカは、サトミに意地悪ばかりしていた。俺は異世界から来てくれた聖女のサトミに、心細いだろうからと親切にしていただけだ。それは、いけなかったのか?」


 ジェシカ様は悪役令嬢の役割だもんね……そこはもう、仕方ないよね。それはもう物語上良くある展開で、それを知る私はあるあると頷くしかない。


「いいえ。ですが、ジェシカ様は婚約者であられたのですから、殿下のお気持ちが離れることがお辛かったのでは? 私はそう思いますけど……きっと殿下のことが好きだったんですよ」


 好きでなければ、婚約者の運命の人に嫌がらせするなんてあり得ない。


「国の一大事だったのだから、それを救ってくれた聖女に国を代表する王族が優しくするのは当たり前だろう」


 確かにそれはそうかもしれない……けど、婚約者がやきもちを妬いてしまうくらい異性に近づくなんてどうかしてる。


 先んじて彼女と婚約解消でもしているのなら、別だけど。


「殿下。何かあるなら吐き出せば、楽になりますよ。どうぞ私になんでも言ってください。王様の耳はロバの耳ですよ!」


 あ。いけない。ここ異世界だから、ロバの耳ってわかんなかったかも。私が成人になってから前世の記憶を取り戻したのと、結構なんでも通じてしまうので、そういう言い回しを使ってしまいがち。


 まぁ良いや。ロシュ殿下だって名前も知らないモブで変なことを言う女なんて気にしまい。


 ロシュ殿下はどんとこいと言わんばかりに胸を叩いた私を振り返りそして、夕焼けに視線を戻し、それを何故か三回繰り返した。


 これっていわゆる、三度見じゃない? 私……もう彼にとっては初見ではないはずだけど。


 え。何か、他のことでも悩んでいるのかな……いいえ。彼は失恋直後という異常な精神状態にあるのだから、慰め係の私がわかってあげなくては。


 悩みは吐き出せば、多少は楽になるものである。私もメイド長の無茶振りの愚痴を同僚たちと吐き出し合うとだいぶ楽になる。無理なことばかり要求してくる癖に出来ないと怒るものだから、本当に嫌になる。


 別に誰かの不幸を面白がったりするようなゲスでもないので、存分に心の内を言って欲しい。


 振られた聖女様を、運命の人だと思っていたけどあれは勘違いしていただけとか。自分が振ったはずの元婚約者が幸せになってて、なんか複雑とか。そういう……正直な気持ちを吐き出して欲しい。


 ロシュ殿下は私のことをまじまじと見つめて、悪戯っぽく微笑んだ。


 わ。可愛い笑顔……え。けど待って。さっきまでの物憂げな彼は、どこに行ったの?


「なあ……口は固いか?」


 彼は私に悩みを打ち明ける気になったらしい。そもそもこれをしたかったので、私は頷いて微笑んだ。


「はい! 大丈夫です! どうぞどうぞ。なんでも聞きますし、ここからはロシュ殿下を全肯定します」


 私はこれよりどんなにロシュ殿下が最低男なことを言い出しても「そうですか。それは、辛かったですね」と、脳死で言えるモードに移行致します。


 ロシュ殿下がそもそも悪いではないかという、正論は正しい。けれど、正論は使い方を間違えると人を傷つける。私は間違えていても、肯定してあげたい。


 今だけは彼を慰めてあげたい。


「では……これは、俺はお前だけに言う……絶対に、誰にも言うなよ。今ここで、約束しろ」


 真剣な眼差しに、それを聞く私だって真剣にならねばと大きく頷いた。


「殿下……それって、もしかして、私がここから始まる話を噂にしてばら撒けっていう振りだったりします? 正確にご指示してくれれば、明日には国中が知っている程度に広まるようにばら撒きます。お任せください。あ。初回ですし、成功報酬で良いですよ」


 現代知識はこういった異世界では、チート能力なのだ。それなりに役立てて来た私は、自信を込めて彼に微笑んだ。


「お前……面白いな」


 興味深い表情でしみじみとそう言ったロシュ殿下に、私はにっこり微笑んだ。


 これって、よくあるおもしれえ女の台詞じゃない?


 聖女に振られてしまった中身はどうあれ、外見は完璧な王子様に好意を抱く前触れの台詞を言われ私もなんだか気分は悪くはない。


「ふふ。ありがとうございます。私個人として身分違いの恋も受け入れる所存なので、どうぞよろしくお願いします」


 まぁ、メイドと王子様の恋なんて、この異世界では絵空事過ぎてあり得ないけどね。冗談でそう言った私に、ロシュ殿下は満足そうに微笑んだ。


「そうか……丁度良いな。実は……元婚約者ジェシカと俺は、あの日あの場所で婚約破棄することを共謀していたんだ」


「え?」


 ロシュ殿下が今言ったことを理解出来なくて、彼は何を言ったのかと何度か考えた。


 待って待って。今……この人、なんて仰りました?


 私の愕然とした表情を楽しむようにしてロシュ殿下は微笑み、涼しい海風が吹いて彼の金髪を揺らした。


「ああ。そうだ。驚かせて済まない。俺たちは元々、婚約解消をしようとしていたんだ。ジェシカが隣国の王太子に恋をした。しかし、王族の婚約者たる公爵令嬢が隣国の王太子と結ばれるなら、それなりの確固たる理由が要る。俺の両親もジェシカの両親も、普通に彼女が望んでも許さないだろうとな」


「そ、それは! そうですけど、でも……!!」


 理解が追いつかなくて、私は混乱してしまった。


 ……確かにジェシカ様も聖女サトミ様も、今はとっても幸せそう。なんなら、あれに関わった登場人物でロシュ殿下以外は幸せそう。


 けど……なんで、今……ロシュ殿下だけが一人……悪者になっているんです?


「あの婚約破棄をする前に、俺たちは相談していた。そうしたら、幼馴染のジェシカは好きな男と結ばれることが出来る。もしかしたら、ジェシカに対する良くない言葉を噂で聞いていたかもしれないが、あれは俺の本心ではない。彼女は聡明で王妃となるのに相応しかった女性だ。俺にとっては姉のような存在で、そもそもサトミにも嫌がらせはしていない」


 は? サトミ様に嫌がらせも……していないですと?


 いや、私もなんだか異世界転移してやって来た聖女を運命の人と言い出す王子様の役割で、なんだか誤解していた? 結びつけて、そういうことだろうって思ってた?


「……え? あ……けど、サトミ様は? どういうことですか? だって、これでいくと彼女も知ってないと……」


「その通り。聖女サトミも協力者なんだ。あの子は国を救ってくれた平和の象徴で、ジェシカは側妃にするからと俺の王妃として結婚するように父から要求されていたんだが、それは絶対嫌だと断っていたんだ」


「待って……! 待ってください……あれが全部が全部。お芝居だったなら、殿下がその後のすべての汚名を一人で着たってことですよね? ……殿下はそれで、良かったんですか? だって……」


 彼は損しかしていない。


 今、彼は本当に酷いくらいに国民に馬鹿にされていて……けど、それをロシュ殿下自身にそのまま言えなかった私は俯いた。


「俺が少しの間悪く言われるだけで、女性二人が一生を左右するような意に添わぬ結婚から逃れられる……なんてこともない。何を迷うことがあろうか」


 私はそれを聞いて、自然と王族に対する礼を取った。


 全然、ロシュ殿下は可哀想なんかじゃない。ううん。自分が決めた訳でもない結婚を強制されそうだった可哀想な女性を二人救ってくれたんだ。


「……申し訳ありません。私もすっかり……殿下を誤解していました。貴方は立派です。ジェシカ様とサトミ様のお二人が望まぬ結婚をせぬために、自分は汚名を。国民の指導者として相応しいお方です」


「それで、良いんだ。そう誰もが誤解して貰えるように、俺は動いた。将来的に若い時は少々馬鹿をしたらしいが、今はまともらしいと言われる程度だ。別に良いだろう」


「殿下……」


 私はそれ以上何も言えず、なんとも言えない気持ちでいっぱいだった。だって、それって彼が損してることで、二人は幸せなのに彼はそれで良いと言って居る。


「人の本質を見ることもなく、誰かを馬鹿にする奴には馬鹿にさせておけば良い……そちらの方が、人を容易に見られると思わないか。現に君は俺が馬鹿で嫌な男だと思っても、慰めてくれようとした訳だ」


「ですが! 私は殿下が素晴らしい方なのに、今回の件で悪く言われることが嫌です……本当は違うのに。それは、人を救う良い嘘ではあると思います。二人は幸せになります……けど、いつかは真実として伝えるべきなのでは?」


「俺は誤解されることは、別に構わない。自分が悪く言われることもそうだが、良く言われることについてもあまり興味はない。なぜなら、俺は俺が今回したことについて後悔は何もないからだ。仲の良いジェシカと国を救ってくれたサトミが幸せになり、二人は俺にありがとうと感謝してくれた。他の誰が何を言おうが、自分が満足しているなら、それが一番大事なんだ。誰にもわかって貰う必要などない……違うか?」


「いいえ。その通りです。殿下……尊敬します。私にはとてもできないので」


 利他の精神と自分は何を言われても構わないと言える豪胆さ。彼こそ王族にふさわしい人なのだわ。顔を上げればロシュ殿下は先ほどの情けない様子とは違う、圧倒的な王者の風格を纏っていた。


 その時に私は、気がついてしまった。


 殿下がここで海を見ながら黄昏ているのも、ただの演技の一環で二人の女性が幸せになれば、自分は悪く言われても良いと思っているから……それっぽく見せているだけ。


「これは、絶対に秘密にしてくれ。墓まで持って行ってくれよ。誰かに知られれば、面倒なことになるからな」


「もちろんです! 私は口が固くて、有名ですから!」


 こんなにも……素敵な殿下の頼みならば、私とて聞かざるを得ない。外見も良くて中身も素敵なんて、反則過ぎて……恋の審判はレッドカード出すしかない。


 私が両手を組んで目をキラキラとして彼を見つめれば、なぜかわかりやすく、にやっと悪い笑みを浮かべた。


「……いやー……なんだか、勢いで秘密を明かしてしまったが、不安になって来たな。ところで、お前。先ほど言っていたが、身分違いの恋に興味があるらしいな」


 え? さっきの冗談の話? 確かに……物語としては。私が当事者でなければ……興味はあります。


「あ。そうですね……身分違いの恋に興味はあります。だって、なんだか楽しそうじゃないですか」


 何の話だろうと首を捻りながら私がそう言えば、殿下はそうだろうと言わんばかりに微笑み頷いた。


「俺は王族の身分上、本来なら結婚出来る女を選べないんだが、二人の女に逃げられとても可哀想な状況だから、身分違いの恋をしても今なら国民も納得すると思わないか」


「……え? そうですか。そうですよね……そうですとも。身分違いの恋、私も応援します!」


「では、俺と結婚しよう。それが良い。ここでの懸念材料はすべて解決する。王族と平民の恋は何百年単位で久しぶりだから、国中の噂になって俺が振られたのどうのという噂はすぐに消えるだろう」


「いや、私が相手!? ままま、待ってください。それはちょっと。困ります!」


 当事者は絶対嫌なんですけど……だって、私は単なる城のメイドで、王妃になんて無理でなれないですって!!


「残念だ。秘密を知ってしまったからにはもう、お前をそのままにはしておけないんだが?」


 整った顔に浮かぶ悲しげな表情になんて、絶対に負けない。ここで頷けば大変なことになってしまうことはわかっていた。


 私は両手をぎゅっと握り、彼に言い返した。


「絶対、誰にも話しません! 大丈夫です。貝になります。ご心配なく」


「でも、貝ならば熱されれば口を開けてしまわないか? とても心配だ。結婚でもして、俺が直接君を見張るしかないな。」


 そんなこと深刻そうな顔で、余裕綽々なんて絶対おかしいよね! そうだ……この人、演技が上手かった!


「知られたくない秘密を私に話したのは、そっちですよね?! いいえ。待ってください。もしかして……これって、全部……計算なんですか?」


 元婚約者と国を救ってくれた聖女を助けるために、ロシュ殿下はあれだけの大がかりの芝居を打ったのだ。


 だから、思いつきでなんて動くわけがないし……こうして失恋しているところを慰めに来た自分に興味のあるメイドを使って……国中の噂を消すつもり?


 待って……そうよ。


 どうして、ロシュ殿下は、こんなにわかりやすい場所で悲しんでいたの……? まるで……誰かの慰め待ちなんじゃない?


 もう……何もかも、もう信じられない。


 もしかしたら、まんまと彼の思惑通りに動いてしまったのではと思った私は、一歩後ろに後ずさった。ロシュ殿下は眉を上げて、一歩近寄った。


 まるで俺はお前を逃がさないよって、そう言いたげに。


「……さてね。それでは、可愛いメイドさん。俺と王族との身分違いの恋をしよう。きっと、これからの人生が楽しくなるよ」


 こ、これって……もう、私の運命が決まったってことだよね? だって、ロシュ殿下から、一介の平民が逃げられる訳もないもの。


 ほんの十分前まで、二人の女性に捨てられた不憫な王子様だったはずなのに。


 今こうして楽しそうに微笑んだ王子様は、そもそも私の慰めなんて必要なかったみたい……。




◇◆◇



 王位を継ぐ予定の俺と公爵令嬢ジェシカの二人は十年ほど、お似合いの婚約者同士と周囲から目され割と上手くやっていたと思う。


 ジェシカが持つ能力は高くて王妃としての役目を果たすのに申し分なく、人柄も温厚で誠実だ。


 俺たちは熱烈な恋人同士にはならないだろうが、穏やかな生活を営む夫婦として上手くやっていくのだろうとそう長い間思っていた。


 そろそろ結婚をと準備していた矢先に、ジェシカが「ある人に恋をしたから、婚約解消をしたい」と、泣きながら言い出すまでは。


「お願い。ロシュ……私と婚約解消して欲しいの。私、貴方のこと好きだと思ってた……でも、違ったわ。それは、恋ではなかった。あの人が好きなの。諦められない」


 他の男を想ってさめざめと泣く彼女に、長年王族の婚約者として教育されすべての準備が整っているのに、政略結婚としての役目を果たせとは俺はとても言えなかった。彼女は恋人ではないが、大事な人だったからだ。


 とは言え、ジェシカの恋は茨の道だ。


 王妃となるため多くの税金をかけ教育された公爵令嬢が、隣国の王太子に取られてしまうなど、国民の多くは納得すまい。


 ジェシカが多くの人から罵られる光景は、見たくない。彼女は幼馴染で姉のような存在だった。家族になるつもりだったし、俺にとってみれば彼女は紛れもなく家族だった。


「……わかった。もうジェシカは、泣かなくて良い。俺が全部なんとかするから」


 そんなこんなで、大掛かりな芝居……ジェシカへ婚約破棄を突きつけた現場は、本当に全員がどうしたものかと凍り付き、地獄と言って差し支えない状況だった。


 大事な役目を果たしたサトミも用意したセリフを棒読みで酷い大根振りだったが、言葉の内容の方が大きな衝撃を与えたはずだから、彼女の不自然な様子を誰も気にすまい。


 異世界の血が混じる彼女と結婚すれば、またエトランド王家は永く栄えるだろうと父は考えていたようだった。そういう言い伝えがあるのだ。異世界に通ずる者と縁づけば、王家は栄えると。


 たとえそうだとしても、俺も自分を好きになれない別の男が好きだと泣く女に無理やり結婚してもらうほどには、プライドは捨てきれなかった。


 だがしかし、これからどうするべきか。


 年齢的にそろそろだろうと準備していた結婚も相手を失い白紙に戻り、父母は腫れ物を触るような対応。


 そんな自分の今後を静かに考えたくて、城壁の上で夕陽を見ていたら、失恋した心の傷を癒しているのだろうと噂されているようだ。


 失恋とは……恋を失うことだが、実は俺は人生の中恋をしたことはない。


 夕食前に城壁で過ごすようになって何日目かで愛らしいメイド服の女が、俺に話しかけて来た。くるくるとした金茶色の巻き髪も、まるで人形のようだった。


 王族へ話しかければ運がなかった場合、不敬罪で罰せられる可能性もあるというのに、豪気なものだ。だが、怯えられるよりよっぽど良い。最初の印象としては、好ましかった。


 この城の中でも現在一番に触れてはならぬ腫れ物である自覚はあったのだが、その彼女はずかずかと踏み込み王族であるはずの俺の事情を聞きたがった。


 なんだか、それが新鮮で面白いものだった。


 『王様の耳はロバの耳』という言葉を聞いた時、俺はその女の子の顔をよくよく見た。いいや……異世界から来たような顔ではない。


 もし、異世界から召喚されたなら、鼻は低く平べったい顔をしているはずだ。


 なぜそう思ったかというと、異世界からやって来た聖女サトミも同じ言葉を使っていたからだ。彼女から聞いた文脈通りの意味で使っているから、彼女は単なる平民ではあり得ない。ならば、絶対に結婚しろと息巻く親も認めてくれるだろう。


 だが、そんな彼女の事情に踏み込もうか……もしそうなら、俺とて覚悟を決めなければならない。


 顔はとても可愛いらしい。好みだ。はきはきとした物言いや、物怖じしない性格も好ましい……端的に言うと異性として、好きになれそうだ。


 恋をしたことのない男の良くわからない直感だ。彼女といたら幸せになれそうだ。別に外れても良い。


 未来に馬鹿なことをしたと思っても、この彼女と恋がしてみたい。


 だから、気がつけばこう言っていた。


「……さてね。それでは、可愛いメイドさん。俺と王族との身分違いの恋をしよう。きっと、これからの人生が楽しくなるよ」


 彼女はパッと顔を真っ赤にしてから、戸惑いながら俺に聞いた。


「えっと……ロシュ殿下。それってもう、決定事項です?」


「そう言えば、君がこれを前向きに考えてくれるならそう言おう。まずは、名前を聞いても良いか?」


 そして、もじもじと俯いたままの彼女がたどたどしく名乗った名前を、俺は可愛い名前だと評した。


Fin



最後まで読んで頂き、ありがとうございました。もし良かったら評価をお願いします。

また、違う作品でもお会い出来たら嬉しいです。


待鳥


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[良い点] なかなか楽しいお話でした。 食後にたべる、デザートのようですね。
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