Preparation Start ⑥
平穏に、大きな問題も起きる事なく試乗会は幕を下ろした。
宇佐美はハミルトンを降りてからデータ収集のため、入念な検査を受ける事になり一度トーラムマインド社が経営する病院へ向かう。
ハミルトンから降りた際に一度枦夢と話をする機会が生まれた。
「上原……宇佐美と言ったな」
「は、はい!」
「次はフィールドで会おう」
「え?」
枦夢はそれだけ告げてチームメイトの所へ戻っていく。
「君は気に入られたみたいじゃの」
義晴はそのように言っていたが、宇佐美としては中々信じられないことであった。
その後、病院で検査を受けてから帰ることになった。検査結果は異常無し、健康そのものだそうだ。
しかし疲労感はとてつもなく高く、実際宇佐美は検査中に何度か寝落ちしてしまった。
特別に義晴が車をまわしてくれて助かった。揺れも何もない快適な高級車に載せられ、家に着いた頃には既に日が沈み切っており、夜の帳が下りていた。
別れ際、義晴は宇佐美にある事を尋ねる。
「上原君、ラフトボール……やってみないかい?」
「…………やります!」
迷いは無かった。
「後日御家族へ説明するために伺わせてもらうよ」
「はい」
その日はご飯を食べて風呂に入った後、泥のように眠る事になる。
両親と姉は宇佐美が高級車に送られて帰って来た事に興味津々なようで、一階の自室に戻るまでひっきりなしに質問攻めして煩わしい事この上ない。
姉に至っては風呂に乱入してきた始末だ。
――――――――――――――――――――
一週間後。
宇佐美は義晴に、美浜市の外れにあるラフトボールチームのフィールドへと連れてこられた。先週試乗会を行ったあのフィールドとはまた別である。
「ここにチームメイトがいるんですか?」
「そうじゃ、既に着いてる筈なんじゃがのう」
義晴はスマホを取り出してどこぞへと掛ける。おそらくはそのチームメイトだろうが。
その時、宇佐美のスマホにもメッセージが届いた。母と姉からである。姉からは「ファイト!」と書かれていた。母からは「葱買ってきて」と。
「この二人」
数日前、家族への説明のためにトーラムマインド社の人間がやってきた。その時この二人はとんでもないことを口走ってしまったのだ。
「息子を是非よろしくお願いします。何でしたら童貞ももらってください」
「だめよお母さん! 宇佐美の童貞はお姉ちゃんが貰うんだから!」
「どちらでもいいわ、オホホ」
正直全力で殺意が湧いた。まだその怒りが冷めやらぬ宇佐美が、2人のメッセージを既読スルーするのは当然といえよう。
チームメイトはまだ来ないようだ。
「おお来おったわい」
数分経ってようやくお見えになったようだ。義晴が目を向けた先、フィールドの反対側から二人組が歩いてくる。
否、一人と一台だ。
「あ、君は」
その一人は先週宇佐美とぶつかったあの少女であった。今日は藍色のジャカードカーディガンでクルーネックTシャツを覆い、テーパードパンツとブーツという出で立ちだった。
宇佐美はお洒落だなあという印象が強くて圧倒されてしまう。
「あなたがお祖父ちゃんが言っていた宇佐美君ね、よろしく、私は九重 祭、そこにいるお祖父さんの孫よ」
孫だったのか。
しかしどうやら向こうはこちらを覚えていないらしい。
「はい、よろしくお願いします。上原宇佐美です」
続いて今度は前に出会ったバイクのようなロボットが前にでる。こちらは特に変わりはなく、しいていえばちょっと泥が跳ねてることぐらい。
「うぃっす! 自分はクイゾウっす。また会ったっすね」
「あっはい」
こちらは覚えてくれていた。
「あら、あんた達知り合いなの?」
「知り合いっていうか、先週お嬢がぶつかったあの少年すよ。まあお嬢の足りない頭じゃ忘れてるかもっすけど」
「ああ! 思い出したわ! あの時の……その、ごめんね、ほんとに怪我とかしてない? あとクイゾウは後でスクラップな」
「はい、何ともないので大丈夫です」
「そう、それは良かったわ。何かあったらいつでも助けになるから言ってちょうだい」
「お気遣いありがとうございます」
「まあこんな感じで、お嬢は胸が薄くて短気っすけど、仲良くして欲しいっす」
「あぁ、はい」
「お前まじでバラすぞ! 手始めに一週間ガソリン抜きにしてやるわ」
「ちょっ! それじゃ電気食わなきゃじゃないっすか! 電気だけは勘弁して欲しいっす! ヘルシー過ぎて合わないんすよ!」
「知らないわよそんなの! そもそもあんたいつもガソリンをばかばか飲みすぎなのよ!」
一人と一台のコントを背にして義晴は宇佐美の肩にポンと手を置いた。
「それじゃ、あとは彼女達に聞いておくれ」
「はあ……あの、他のメンバーは?」
当然の疑問である。周りをよく見渡しても人の気配はあらず、また誰かがやってくる気配もない。
彼女達が代表で来ているだけなのかもしれない。そう思おうとしたのだが、その願望は義晴にあっさり砕かれてしまう。
「おらぬよ、ここにいる三人だけじゃ」
「えっ!? もしかしてラフトボールて三人でもできるんですか?」
微かな望み、しかし。
「いや最低でも十三人は必要じゃの」
つまりあと十人足りない。
「最近できた新しいチームじゃからのフォッホッホ」
笑い事ではないと思うのだが、義晴は気にしていないのか、そのままフィールドを去っていった。
振り返る。
「自分は語りたいんすよ、ハイオクよりも軽油の方が美味しいと!」
「どうでもええわ!!」
まだコントを続けていた。
恐ろしい事にクイゾウとかいうロボット、ガソリンの種類は問わないらしい。バイクなのに軽油を飲むのか。
「大丈夫かなぁ、これ」
予想外にも宙ぶらりんな状況である事を理解した宇佐美の心には、先行きへの不安が付き纏うようになった。
そしてスマホには、母から「お父さんの自慰用のティッシュ買ってきて」というメッセージが届いていた。
すこぶるどうでもいい。