096情報政策の重要性
「情報政策……」
「情報?」
その言葉を聞き、キャリナやフレヤは次々に首を傾げた。
エルシィは「おや?」と一瞬不思議に思ってから、改めて糖分を得た脳を働かせる。
「ああ、情報という言葉はあまりなじみがないかもしれませんね。
えーと、では広報と言い換えた方が良いですか」
「広報……ですか」
より、彼女の目的に近い言葉に変換してみたが、それでもやっぱり彼女らには聞きなれなかったようだ。
そんな中、動じないのがねこ耳メイドのカエデだった。
まぁ、彼女の場合は「我関せず」という風なので、単に興味が無いのだろう。
幼いながらに立派なメイドぶりである。
「なるほど……情報、広報のう。
どれもこれまでの権利者には無かった視点よな」
感心気に頷いているのは、ここにいる中ではイナバ翁のみであった。
もっとも彼の姿はエルシィにしか見えないので、他に理解が広がりようもない。
「エルシィ様、こんなことお聞きするのも何ですが、その広報とは何をなさるのでしょう?」
キャリナがそう、憚りながら疑問を口にする。
そもそも侍女であるキャリナの役割はエルシィの世話である。
身の回りのことから予定の管理などまでで、本来であれば予定の内容にまで口を出すのは職分違いと言える。
だが、今のハイラス鎮守府ではそんなことを言ってられないほどの人手不足だった。
ちょっと前まではただの侍女で良かったキャリナは、ここへきて主人の仕事のサポートまでこなす必要が出て来たのだ。
職分的に知る必要がない。
だが知らねば主人をサポートできない。
そんな自分の微妙な立場に戸惑いながらの質問だった。
エルシィは「ふむぅ」と人差し指で自分のアゴをトントンしながら思案する。
そして彼女、いや彼女たちへの答えを優しく説明するために口を開いた。
「端的に言えば、わたくしたちがここでこうしている理由を正しく知ってもらう。
というところでしょうか」
「それはエルシィ様が新たにこの国の王になった理由、ということでしょうか?」
「この国の王……おおぅ」
すかさず問い返すフレヤ談の一部に眩暈を覚えつつ、エルシィは小さく頷いた。
まぁ、言い方はともかく、大まかには外れていない。
「そうですそうです。
つまり、わたくしたちがなぜ伯爵を追い出して、ここで大きな顔をしているのか。
わたくしたちの正当性、逃げた伯爵の非、それぞれを解かり易くこの土地の民に説明するのです」
イナバ翁はこの説明にいたく感心するように大きく頷いている。
さすが神様だけはある。と言っていいだろうか。
だが、キャリナやフレアはいまいち理解していないようで、困惑気味に互いの視線を合わせて首を振った。
これにはエルシィも逆に困惑である。
「民に……説明するのですか? 近隣諸国にではなく?」
だが、そんなキャリナの言葉を聞いて、エルシィも納得した。
つまり究極のトップダウン社会である絶対王政の神権政治において、民草の理解などは存外なのだ。
それが、長く権力者側にいるキャリナにとっての、当たり前の常識だった。
それはフレヤもそうだ。
彼女もエルシィ至上主義者として、「正当性など主張しなくても、エルシィ様が正義なのは当然だ」と信じて疑っていない。
ゆえに二人ともエルシィのしようとしていることが不思議でならなかった。
これは何も二人が特殊なのではなく、この世界における一般的な見解であった。
「近隣諸国へも当然説明します。
それも早急にする必要があるでしょう。
ただそれとは別に、このハイラス領の皆さんにもちゃんと説明します。
それがまず、わたくしがやるべきことだと思っています」
「なぜです?」
元々、情報の大事さが身に染みている商社勤めからすれば、逆に「なぜ解らないのか」が不思議な点だ。
これは完全に育った環境が違うからすれ違いはしょうがない、という案件だった。
エルシィはもっとよく説明することにした。
この政策を進めるにあたって、部課の者が一切理解していないようでは正しく遂行できないだろうから。
「ええとですね。
まず、この土地の人からすれば、いきなり軍を率いて来たわたくしは侵略者に見えることでしょう。
善良……かどうかはわかりませんが、この土地を治めていた伯爵を追い出して、支配者の地位に座ったので、簒奪者にも見えることでしょう」
「でもそれは伯爵が我がジズ公国を侵略しようとした報いですし、エルシィ様がここに座っておられるのは神に認められたからです」
鼻息荒く反論じみたことを返してくるのはフレヤである。
エルシィの言で、彼女に不満を言う民草を想像してしまったのかもしれない。
「フレヤの言う通りですが、この土地に住む人たちがそれを知らない。
ですから、それをしっかり説明するのです」
フレヤはこれで「なるほど。さすがエルシィ様」と納得してニッコリした。
今度はエルシィを讃える民たちを想像したのかもしれない。
だがキャリナはやはりまだ少し怪訝そうであった。
「それは必要なのですか?」
「もちろん必要ですよぅ」
そんなキャリナの問いにも、エルシィは即答である。
興に乗って来たエルシィは話を続ける。
「この国を運営するためにいろいろ取り決めるのはわたくしたちの仕事ですが、実際に働き税を納めるのはこの国に住まう皆さんです。
その皆さんの不信が高まると、それは不満になります。
そして不満が積み重なると、人々は段々とこちらの話を聞かなくなります。
酷くなれば暴動、はては反乱になりかねません」
かつて「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」などと言ったという噂でヘイトを集めた為政者側の人物がいたが、実は彼女はそんなこと言っていなかったのが後の研究で判ったそうだ。
そうした行き違いも、為政者側が民への説明を怠らなければ起こらなかった可能性はある。
もっともヨーロッパの革命の原因はそれ以外にもたくさんあったのだが、まぁ「民の不満が募った結果」というのはその通りなのだ。
「でも、暴動が起きたなら騎士や警士を派遣して鎮めればよろしいでしょう」
「……ホーテン卿などのわたくしに近しい方ならともかく、あまりお会いしたことも話したこともない騎士や警士が不信を持っていたら?
彼らはこちら側でもあり、民の側でもあるのです」
こういわれてキャリナもハッとした。
確かに鎮圧に乗り出すべき軍役者が、為政者の言葉に耳を傾けないようになったなら。
その国がどうなってしまうのか、想像に難くないだろう。
「なるほど。
ではすべてを詳らかに伝えるのですね」
ようやく意味が分かった、というスッキリとした表情になったキャリナであった。
が、エルシィもまた爽やかな顔でこれを否定した。
「いえ? もちろん都合の良いことだけを上手い事伝えます。
言うべきことと言わざるべきことを選べるのは、発信側の特権ですよ」
せっかくスッキリしたキャリナが、また微妙な顔をした。
「人はその話がホントかウソかにかかわらず、先に得た情報を真実と信じやすい傾向があります。
ゆえに、この広報政策は慎重かつ迅速に行う必要があるのです」
エルシィはあえて気にせず、話を続けた。
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