表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/457

093ジズ公国ハイラス領

 ハイラス伯国……いやすでにそこは伯国ではない。

 ジズ公国ハイラス領。

 今やそれが、大陸南西部にある広大な半島の名前だ。

 そして旧ハイラス伯国の旧主城は、ハイラス領を治める総督府として政治機構を継承している。

 そこに、我らがハイラス総督エルシィがいた。

「イナバくぅん、これなんとかならないのぉ?」

 総督府城第四層執務室にて、エルシィはうんざりとした顔で頬を机に押し付けた。

 語り掛ける相手は、広い執務机の上をぴょんこぴょんこと跳ね回る、小さな白ウサギだ。

 イナバと呼ばれた白ウサギはピタと足を止めてエルシィを振り向いていかにも偉そうに胸を張った。

「どうにもならんな。

 それがこの土地を継承した者の仕事というなら、その方がするしか無かろうて」

「しょんなー」

 ショボショボする目をこすりながら、のっそりと頭を上げたエルシィは、そんな嘆きの言葉を吐きながらも諦めて山となった書類を手に取る。

 それは報告書や決算書、はたまた嘆願書などの山である。

 とにかく、この半島の支配者権利をうっかり継承してしまったエルシィの元には毎日こういったものが届くのだ。

 これを午前中に片付け、そして午後は各部署や地位ある者との協議折衝が待っている。

 お昼ご飯や夕飯だって会食という名の面談がある。

 寝る時間以外はずっと仕事漬けなのだった

「それにしてもその方、ワシへの態度がなっとらんのじゃないか?

 ワシこれでも神様じゃぞ?」

 机に向かってのたくりながらも何とか仕事を進めるエルシィに、イナバ翁は肩をすくめそんなことを言った。

「でもイナバくん、そこにいるだけじゃないですか」

 と、エルシィは答えたわけだが、まったくもって言葉の通りだった。

 彼はエルシィがハイラスの国璽を継承した後、こうして執務室に居つくようになるとひょっこりと姿を現した。

 そしてエルシィがここで執務を採っている間、側でぴょんこぴょんこしているのだ。

「暇なら手伝ってくれてもいいんですよ?」

「それワシの仕事じゃないし」

 側で見守っているだけ。

 それが彼の仕事らしい。

 正確に言えば、イナバ翁が見守っているのは印綬の方だ。

 ともかく、エルシィは広々とした執務室で、イナバ翁と二人きりでお仕事中なのである。

 そんな中、執務室から外に繋がる大きな扉がノックされ、一人の少女が入って来る。

「失礼しますエルシィ様。クレタ様がいらっしゃいました」

 そう、恭しく畏まって述べるのは、エルシィの近衛士フレヤ嬢だ。

 ヘイナルが他の仕事を任されて忙しくなったせいで、今では彼女が主なエルシィの身辺警護だ。

 タヌキ顔のおっとり美人といった容姿のフレヤは、始終ニコニコと嬉しそうに警護任務に就いていた。

「ああ、ご苦労様です。入っていただいてください」

「どうぞ」

「ありがとうフレヤ」

 許可を得て、ドアを開けたフレヤにお礼を言いながら入って来るのは、公国内においてはエルシィの教育係だったクレタ先生だ。

「先生、どうされました?」

「エルシィ様……先生はもうおやめください。

 あなたはもうこの国の、いえこのハイラス領の総督閣下なのですからね」

「……あい」

 なりたくてなったわけじゃないやい。

 と、出かかって慌ててやめたエルシィだった。

 そんなこと言ったって、なってしまったものはしょうがない。

 今、もしエルシィが投げ出せば、あらゆる行政サービスは滞り治安は乱れ、困るのはこの土地に住む人々なのだ。

 とにかく今は、伯爵が投げ出した後始末と崩壊しかかった組織の再編成を急がなくてはならない。

 そうそう、今はクレタ先生だ。

「こほん。それでクレタさん、なんでしたか?」

 気を取り直し、小さな咳払いで話を戻す。

 ここにやって来たからには、何か用事があってのことだろう。

「お任せいただいた調査についてご報告に参りました」

 恭しく畏まってそう言うクレタ先生は、さすがに気品にあふれている。

 エルシィはその姿に「おぉ」と感嘆の声を漏らしつつ、報告に耳を傾けるのだった。


 このハイラス領では今、とにかく人手が足りていない。

 騎士府や警士府と言った治安、軍政にかかわる部分は、解体された将軍府の長であったスプレンド卿や、ヨルディス陛下から許され正式にエルシィの家臣となったホーテン卿が、他の家臣(旧ハイラス兵)を使って納めてくれるので何とかなっている。

 だが、内司府や外司府はそうはいかない。

 実は幹部や役人のうち、幾らかは伯爵の逃亡を知って逃散してしまっているのだ。

 残っているのはおよそ七割と言ったところか。

 エルシィはそんな中で、行政の長としてこのハイラス領の現状をまず把握しなくてはならないし、使える人材は放っておく手は無いのである。

 その一人がクレタ先生という訳だ。

 彼女はエルシィの家臣となってこの地へ赴任した者の家族として移住してきた一人である。

 クレタ先生、なんとあのホーテン卿の奥さんだったのだ。

 そういう訳で、クレタ先生は公文書、古文書の管理や訴訟を取り扱う文司に出向してもらい、現状を調査してもらっているのである。

「ジズ公国と違って少し……だいぶ酷い有様ですね」

「えぇ……」

 端的にクレタ先生の口から出た言葉で絶句である。

 詳しく聞けば小規模な不正が常態化していたようで、公文書の記録もかなり曖昧にされていて現状把握がなかなか進まないらしい。

 これは財司はもっと大変かも。

 と心配になる。

 あちらにはクーネル輔佐に行ってもらっている。

 彼は軍人にしておくには惜しいほど文に明るい人物のようだったので、この際、文官としてしばらく働いてもらおうということになったのだ。

 他にも、築司にはアベルが、水司にはバレッタが行っている。

 外司府関連にも、本当は人をやりたいところだが、人材がいないのでとりあえず残っていた外司府長に報告をまとめるよう言い渡すにとどめている。

 そう内司府長は逃散した幹部の一人なのだ。

 こちらを任す人材も頭が痛い問題である。

 そして最もひどいのが近衛府だ。

 いや、当然と言えば当然なのだ。

 近衛府の仕事はひとえに「国主一家を守ること」である。

 なので逃亡した伯爵一家を護衛して、近衛府丸ごと不在なのである。

 彼らが不在の間にこの国の国主が変わったので、エルシィを守るはずの近衛府は空っぽというのが現状だ。

 であるからして、エルシィの筆頭近衛であるヘイナルが、ひとまず近衛府長として再建のために奔走しているところである。

 これが身辺警護がフレヤしかおらず、執務室にいるはずの各府の幹部や他の近衛がいない理由だった。

 ちなみにキャリナとグーニーは当然、エルシィの住まいとなった旧伯爵館を整えるのに奔走している。

 使用人たちも半分くらい、館の調度品を失敬して逃散したのだ。


 クレタ先生の一通りの中間報告を受け取り見送ったエルシィは、大きなため息とともに執務机とセットになる立派な椅子の背もたれに身を預けた。

「ああ……ゆんけるのみたい……」

「口から魂が抜けそうな勢いじゃの」

 クレタ先生が来たことで隠れていたイナバ翁が、また出てきて面白そうにそうコメントする。

 コメントして、次の来客に気付いたようで耳をぴくぴくさせて姿を隠す。

 その直後、ノックもなしに執務室の扉が大きく開いた。

「エルシィ! 私が来たからもう安心だよ」

 やって来たのは、エルシィの兄にしてジズ公国の後継者である公子、カスペル殿下だった。

「お兄さま!? ナンデェ!」

「エルシィだけじゃさすがに大変だろうからって、母上が。

 迷惑だったかい?」

「いえいえ、まさかです。 とても助かりますね」

 カスペル殿下と共に、彼の近衛であるイェルハルド他三名も付いてきている。

 やったぜ人手が増えた。

 エルシィは陰でニヤリと笑って、彼らに割り当てる仕事を算段し始めた。

 彼らが青色吐息に変わるのも、時間の問題である。




 旧ハイラス伯国のある半島から大陸へと向かうと、ちょうどフタをするように山脈がある。

 この山脈を越えるとそこにあるのがセルテ侯国である。

 ジズ公国やハイラス伯国同様、旧レビア王国の支配基盤を継承する国だ。

「公国の鉄血姫とやらが大軍を率いて攻め入ってきてなぁ」

 そのセルテ侯国の領都にある侯爵館で、もう「元」ハイラス伯国国主になってしまったヴェイセルがたいそう疲れた顔で語る。

「そうか、それは災難だったな」

 話を聞くのはこの国の主、セルテ侯爵エドゴル。

 エドゴルはヴェイセルより一〇歳ほど年嵩で、それなりに貫禄を湛えた男だ。

 そんなセルテ侯爵が、「胡散臭い」という思いを露ほども見せずにヴァイセルの話に聞き入る。

 ジズ公国の姫君とやらがどのような人物か知らぬが、それを差し引いても国境線が動いたのは確かか。

 これは少し、我が国も考えねばならん。

 なにせ旧レビア王国の正当な後継者を名乗れるのはあの国(ジズ公国)だけなのだからな。

 侯爵はそう思案を深め、その上でヴァイセルへ憐れみの視線を向ける。

 この男、まるで無能だが見捨てるわけにもいかんか。

 旧レビア王国において大領を持っていた貴族は、遠近あれどおおよそ血の繋がりがある。

 そんな中でもセルテ侯爵家とハイラス伯爵家は比較的近しい親戚なのだ。。

 これを見捨てれば外聞も悪いというもの。

 旧王国の支配体形を引き継ぐ身としては、そういう体裁は大事である。

 なら、飼い殺すか。

「ヴァイセルよ。お前のことは我が家の食客として迎えよう。

 じきに何か仕事をしてもらうが、なに、しばらくはのんびり休むがいい」

「おお、さすが従伯父上。助かる」

 まぁ、貴様にしてもらう仕事など、今のところ考えもつかぬがな。

 嬉しそうにするヴァイセルと冷淡な目でそれを眺めるエドゴルが対照的で恐ろしかったと、後に侍従が日記で述懐した。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました

今回のお話までで「ジズ公国編」は終了となります

おかしいな、ジズ編は一〇万字くらいに収めるつもりだったのにね?

宜しければここで一度、評価やブクマ、感想など頂けると嬉しく思います


しばらくお休みを頂き、一月中旬ごろから「ハイラス編」を始めたいと思いますのでよろしくお願いします

お待ちかねの内政パートですよ!

ではまた

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 今年最後の更新お疲れ様でした内政パート楽しみに待ってます それにしても仕方ないとはいえ8歳の子供が書類の山に囲まれてる絵面はどう見ても児童虐待ですね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ