092継承
エルシィは嫌な予感をひしひしと感じた。
神様に遭遇するのはこれで三度目となるエルシィだ。
もっとも一度目と数えている女神は「おそらくゲームソフトを売っていたメガネがそうだろう」という程度のモノで、ハッキリ会ったと言えるのはティタノヴィア神だけとも言える。
ともかく、その二柱のうち女神については「ろくでもねえ!」と思っているので、エルシィはこの神を名乗る白ウサギも、胡乱な目で眺めた。
「なんじゃその目は。失礼なやっちゃな」
「あ、これは申し訳ございません」
気づかれ、言われ、エルシィはハッと態度を改める。
今までに恐れ多くも面倒な神様に会ったからと言って、このイナバ翁様もそうだと決めつけるのは、確かに失礼極まりない。
これか気をつけないといけないね。人として。
と、エルシィは深く反省して、てへぺろと舌を出した。
「それで神様はわたくしにどのようなご用件で……」
エルシィは改めて訊ねる。
訊ねるが、すでに大方の予想はついている。
土地を治める大名目である国璽を放棄して逃げた伯爵ご一家。
そこに「権利」とやらを有するエルシィがやって来た。
そして国璽に触れたところで神様がご登場。
ここまで来れば解ろうというものだ。
イナバ翁はいかにも勿体着けて鷹揚に頷いて見せる。
「うむ。この土地を治める為の神授の印を、そなたに継承させる儀式をしに、な?」
「やっぱり……」
エルシィはうんざりした顔で一歩下がった。
「いやいやいや~ん……」
「なんじゃその珍妙な踊りは」
「お断りしますの気持ちを、精一杯表現するイヤイヤダンスです」
「ダメじゃな」
「だめかー」
これはJRPGにおける「いいえを選ぶと、延々と質問を繰り返されるアレ」なのである。
ハイかイエスでお答えください。なのである。
そう項垂れるエルシィをよそにイナバ翁は印綬からぴょいと飛び降り、掲げるようにポーズをとって口を開いた。
「古のリタン・シャリートとの約束に基づき、末裔たる小さき者にこの土地を治めるを任せるものなり……」
「りたんさんって誰です?」
「……ええから黙ってじっとしておれ」
疑問を訊ねたら叱られたの巻。
エルシィは仕方なく、イナバ翁の行う儀式めいた舞と祝詞をしばらくぼーっと眺めることにした。
それは一つの物語になっているようだった。
海の偉大なる神リタン・シャリートは、陸の娘と約をかわして子を授ける。
リタンはその子供が大地を治めるを許し、その証として子に印綬を授けたという。
ほへぇ、と知られざる歴史に触れたことに感心する。
これが本当の歴史なのだとしたら、おそらくその子供こそが旧レビア王国の建国者なのだろう。
そう思いつつも、エルシィはさらに疑問を浮かべる。
なんで海の神様が陸を治める許しを出すのか。
だが残念ながらその疑問に答える者はいなかった。
なぜなら、儀式が終わるとイナバ翁と印綬、すなわちハイラス伯国の国璽は今まで以上にまぶしい光を放ち、エルシィの目が正常に周囲の景色を捉えられるように戻ったころには、そこは元通りの展望室だったからだ。
元通りというからにはイナバ翁はいない。
周囲にいるのはエルシィの側仕え衆とクーネルだけである。
「エルシィ様!?」
フレヤが心配そうにエルシィの顔を覗き込む。
「あれ? わたくし……どうしてました?」
「印綬に触れた時から急に呆然とされて……」
答えるヘイナルの言葉に、エルシィは肩の力を抜いて合点がいったと頷いた。
おそらく、先ほどの白い部屋やイナバ翁は、「権利者」とやらだけが見る白昼夢の様なものなのだろう。
すると、この部屋の誰もが、まだエルシィがこの国璽の継承者になってしまったことを知らないはずだ。
なら、黙っておこう。
エルシィは決心してお口にチャックする仕草をした。
だが、この中で一人だけ察している者がいる。
ここまでエルシィを連れてきたクーネルだ。
彼は少しばかり口の端を上げてニヤリとした。
クーネルはスプレンド将軍から、「彼ら上位の貴族は我らには判らない継承の何かがあるようだ」と聞かされていたので、たぶんそれが行われたのだろうと理解しているのだ。
エルシィはクーネルをジト目でけん制し、口元に人差し指を当てる。
だがクーネルは肩をすくめるだけで応とも否とも意思を表示しなかった。
する必要がなかったのだ。
なぜなら……。
「エルシィは無事かしら!?」
次の瞬間、幾人かの近衛と兵に守られた少しふくよかな女性がやって来たからだ。
誰かと言えば、それは伯爵館に軟禁されていたヨルディス陛下である。
娘を目いっぱい心配した様子で展望室に飛び込んできたヨルディス陛下だったが、ハイラス伯国の国璽を手にしたエルシィを見て察した。
「エルシィ、あなた……」
心配顔が、一瞬にしてとほほ顔である。
「あ、お母さま! ご無事だったのですね!」
そんな心情に気付かず、エルシィはにぱっと笑って彼女に駆け寄る。
少しやつれたようにも見えるが、怪我や病ではないようだ、とホッとした。
「ええ、私は軟禁されていたとはいえ、特にひどいことはなかったのですよ。
なのであなたたちが心配で……。
それよりエルシィ」
「はい、お母さま?」
ここで、エルシィは母の視線にハッと気づいた。
自分が手にした印綬を見ているのだ。
これは、気づかれたね?
と、エルシィも苦笑いで応えた。
なにせ彼女は現役のジズ大公陛下なのだ。
継承についても知っているはずである。
二人は余人が測りかねる中、互いにとほほ顔でしばし見つめ合った。
そしてヨルディス陛下が大きくため息をつきながらこう宣った。
「エルシィ。あなたをハイラス鎮守府の総督に任命します。
大変だと思いますが、励みなさい」
「……はい、陛下。
精進いたします」
それは大陸の一角に領土を持つことになってしまった娘に対し、「ジズ公国が庇護者になるからね」という精一杯の親心から来る建前の称号授与であった。
次の更新は金曜の予定です