087騎士府襲撃
竹中半兵衛という人物を知っておいでだろうか。
戦国時代の方で美濃斎藤家の家臣。後に秀吉に仕え天才軍師として知られる。
彼の有名なエピソードに稲葉山城の話がある。
稲葉山城とは今でいう岐阜城のことで、難攻不落で知られる山城だった。
半兵衛は「城内に勤める弟の見舞いだ」と言って入城し、この稲葉山城をたった一六人で制したという。
この制圧劇は最後に「主君を戒める為にやったことだ」と城を返すまでがセットである。
対し、今回の遠征において、クーネルは兵二〇しか連れずにハイラス伯国主城へやってきて、「国主への報告がある」と言って穏便に開門させた。
これを見てエルシィは「ああ、半兵衛さんだ」と、前述の逸話を思い出したのだ。
ともかく、そうして入城してしまえばこっちのモノ。
とばかりにクーネルは一行の脚を少しばかり速めさせた。
「クーネルさん。お母さま……ヨルディス陛下はどちらですか?」
そんな中、馬車から顔を出したエルシィがそのように問う。
中から「エルシィ様、はしたないですよ!」と嗜める声も聞こえるが知らん顔である。
「私は城内勤めではないのでハッキリは言えませんが、おそらく伯爵館の方でしょう」
館、というからには伯爵陛下とその家族が住まうお屋敷のことである。
城内にはいわゆる天守以外にも、そういった建物が複数あるのだ
とらえた身とは言え、隣国の国主ほどの方を、牢屋などにおいそれと入れるわけにはいかないのである。
貴顕には貴顕らしい扱いを。
これは伯爵自らの地位を貶めない為にも重要な行為なのだ。
「では早速そちらへ向かいましょ……きゃふん!」
勢い込んでエルシィはさらに身を乗り出し、後ろから引き戻される。
振り向けば目を吊り上げたキャリナの顔が見えたので、エルシィは小さく「ヤバ……」と呟いた。
「めっ、ですよ。エルシィ様」
「あい」
ここは素直になっておこう、とエルシィは殊勝な態度で頷いた。
そんな様子に、返事のタイミングを掴みかねたクーネルだったが、そこは上位者を相手にすることも多い平民上士官らしく上手いやり方をいくつか心得ている。
「ぶえっくしょぅ! ……いや失礼しました。どうも少し冷えますな?」
と、クーネルは盛大にクシャミなどをして見せた
とてもワザとには見えない役者ぶりである。
エルシィたちはこの大きな音で気をそがれ、またクーネルへと意識を戻す。
「そうそう、ともかく伯爵館へ向かいましょう」
エルシィが言いなおしたので、クーネルはホッとして言葉を返す。
「いえ、まずは天守を抑えましょう。
伯爵陛下はおそらく私の報告を受ける為、こちらにいるはずです」
「でも……」
この答えに幾らか不満げに、エルシィはチラチラと遠くに見える伯爵館を見る。
ともかく今はヨルディス陛下が心配なのだ。
「お気持ちは解りますが、館へ向かうところで後背を突かれると厄介です。
先にハイラス側の指揮系統を抑えることが早道かと」
この言葉で、エルシィも納得して「おお」と手を叩いた。
なるほど、言われればその通りだ。
救出ばかりに意識が行って、あまり深く考えていなかった。
「とはいえ、ヨルディス陛下も心配でしょうから、幾らか館の方に人をやりましょう」
「ではわたくしもそちらに……」
「いえ、エルシィ様は天守へ。
伯爵陛下と会った時、やはり対応するのは国主に準ずるような身分の方でないと」
「はぁ、なるほど?」
同格他社との商談で、向こうが社長出してるのにこっちが平社員じゃ困る。
みたいな話だろうか?
なるほどなるほど。
エルシィはまたまた納得して手を叩いた。
なんかこのままハイラス主城乗っ取っちゃいそうだけど、まぁ半兵衛さんもすぐ返したって言うし、大丈夫か。
と、この時、気楽に考えたことを、エルシィは後で後悔することになる。
ホーテン卿は九〇の兵を率いてハイラス伯国騎士府へと向かう。
自分を含め数名の騎士は馬に乗っての移動だが、他多数は歩兵である。
急ぎと行きたいところだが、脚が遅くなるのは仕方がない。
ゆえに、街に入ってからは開き直って堂々とゆっくり進むことにした。
「府長様! こんな速度ではスプレンド卿に先を越されます。
急ぎましょうよ」
そんな様子に焦れた若い騎士が馬を寄せて言い出す。
こちらの九〇名はおおよそジズ公国勢なので、スプレンド卿率いるハイラス伯国勢には何かと対抗意識があるのだ。
まぁ、対抗してエルシィに従軍を申し出るだけのことはある。
ちなみにこの若者、実は従騎士だ。
従騎士とは、ホーテン卿などの正騎士について様々なサポートをするのが仕事の騎士見習である。
見習いとは言え、高度な訓練や教育を受けているので警士より位が上だが、戦争が起こった場合は後方任務になるのが常であった。
先日のジズリオ本島での戦いでも兵站任務で活躍したのが、この従騎士たちなのだ。
なので、本来であれば今回の遠征でも正騎士が主力になるべきところである。
だが「おそらく戦闘は最小限になるだろう」というスプレンド卿の予想に同意したホーテン卿が従騎士を主力として連れて来たのだった。
何事も経験、ということである。
ともかく、その若い従騎士は、初めて団長と轡を並べることに興奮してか、はたまた遠征という非日常に酔ってか興奮気味だった。
ホーテン卿は苦笑いを浮かべつつ、そんな若い従騎士を諫める。
「バカタレ。ほれ、見ろ!」
そう言って彼が指さすのは、彼らが進むハイラス領都の大通りだ。
まだ早朝だが多くの人々が忙しそうに市を立て、そして買い物に勤しみ始めている。
「こんな人出の中で馬を走らせたら事故の元だろうが」
「はぁ……? でもハイラス人ですよね?」
いまいちわかっていない風の従騎士だった。
つまり敵国人なのだから、蹴散らしたっていいじゃないか。という訳である。
ホーテン卿は少しばかり失望した表情を浮かべてコンコンと諭すように言う。
「確かに敵国領土を荒らし略奪するのは戦争の常だ。
だがな、ここはこれから姫様に献上する土地だぞ?
つまり明日は姫様の民草である。
虐げてどうする」
「は、はぁ、なるほど……?」
やはりいまいちよく解ってない風の従騎士だった。
そもそもスプレンド卿とホーテン卿が企んだ此度の作戦は、深いところは周知していないのだ。
若い従騎士がよくわからない顔なのも仕方ない。
「まぁ良い。今回は俺のやること、言うことをよく見て従えばよい。
それが勉強というものだからな」
ホーテン卿は肩をすくめてそう言葉を結んだ。
言われてしまえば、見習でしかない従騎士は頷くしかないので、彼も大人しく引き下がるのだった。
そうしてしばらく進むと騎士府の訓練場と一体化した騎士府の建物が見えて来る。
造りに関してはジズ公国と同じだが、規模が倍はあるだろう。
そして大きな違いは、城内ではなく街にあるということだ。
スプレンド卿の向かった将軍府もそうだが、ハイラス伯国では官公庁舎が城内ではなく街に点在している。
これは勤める人の規模がジズ公国より多いため、分散しないと城内への出入りが多すぎて大変なことになるせいだ。
ともかく、ホーテン卿は早速配下に指示を出し、騎士府を半包囲してから門へ向かって進み出る。
今は出兵の為、警士の数も少ないようで、普通なら二名は立っているはずの門番も一人しかいない。
その一人が物々しい雰囲気にオドオドしながら近づいてくる見慣れぬ騎士に誰何する。
「我が国の騎士ではないとお見受けします。御用を承ります」
オドオドしながらも丁寧な対応であった。
他国の者であっても、騎士であれ警士であるより上位である。
命令に従う必要こそないが、尊重せねば後々面倒なことになるのだ。
そんな警士の態度に、ホーテン卿はインチキ臭い笑顔を浮かべて一枚の書状を掲げて見せる。
「将軍府からの命令書を持参した。
この施設はこれより、このホーテンが接収する!」
「げぇ! 鬼騎士ホーテン!」
顔は知らずとも卿の名はハイラス伯国にも轟いている。
警士は思わず声を上げ、急ぎ自国の騎士に指示を仰ぐために引っ込だ。
「それ、突っ込め!」
合わせて、包囲の歩兵を幾らか残し、ホーテン卿は騎兵を引き連れて乗り込んだのだった。
次回更新は来週の火曜日です