086ハイラスの城へ
「総員、上陸よいかぁ!」
「よし!」
老騎士ホーテン卿の威勢のいい声と共に、港へ整列した兵たちの揃った声が上がった。
もし港にいるハイラス国民や船乗りたちに「これが侵略の兵だ」という意識があれば、みな不安に眉を寄せるか、はたまた慌てて逃げだすところだろう。
ところが遠巻きにして眺めるどの顔も「兵隊さんは朝も早よから元気やねぇ」といった、感心げな表情を浮かべている。
スプレンド卿はこの反応を満足そうに頷いて眺め、それから兵たちに号令をかけているホーテン卿の肩を叩いた。
「これなら今回の作戦は楽に終わりそうだね」
「油断して足元掬われるなよ」
厳しい言葉を返すホーテン卿だが、彼でさえその顔には俄かに笑みを浮かべている。
どちらも作戦の成功は疑っていない。
関心はどちらが先に成果を出すかという、競争意識だ。
一見にこやかな、それでいて余人の介する気配を見せない二人の将に、兵たちは声もかけられずただ見守る。
だがそこへ頭を突っ込む者もいる。
というか、これを止めて話を先に進めることが出来る軍人は、ここには彼しかいない。
スプレンド卿に抜擢され、ハイラス伯国将軍府にて将補の位を授かっている、ちょび髭の中年士官クーネルだ。
「お二人とも、エルシィ様が呆れてみてますよ。
そろそろ先へ進みましょうや」
ホーテン卿は一度ギロりと彼を見て、それから気の抜けたように肩をすくめた。
クーネルの、歳の割に貫禄がない気の抜けた顔を見ると、多くの人間がそうなってしまうのだ。
これもクーネルの、一つの才能と言えるだろう。
「えとえと、いいですか?」
クーネルについて船から降りたエルシィは、そんな様子に遠慮するようにおずおずと声をかける。
こんな態度だが、別に物怖じしているわけではない。
ただ、タイミングを測っているだけである。
まだまだ幼い少女の姿だが、中身は海外を股にかけた商社マンなのだ。
……「世界を」と言えるほどの経験ではないところがミソである。
ともかく、そのエルシィのお声がけに、二人の将とその後ろに立ち並ぶ兵たちが畏まった。
「失礼いたしましたエルシィ様。
では早速、作戦を開始いたしましょう」
そしてずいと進み出たスプレンド卿に促され、エルシィは用意された馬車へと案内された。
というか、扱いは至極丁寧だが、どうにも押し込まれたという感すらある。
「姫様。何やらあの男、怪しくありませんか?」
共に大きな馬車へと乗り込む近衛士フレヤが眉をしかめる。
「そうだな。アイツはなんか胡散臭いと思う……思います」
アベルがそんな言葉に同意して何度か頷く。
エルシィも確かに何か怪しい気配を感じていたので、うーんと首をかしげて考え込んだ。
怪しいことは怪しいのだけど、悪意は感じないんだよね。
それがエルシィの正直な感想だった。
「大丈夫でしょ。悪いことにはならないわ!
知らないけど!」
根拠レスに堂々とそう言いうのはバレッタだった。
アベルやフレヤから胡乱な視線を向けられるが、エルシィの考えはおおよそ同じだったので、そうね、と微笑み返して、大人しく馬車の一番いい席へと座った。
馬車は貴い女性を乗せる専用の物のようで、堅牢なつくりの上に煌びやかでパステルカラーな装飾がふんだんに施されている。
エルシィも姫扱いにはだいぶ慣れてはきたが、それでもこれにはちょっとひいた。
エルシィと一緒に乗り込むのは侍女のキャリナ、そして護衛としてフレヤと神孫の姉弟である。
キャリナはさすがに心得たもので、すまし顔でエルシィのすぐそばに腰を下ろす。
対してフレヤとアベルはかなり居心地悪そうだった。
ファンシーショップに男子が迷い込んだような、そんな感じね。
と、エルシィは少し笑った。
……まぁ、フレヤは女の子だけど。
「ささ、乗り込みましたら出発しますよ」
それぞれが車内で腰を落ち着けると、窓から覗き込んだクーネルがそう声をかけて来る。
エルシィは「よしなに願います」とだけ答え、ガタゴトと進み始める馬車に身を預けた。
馬車のすぐ外には騎乗したクーネルともう一人の近衛士ヘイナルが付き、その前後左右には合計で二〇ほどの兵が従って行進を始める。
小国の姫君を送るのには十分な行列と言えるだろう。
ただ。と、エルシィは小首を傾げる。
「クーネルさんクーネルさん。
お城を攻めるには少なくないですか?」
そうなのである。
これからエルシィを乗せた馬車が向かうのは、ハイラス伯国主城なのだ。
国主である伯爵がおり、そしてエルシィの母であるヨルディス陛下が捕らえられているという。
だがこの隊の指揮官であるクーネルは、気楽そうな顔で少し考えてから首を振った。
「まぁ、こんなもんでしょ。
エルシィ様はどーんと構えてついてきてくだされば大丈夫ですよ。
万事、このクーネルが捌いてごらんに入れましょう」
彼のあまりな軽い態度に少し不安を覚えつつも、エルシィは黙ってうなずくだけにとどめた。
さて、そうして一行はゴトゴトと歩を進め、小一時間もすると街の奥まった場所にある小丘に建ったお城へと辿り着く。
ジズ公国のお城に比べると、幾らかくだけた煌びやかさ彩られた横に広い城だ。
「ここにお母さまが……」
エルシィは緊張に固唾を飲み、側仕え衆も拳にぐっと力を入れる。
城をぐるっと囲んだ空堀に、跳ね橋が掛けてある。
そこを渡ってから、クーネルは一人城門へとウマを小走りで進めて開門を要求した。
「将軍府所属、将補クーネルだ。
昨晩、先ぶれで伝えたように、ジズリオ島攻略について報告に参った。
門を開けよ!」
門番は二人。
ハイラス伯国はジズ公国と同じ旧レビア王国の薫陶を受けた国々の一つなので、おそらく組織体系も同じだろう。
だとすればこの門番は当番警士だ。
その門番たちは顔を見合わせて頷き合うと、すぐに応じて内側にいる別の門番たちに声をかけて、大きな城門を開きにかかった。
ああ、これはあれだ。
竹中半兵衛だ。
エルシィは納得気味にホゥと息を吐いた。
次回は金曜更新予定です