084訓示
船団がジズ公国領都を出航した日の夜には、ハイラス伯国領都港沖に到着した。
とは言え、暗い夜に入港となると事故も起きやすいので、大きな船ほど日が出ているうちに入港するのが慣例となっている。
特に今回エルシィたちが乗座している輸送船ほどの大きさになれば単独入港という訳にはいかない。
港湾を管理する組合などと連携して曳航船を手配する必要があるのだ。
ゆえに今晩は沖にて錨を降ろし、連絡用の小舟を港に送り、そして後は明日に備えて休むのだった。
そしてあくる日の朝。
その日は皆、日の出前より起床して各々の仕事に従事した。
申次を請け負っている船員見習いに呼ばれ、エルシィは眠い目をこすりながら側仕え衆を引き連れて甲板に出る。
「わぁ!」
それは折しも日の出時刻だったようで、甲板に整列した兵たちが朝日に照らされる壮観な風景を見ることになった。
日は東より出る。
つまりこれから上陸するハイラス伯国領都の方角だ。
領都の向こうにある山脈の合間から徐々に高くなる日が、街と海を照らしていく。
「おはようございます姫様。雨期だというのに、今日はよい天気ですな」
「はい、上陸日和ってやつですね!」
「まるでエルシィ様の来訪を祝福するかのようですね」
「そうだといいですね!」
朝日を浴びて眠気が飛んだエルシィは、待ち構えていたホーテン卿やスプレンド卿とあいさつを交わす。
「ささ、エルシィ様。ハイラス伯国を攻め滅ぼすにあたって訓示を一つ」
「いえ……お母さまを救出するのが目的ですけど?」
そして促されるままに用意されたお立ち台へと上げられる。
朝からものすごいいい笑顔のスプレンド卿が怖い。
そう思って視線を変えれば、そっちには獰猛そうに「ふっふっふ」と笑いをこらえるホーテン卿がいてこっちも怖かった。
仕方ないので兵たちの方を見る。
輔佐を務めるクーネルを先頭に、身を寄せ合うように整列する兵たちが、朝日を背にしたエルシィを見ていた。
大きな船とは言え、二〇〇人が並ぶには狭いのだ。
兵たちの士気はそこそこのようで、どれも緊張の表情を浮かべている。
ただ、その様子と言えば元ハイラス兵とジズ公国兵でくっきりと別れる。
ジズ公国兵は「売られた喧嘩は買うぜ!」とばかりに、緊張の中に血気が見られる。
対する元ハイラス兵は、中には蒼い顔をしている者もいるくらいだ。
まぁ、それはそうだろう。
ここにいる元ハイラス兵は、元々ハイラス伯国の領都に駐在していた兵たちだ。
なぜなら此度のジズ公国への出兵では、そんな兵をかき集めたのだから当然、領都か近隣に住んでいる者たちなのだ。
すると、である。
今回の反攻戦では、自分たちの家族がいる街を攻めることになるのだ。
それは誰でも緊張するだろう。
ともかく、そんな兵を前にして、エルシィは何を言えばいいかと少し考える。
そして朝の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込みつつ声を上げた。
「みなさん!
今日はいよいよ、わたくしの大陸初上陸です。
その記念すべき初遠征にご随行いただき、誠、感謝の念に堪えません。
さて、不幸なすれ違いからハイラス伯国の皆さんとは、先日、戦うことになってしまいましたが、今日の第一目的は戦争ではありません。
特にハイラス伯国の皆さんにおかれましては、愛する家族のいる街へ行くことになるでしょうし、そこのところはよく肝に銘じておいて欲しいのです。
第一に、ジズ公国国主であるヨルディス陛下の救出。
それこそが大事です。
皆さん、わたくしにどうか力をお貸しください!」
エルシィの言葉は二〇〇からなる隊伍の隅々まで聞こえ渡ったようで、まばらながらも拍手したり、こぶしと歓声を上げて応えた。
「お言葉をありがとうございます。
上陸まではもうしばらくかかりますので、エルシィ様はお部屋にてお待ちください」
何とかなったかな?
と思いながらお立ち台から降りたエルシィは、またもやスプレンド卿に促され、さっきまで寝ていた船室へと回れ右で戻ることになった。
もう段取りされていたかのような流れる行動である。
エルシィはなんだか不思議な気分になりつつも、今、甲板にいても邪魔になるだけだしね。と納得して甲板から降りて行った。
そしてエルシィが去った甲板では、二〇〇の兵がそれぞれジズ公国勢とハイラス伯国勢に分かれ、それぞれの将補を前に整列しなおす。
すなわちホーテン卿とスプレンド卿だ。
スプレンド卿は一〇〇の元ハイラス兵を前にして、とても良い笑顔で声を上げる。
「聞け、ハイラスの有志達よ。
我らは伯爵陛下の命とは言え、罪深くもエルシィ様の住まう神の島へと土足で踏み入った。
本来であれば許されざる大罪人である。
だがティタノヴィア神より権能を授かられた慈悲深いエルシィ様により、早くもその罪を雪ぐ機会を与えられたのだ。
よいか!
我らはエルシィ様の御為に働かねばならぬ!
それでこそ罪は許される!
命を賭けろ!」
「おう!」
一種、悲壮な決意ともとれる応答の声が甲板に響いた。
また、同様にホーテン卿は、ジズ公国の騎士と警士で構成された兵たちを前に声を上げる。
「お前たちわかっておろうな?
お優しい姫様であるからあのように言われたが、そのお気持ちを汲んで行動するのが臣下の務めであるぞ。
伯爵には公国へ攻め入ったことを後悔させてやれ!
そして伯国の民には、姫の臣民となる幸福を与えてやれ!
姫様の前に伯国を捧げよ!」
「おう!」
意気と掛け声がそろって上がる。
こちらは士気洋々と言ったところだろう。
そしてしばらくして港から曳航船がやって来る。
いよいよハイラス伯国領都への入港、上陸が始まるのだ。
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